妹と鼻に詰めたティッシュ
「……眠い……顔を洗って目を覚まそうかな」
何度迎えてもけだるい朝。俺が目をこすりつつ、部屋から出て洗面所へ向かうと。
客観的に見て、容姿だけならそこいらのお嬢様も裸足で逃げ出すくらいの美少女な我が妹が、洗面台の鏡とにらめっこをしている真っ最中であった。
驚異のツヤツヤ感を誇る、ストレートロングな黒髪の手入れをしているのか。もしくは、ぷるぷるキュートな唇のメンテナンスをしているのか。そんなことを考えながら、洗面台の鏡を覗き込んだら――――そこには、予想の斜め上を行く恐ろしい光景が映っていた。
「……お前、何で朝っぱらから、鼻の穴に指つっこんでるんだよ……」
「あ、おはよう兄貴。なんかね、鼻の中におできみたいなのができちゃって、確認してた。痛い」
俺も春先にそんな経験をしたことがあるが、春先は鼻の中にできものが出来やすい季節なんだろうか。んなわきゃないかとは思うが、我が家の遺伝的要因がひそかにあるかもしれない。
「いじるとよけいひどくなるぞ……見た目だけは美少女カテゴリーなお前が鼻くそほじってる姿って、むっちゃシュールだわ……」
「鼻くそはほじってなーいー! あー、痛いしすごい気になる〜〜」
そう言いつつ鼻の頭をおさえながら振り向いてくる妹の顔を、下から覗き込む。
「どれ、どこにできてるんだか見せてみろ」
「やだ、恥ずかしい。見ないで」
拒否られた。
「なんかさー、鼻の穴を下から覗き込まれるのって、スカートの中を覗き込まれるより恥ずかしい気がする」
「鼻の穴に指つっこんでる姿はいいのか……」
そんなやりとりを忙しい朝にやってたら、兄妹で遅刻しそうになった。二人並んで、駆け足で登校する。
「あー、まだなんか気になるなあ。鼻の中いじくりたい」
「学校についたらやめとけよ。お前に言っても無駄かもしれんが」
「さすがに教室ではしないよ。休み時間にトイレに行ったらいじるかも」
「……そのうち血ぃ出るぞ」
会話しながら駆け足だと息切れが半端ない。学校に着いたときには兄妹揃って瀕死だった。
―・―・―・―・―・―・―
「よっ、今日は兄妹仲良く登校か」
教室に着くなり、クラスの奴に声をかけられた。
なんだかんだ言っても、妹はその超絶美少女っぷりで学校内では知らない奴がいない。
無論、中身の残念さも同じくらい知れ渡ってしまっているのだが、妹を小馬鹿にした奴に対する、以前の俺の武勇伝も同じくらい知れ渡っているので、表立って残念美少女扱いする奴はほぼ皆無だ。
「ああ、なんか妹の体調が良くなかったみたいでな、遅刻しそうになった」
「それで走って大丈夫なのか?」
妹の名誉のために詳細は伏せておこう。嘘は言ってない。
わざわざ残念さをアピールする必要もない。俺が知ってればそれでいい。
俺はその後は無言を貫いた。
―・―・―・―・―・―・―
そんなこんなで学校も終わり。
俺は特に寄り道する気力もなく、素直に帰宅した。まだ妹は帰ってきてないようだ。
帰宅するなり、居間のソファーに座りながらボーっとすること数分後。玄関のドアが開く音がした。
「兄貴もう帰ってきてたんだね。ただいま」
居間に来てそう言ってきた妹の左の鼻穴に、丸めたティッシュが詰まっている。
「鼻にティッシュ詰めてどうしたのお前……」
「ん? いやね、やっぱり気になって帰る前にトイレでいじってたら、血が出てきちゃって。なかなか止まらなかったし、止まるまで待つのもなんだから詰めて帰ってきたの」
しれっと妹は言い放った。しれっと。
「……そのまま帰ってきたのか…みんなの視線集めすぎだろ……」
「んー、まあ多少はね? 別に気にしないけど。よくあることじゃん」
お前みたいな容姿端麗な人間が、鼻にティッシュ詰めたまま帰宅する姿がよくあることとは思えん。こいつの中ではよくあることとして処理されているだけだろう。
「血はまだ止まんないのか?」
「だいたい止まったかな。でも痛いのが一番つらい」
「……ドラッグストアにでも行って、鼻の中に塗れる化膿止めでも買ってくるか……」
やれやれどっこいしょ、などど大げさに声を出して、俺は兄としての責務を果たすべく再度玄関から外へ向かった。
―・―・―・―・―・―・―
「ほれ、抗菌剤の軟膏だ。塗っとけ」
「さんきゅ。なんでこんなになったんだろ……」
兄の前でも遠慮せず、鼻の中に指を突っ込んで薬を塗りながら、妹はつぶやいた。
「……誰かの呪いとか」
「兄貴じゃあるまいし、呪われるようなことをした記憶がございません」
返す言葉もございません。
「じゃあ、想われおでき、とかか?」
「こんな思いするなら、想われなくていいわ、マジいいわ、遠慮したいわ」
本当に嫌そうな顔をして妹が漏らした。つまり、思い当たる節があるというわけだな。なんだ、想いじゃなくて呪いじゃないか。
「想われおできとかだったら、しょっちゅうできそうだしな。お前なら」
「…………そんなことないよ」
ちょっと間を置いて妹が否定する。表情が少し曇った気がしたが、そのまま俺はさらに問いただすようにつづけた。
「いや、あるだろ。いったい何人に告られたよ? 高校入学してから。五人目から先は俺も数えてないぞ」
「だから、見た目だけで告られても、ウザいだけだって。つかなんで数えてるのかな? キモい」
「兄の愛をキモいと言い放つか貴様」
「兄の愛を具体的に説明プリーズ」
「可愛い妹が不幸にならないよう見守ること」
「………………」
――――気のせいか、いつのまにか妹の表情が戻ったように思う。
いや冷静に考えて、なんでこいつの顔色を気にしなきゃならんのだ俺は。
「……大丈夫。わたし、人を見る目はあるから。そのあたりは自信あり」
「ん、それは確かにそうかもな。お前、人の心とかに敏感だし」
「兄貴には負けるよ」
妹がその言葉とともに微笑んだ――気がした。それにつられてなんとなく俺も笑いたくなった。
「まあ、心の中がわかるのは……お前くらいだな。だてに長年兄貴やってねえ」
「…………兄貴にはかなわないな」
よくわからないやり取りの末に、敗北宣言が妹の口から出てくる。お、なぜか俺が勝利? なにこれ、まぐれ? まあ、勝利とかはどうでもいい。が、なぜかちょこっとだけ気分がいい。
「よし、では頼りになる兄貴が、妹に肉まんでも奢ってやろう。コンビニ行くか?」
「行くー! あ、肉まんに興奮して、また鼻から血が出てきた。ティッシュ詰めていくから、少し待ってて」
「おう」
結局、妹は帰宅してきたときと同様、左の鼻に丸めたティッシュを突っ込んで、俺と一緒のコンビニに向かって出かけた。
なんとなく一緒に歩く距離が近い。
「へっへー、肉まんのお礼に腕でも組んじゃおっかなー? カップルに見えちゃうかも?」
「腕を組めるもんなら組んでみやがれ」
「はいな」
半分冗談で言ったら、躊躇せず妹は腕を組んできた。うーん、まったくドキドキしないのはさすが妹相手だ。
「お前が鼻にティッシュ詰めてなければ、カップルに見えるかもしれんぞ」
「じゃあ、鼻のおできが治ったら、また肉まん買いに行こっか」
「おう、完治祝いにまた奢ってやろう」
「やた。その時も、腕、組むよ?」
まったくドキドキはしないけれど。
可愛い妹と一緒に歩いてるんだ、気分が悪いわけがない。
だが、この気持ちをどう表現すればよいのか、俺にはボキャブラリーが足りないようだ。
まあでも。
妹が笑ってるなら、それでいい。
「こんなわたしでも一緒に歩いてくれるのは、お兄ちゃんだけだから……ね?」