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恋の病は葛根湯でも治らぬ

「兄貴、何の本読んでるの? やたら分厚いけど」


 妹が、いつも通り涼しいリビングで読書している俺に、そう尋ねてきた。今回読んでいる本は、いつもの毒物の本と違うことに気づいたらしい。


「ああ、今回は『生薬』の本だ」


「しょーやく?」


「うむ。漢方薬などに使われる、薬草の種類と解説とかが載っている本だな」


「漢方薬って、葛根湯かっこんとうとかの?」


「そうだ。よく知ってるな」


「落語にあるじゃん、医者が誰にでも葛根湯を勧めるのが」


「なるほど。あくまでお笑いつながりか。まあでも、葛根湯って結構いろんなものに効くらしいぞ」


 どうも、こういう本を読むと蘊蓄うんちくたれたくなるな。ヲタクの悪い癖だ。


「へー。風邪のとき以外でも?」


「風邪も、寒気があって発汗してないときに使うのが正しい服用法なんだと。あとは肩こりにもいいし、鼻づまりとかにもいいようだな。医療用では、乳腺炎とかにも使うらしい」

「へえ」


「葛根湯と言っても、主役は葛根かっこんではなく麻黄まおうっていう生薬らしいからな。麻黄からとれた成分は、西洋医学でもよく使われるんだぞ。ドーピングに引っかかるから、葛根湯はアスリートが使えないし」


「へー」


「あと、葛根湯には桂皮けいひって生薬も入ってるんだが、これはシナモンだ。身体を温めるらしいな」


「へー」


「……おまえ、さっきから『へー』しか言ってないな……なにニヤニヤしてるんだ」


「うん。なんか、兄貴が楽しそうで嬉しくなっちゃって。へへ」


 おっと。いかんいかん。


「……そんなに楽しそうだったか」


「うん。やっぱ、薬学部進学は兄貴の運命なんだと思うよ」


 ……昨日、オヤジとおふくろには、改めて話をした。

 理学部化学科から、薬学部へ進路変更をしたいこと。もともと進学希望だった大学には薬学部もあって、偏差値は少し上がるが、無理なわけでもないということ。

 オヤジもおふくろも、喜んで背中を押してくれた。家族三人とも、俺の決意を喜んでくれている。本当に幸せだと思う。


「……そう願いたいな。まあ、こんな生薬の知識をつける前に、やらなきゃならないことがあるんだけど。気が早すぎる」


 俺につられ、妹も一緒に笑う。


「まあいいんじゃない? いつかは役立つ知識だし。いざとなったら試験前に、葛根湯でドーピングして」


「ドーピングしても偏差値は上がんねえぞ」


「……というか、なんで葛根湯がドーピングに引っかかるの?」


「葛根湯の麻黄に含まれるエフェドリンっていう成分が、自律神経を興奮させるからだって、この本に書いてあった」


 待ってました、とばかりに俺が先ほど覚えた雑学を披露する。こういうのも楽しいな。


「……ふーん。興奮するんだー」


「…………どうかしたか?」


 妹に怪しい笑顔が浮かんだ。これはろくでもないことを考えてる顔だと、経験からわかる。


「ね、兄貴。葛根湯、一気飲みする気ない?」


「……なにゆえに」


「葛根湯で興奮して『辛抱たまらん!』になった兄貴を、わたしが誘惑し」


 ぺちん。


「……いたい。兄貴、最近わたしのこと叩きすぎ」


「おまえが叩かれるようなことばかり言うからだ。第一、押し倒されて錯乱したくせにそういうこと言うな」


「あ、あれは……心の準備できてなかっただけだし! 今は違うだし!」


 おい、言葉が変だぞ。…………やっべ、自爆した。俺も赤くなってるのが自分でわかるわ。


「………………」


「………………」


 お互いに爆撃して、焼け野原になってしまった。気まずい。俺としたことが、痛恨の誤爆。


「ま、まあ、なんだ、忘れようあのことはうん」


「……忘れないよ」


 …………んあ? 今、なんと?


 妹が髪をかき上げて、あっけにとられた俺に向かって続けざまに言ってきた。


「絶対、忘れない、かんね」


「………………」


「わたしは……心の準備、済ませたよ。夏祭りの時に」


「………………」


「……だから、いつでもいいよ、お兄ちゃん」


 何がいつでもいいよ、なんだろう。わからない。

 ……いや、わからないのは、こいつの心の中だ。まるで俺の知らない……そう、以前に感じたときと同じような。


 だが。


 その時と違うのは、こいつが悲しそうな笑顔ではなく、幸せそうな、それでいてやたらと色っぽい笑顔を浮かべていることだ。


「……おまえ、何を……」


「……なんちゃってー。受験前に、何を考えてるの、兄貴? ふふふのふ」


 ぼかっ。


「……いたい」


 ぼかぼかぼかぼか。


「いたいいたいいたい兄貴やめてってばごめんなさいごめんなさいわたしが悪うございましたごめんってば!」


「……バ・カ・や・ろ・う・が!」


「……冗談です。本当にごめんなさい」


 深々と頭を下げる妹を見て、俺はやっと手を止めた。……怒りの、いや……ドキドキのやり場がない。


「……受験前にたちの悪い冗談やめろ」


「はい、反省してまーす。…………時期尚早だったかな。焦っちゃだめわたし、もっと時間をかけて繰り返し……」


「……なにをブツブツ言ってる、ひとりごとか?」


「なんでもなーい。じゃ、わたしはこれから着替えて、買い物に行ってくるよ」


「……わかった」


 そういってリビングを出ようとした妹が、ふと立ち止まって振り返る。


「あ、そうそう、兄貴」


「……まだ何かあるのか?」


「押し倒すときは、あらかじめ言ってね」


「!!!」


 俺は生薬の本を妹にぶん投げた。


「わっ! ……本気にしないでってば。じゃ、着替えてきまーす」


 バタバタバタ。

 足音を立てて、夏の終わりの台風、過ぎ去る。


 まったく、あいつは!

 いったい、何を考えてるんだ。


 あいつは…………



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