感謝をこめて
「倉橋、達者でな」
「ありがとうございます。小沢先生も、どうかお元気で。先生は間違いなく、俺の人生を変えてくれました」
「……ばかやろ。最後に不意打ちすんな」
ちょっと風は強いが、卒業式にふさわしい晴れの日の三月一日。
式もつつがなく終わり、学校から去る前に、らしくなく目が潤んでいる、小沢公一先生に心からの感謝を伝えて。
「将吾、卒業おめでとう。これからが大変だろうけど、がんばってね。あなたは正夫さんの息子なんだから、きっと大丈夫」
「ありがとう、おふくろ。きっと大丈夫さ、おふくろの息子だからな」
「……まったく、この子は……」
目頭をおさえながら、普段は着ない一張羅に身を包んだおふくろに、これからの決意を伝えて。
「将吾、また会おうな」
「おう、圭一も頑張れ。おまえとは、またすぐ会いそうな予感がするよ。元気でな」
神山圭一とそんな話をしつつ、並んで正門前まで歩くと、そこには知った顔がいくつか並んでいた。
「将吾先輩、卒業おめでとうございます」
「功貴か、ありがとう。そして生徒会役員として今日の式の設営、お疲れ様。美月にもよろしくな」
「はい。先輩も、どうかお元気で」
生徒会副会長の西野功貴に、今日の働きをねぎらい。
「将吾お兄さん、卒業おめでとうございますー! これからも自分の道を突き進んでくださいね!」
「ありがとう、美佳さん。後悔しないように努力したいかな」
「……おい美佳。実の兄に言葉はないのか?」
「いやー、浪人確定の兄に『おめでとう』なんて言えないから」
「ぐはっっっ」
いや、俺も浪人みたいなものなんだがな、とか思いつつも、神山兄妹のコントを聞いて、声を殺して笑い。
「卒業おめでとうございます。これからが大変とは思いますが……きっと、明るい未来が待ってると信じてますね」
「ありがとう、真希さん。期待を裏切らないよう、頑張るよ」
「卒業おめでとうございます。お兄様と知り合えたこと、わたくしも忘れることはないでしょう。どうかお身体にはお気をつけくださいませ」
「ありがとう、瑠璃さん。俺もきっと、時々思い出して楽しくなると思う」
真希さんと瑠璃さんの祝いの言葉に、過去、そして未来の自分を思い浮かべ。
「お兄ちゃあぁぁぁぁん……さ゛み゛し゛い゛よ゛うぅぅぅぅ……」
「…………うわ、ドン引きするくらいひっでぇ顔だな、妹よ」
「そ゛ん゛な゛こ゛と゛、言ったって……うぅぅぅぅ」
一番最後に、涙と鼻水を垂れ流し、妹が俺の胸に顔をうずめてくる。残念な現実が目の前に。ああどうしよう、こいつ。いや、どうしよう、鼻水。
「あらあら……美少女っぷりがますます残念になりましたわね」
「おいおいすみれっちー。ま、らしいといえば、らしいか」
「しばらく、こんな状態続きそう。どうやって慰めようかな……」
三羽烏の合唱が聞こえているのかいないのか。泣きやみそうにない妹の頭をポンポンと軽くたたいてあやす様を、おふくろに『やれやれ』といった顔で眺められている。
高校最後の思い出すら、こいつの残念なところかよ。
そんなことを心の中で嘆くと、その直後に、春らしい突風が俺たちに向かってきた。
妹の長い髪が舞い上がり、俺の視界を遮るその時。間違いなく、俺は声を聞いた。
『卒業おめでとう、将吾。いつも見ているぞ』
未だに泣いている妹に抱きつかれながら、俺は思わず天を仰ぎ、見えるはずのない姿を探す。
「…………オヤジ」
三月の、とっても高い空に雲ひとつ。俺の大事な人たちを、すべて包み込むような広さ。
まぶしすぎて、不意に俺は涙ぐんでしまう。だが、いくらまぶしくても、悲しくて泣いていると勘違いされないために、俺は青空を眺めていることしかできないのだ。
――――俺のまわりのすべての人たちへ感謝を込めて、正門を出よう。
「……ほら、いいかげん泣きやめ。兄妹卒業するわけじゃないんだから」
「う、うん……」
自分の目の乾きを確認しつつ投げたその言葉で、俺から離れた妹が右腕をつまんでくる。体の自由を取り戻したおかげで、やっと正門を越えることができそうだ。
楽しかったこと。
いらだったこと。
つまらなかったこと。
うれしかったこと。
そして。
新しく知ったこと。
あらためて確認したこと。
この学舎で経験したそれらを記憶の片隅にとどめ、明日を生きていくための糧に、果たしてできるのだろうか、俺は。
そんな不安もないわけではないが、きっと大丈夫。そう信じることにして、俺は思い出に背中を押され正門を過ぎた。
さあ、ここから――――永遠にたどりついてやる。
「卒業おめでとう、お兄ちゃん……」




