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テストと兄妹の糸

 七月に入り、もうすぐ夏休み――の前に、期末テストだった。


 まあ、三年生ともなれば、毎月二回はテストがあるわけだから、別に定期テストが一回や二回増えたところでなんということはない。


 ――のだが。一年生には、そうでもないらしく。

 結果も出たであろう日に帰宅したら、リビングのソファーの上で、制服姿のまま妹がうつ伏せに横たわっていて、ピクリとも動いてなかった。


「ただいま。どうかしたのか?」

「……おかえり。もうだめ。しにたい」


 へんじはあった。しかばねではないらしい。

 この時期にこいつがこれだけ落ち込むということは、明らかにテスト絡みの何かだろう。


「テスト、だめだったのか?」

「数学赤点。追試確定」


 やっぱりそうか。


「何点だったんだ?」

「………………二十三点」

「平均点は?」

「五十五点くらい」


 言い訳できないくらい、見事なまでの赤点である。だが、それが自業自得だということを兄は知っているぞ。家族なめんな。


「テスト期間中、調子に乗ってひとりカラオケとか余裕ぶっこいてたくせに」

「いやなことを忘れるために、気持ちの切り替えを行ったと解釈していただきたい」

「カラオケの次の日が、数学の試験じゃなかったか?」

「……なんでバレてるの?」

「やっぱりか。カマかけただけだ」

「……誘導尋問ずるい」


 わりとウソがつけないタイプの妹は、こういった謀略の類にすぐ引っかかる。一発で留年とかはないだろうけど、いろいろと油断しすぎだろうがよ。バカモノ。


「自己責任だな。まあ追試がんばれ」

「……兄貴と海に行くためがんばる」


 こいつは語学系こそトップクラスなんだが、理数系は昔から苦手なんだよな。俺と真逆だったりするのがおもしろい。


「そうだな。おまえの水着姿見たいし」


 義務教育でもないのだから、自分の尻くらいはセルフで拭わせねば。そんな兄心からか、試しに思ってもないことを言ってみた直後、妹がうつ伏せのままガバッと上半身をそらして俺の方を振り向いた。


「……や、やだなぁーもう兄貴のスケベ。ま、まあ兄貴が見たいなら仕方ないからがんばるよ、うん、がんばる」

「? まあ、再追試とかにならんようにな」

「了解、死ぬ気でいくよ!」

「実際に死なないならよし。じゃあ、俺は俺でやらなきゃならんことがあるから、健闘を祈る」


 妹が起き上がり、気合いを入れ直した様子を確認してから、俺は階段を上っていく。顔も紅潮してやる気出たみたいだな。


「はーい。……もう、興味ないフリしてやっぱり見たかったんじゃん……えへへ、嬉しいなあ……」


 最後に何かブツブツひとりごとを言っていたようだが、まあ特に気にする必要はないかな。さて、俺は俺で物理問題の回顧をしよう。


―・―・―・―・―・―・―


 それからは、お互いに部屋にこもって悪戦苦闘。

 やつも夏休みがかかっているせいか、真剣に勉強していると信じたい。最初からそうすればいいのに、とは思っても。


 そして、間の夕飯も済み、風呂にも入って、自分の部屋で寝る前に最後のまとめをしている途中、扉のノック音が三回。妹かな。


「どうぞ」

「兄貴、どうしてもわかんないところがある。悪いけどちょっと教えてほしい」


 おお、わからなくても投げ出さずにきっちり尻拭いを始めたか。ちょっと感動したので、その意気ならば舐められるくらいきれいにする手伝いはしてあげるのが、正しい兄の在り方であろう。


「ああ、わかるところなら。問題は?」

「何か所かあるから、部屋に来てもらえると助かるかな」

「わかった」


 というわけで、兄は隣の妹部屋へ移動する。入った瞬間に感じる、年頃の女の子の部屋のにおい。――――俺は変態じゃないぞ。変態じゃないが、なんとなく落ち着かないな。


「ここなんだけど」


 妹が指差すところを近くで見てみると…どうやらベクトルの問題か。これくらいなら大丈夫だな。


 ふわり。


 近くに寄ってすぐに、妹の髪のにおいが鼻腔をくすぐる。部屋のにおいとあいまって、落ち着かなさの加速装置が発動した。いかんいかん。


「ああ。ここはだな……」

「お願いします先生!」


 俺は煩悩を振り払うように本題に入った。


 ……………………………


「なるほどー。ありがと、もうベクトルの問題は大丈夫だよ」

「本当に大丈夫なら教えた甲斐もあるのだが……本当だな?」

「本当。兄貴、教えるのうまいし」

「……そうか。お役に立てて何よりだ」

「理数系はさすがだよねー。あとは、こことここの問題やって今日は終わりにしようかな」


 時計を見ると、妹の部屋に来てから既に一時間半経っていた。集中すると早いもんだな、などと思ってたら、その時ナイスタイミングで音が聞こえた。


 ぐぅ〜。


「……あはは、集中してたから、カロリー使っちゃったよ」


 妹のお腹の音だった。まあ夕飯から既に四時間以上過ぎてるしな。少し顔を赤らめつつそんなことを白状する妹をねぎらうことにしよう。


「それだけがんばった証拠だな、お疲れさん。俺も小腹がすいた感じ」


 そういって何か軽食でも……と続けようとすると、ジャンクもの大好き妹からとある提案がなされる。


「あ、じゃあ、この前カップめん売り場を探索してたら見つけた、ペ〇ングやきそばの新作、夜食として一緒に食べない?」

「ペヤ〇グの新作……? いやな予感。この前のような『チョコレート味やきそば』とかじゃないだろうな」

「大丈夫! 今回は美味しそうなコラボだよー。じゃあちょっと作ってくる」


 え、ここで食べるのか? ……まだ問題が残ってはいるのはわかるんだが、落ち着かないぞおい。


 そんなセリフを言うより早く、俺を部屋内に置いてきぼりにして、妹は階段を降りていってしまった。

 この前の薄い本バレの報復として何か探索し返してやろうか。そんな妙案が浮かびつつも、さすがに言い訳できない変態兄貴の道は避けようと理性でそれを制止。

 そしてきっかり四分後、妹が戻ってきた。やたら強いにおいのするペヤ〇グを片手に。


「……なんだその得体の知れないやきそばは」


 カレーのにおい、それはわかる。だが、それに加えて独特の臭気が――あ、これ納豆のにおいだ。


「これぞペ〇ングの最新作! カレーと納豆の絶妙なコラボやきそばだよー! 組み合わせからして絶対いけると思って」

「カレーだけとかでよかったんじゃないかな……」


 以前、どこかのスーパーで、ペヤ〇グ納豆味が大量に山積み処分販売されてたのを見たけど……懲りてないのかメーカーさんよ。

 その時点で半分引いていた俺だが、妹はマニアとしてこだわりがあったらしく。


「でも、納豆感が足りないような気がしたから、冷蔵庫にあった納豆も足してきちゃった」

「よけいなことをしやがって……」


 追加攻撃によるにおいテロ。部屋の中が、妹のにおいとカレーのにおいと納豆のにおいとがミックスされたフレグランスに包まれている。こんな芳香剤販売したら、間違いなく返品の山だな。

 ま、いいか。こいつにやきそば全部食わせれば。俺はあとで食パンでもかじろう。


「うまそー! お腹すいたし、いただきまーす! ……もぐもぐ……ん、カレーと納豆って最高に合うね! 組み合わせ考えた人天才!」

「……さいですか。全部食っていいぞ」


 幸せそうに食ってる妹の口とやきそばの間に、何本も糸が引かれている。――――これが納豆の糸じゃなければエロい光景なんだがな。すべて台無しにする納豆感。


「え、兄貴食べないの? ほら、あーん」

「遠慮しとくわ。味を理解できる人間が食べた方が、やきそばも幸せだろう」

「いいからいいから、ほいっ」

「むぐっ」


 妹に口をゴーカンされた。中に感じるのはもはややきそばではない何かの味。もうお婿にいけない。


「……どう?」

「べふべふぎたべたほうがうばいとおぼう」


 口の中に怪しい物体があるせいで、日本語が変だ。……でもやきそばの味よりはわかりやすいと思うから訂正しない。


「ふふっ……えい」


 妹は、俺の言葉を理解したのかしないのかわからないような笑みを浮かべて、俺の口の中に突っ込んでいた箸を自分の口元へくっつけた。


「……ふふふ、兄貴と糸を引く間接キス」

「……アホかおまえは」

「納豆が取り持つ兄妹の縁、なんてね」

「すぐに切れそうだな」

「そうかな? 意外に粘りそうだよ?」


 繰り返すが、納豆の糸じゃなければ妙な気分になったかもしれない。納豆じゃなければな。

 二人して大声で笑った。オヤジとおふくろに聞こえたかもしれない。


「兄貴と兄妹じゃなかったら、ベクトルの問題も、このやきそばの味も知らなかったんだね。わたしは」

「……いいから、早く食え。残りの問題やるぞ」

「うん。楽しい夏休みのため、がんばろー」


 納豆のような縁か。

 すぐに切れそうで、でも繰り返ししつこく粘って、そして――


 ――ちょっと、クサイ。


「その意気やよし。どれ、わからないことはなんでも教えてやろう」

「頼りになります先生! 惚れそう」

「おまえ、惚れっぽいな」

「………………ばか」


 今度は二人してクスクス笑いだ。思わず漏れた。


 納豆のように粘れ、テストも人生も、兄弟の絆も。

 未来は俺たちの手の中だ。




「これからも、わたしが知らないことたくさん教えてね、お兄ちゃん……」

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