神子の力
───ニャァァッ!!
灰の影しか視認できないほどに高速で移動した猫が魔獣の腕を蹴って、レオンの服の襟を噛み、駆け抜けた。
その御陰で拳の威力の大部分が失われたが、それでも子供の体が吹き飛ぶのは免れられない。
「くっ────っぁ」
家に激突する寸前にレオンの襟を噛んだままの猫が空を蹴り、レオンを投げ飛ばす。猫が反動で代わりに家の壁へと激突──せずに、着地する。
「痛っだぁ………」
頭から血を流しながら、立ち上がったレオン。手足に痛みがあるものの折れていたり外れていたりする様子はない。矢の入った袋もほとんどノーダメージだったのは奇跡と言っていいのか、猫の力加減か。
『グァァァァ!!!』
狂乱している魔獣をレオンは見た。なんと、レオンが殴られた瞬間に矢は放たれていたのだ。それは空目掛けて天高く飛んでいって、落下そして命中。
そして当たったのは偶然ではない。
緑の矢は【必中】の刻印が刻まれていたのだ。
しっかりと矢は魔獣の左目を貫いていた。視界を半分潰された魔獣は激怒した。これで狙い通りに囮になったわけだ。
「五発目は、卑怯だろ」
レオンは魔獣の四本の腕から連続で四発までしか殴ってこれないだろうと思っていたわけだが、それは思い違いだった。当たり前のことではあるのだが、そこは魔獣の狙い通りと言うことだろう。
歯噛みしながら、袋を抱えて走り出す。大丈夫だ、足に違和感はない。レオンはまた走り始めた猫を追って魔獣から逃げる。
背中を突き抜けていく魔獣の怒りの咆哮に恐怖を感じながら、逃げる足を止めないように歯を食いしばった。
どれだけ逃げただろうか。
すでに日は没した。
暗くなった視界のせいか、限界を迎えてしまっただけか。
躓く。
「あっ」
倒れることは免れたが、魔獣がそれを見逃すことはなく───
───ニャァァアアア!!!
飛び込むような猫の突撃で振り下ろされた拳が逸れた。
レオンの真横に逸らされた拳が突き刺さる。地面が爆ぜ、体が浮いてしまうが、彼にとってそれよりも大事なことがある。
「ニャーちゃん!?」
───フーッッッッ!!
軽快な動きで魔獣の腕を飛び回り、昇っていく。
煩わしそうな様子で魔獣は、猫を手で払おうとするが、猫を捕らえきれず、猫が目に刺さった矢に体当たり。
『ッッァアアアアア!!!』
翻って駆け出す猫をレオンは追いかけ出す。
「片目だって言うのに……」
深く刺さった矢は片目を完全に潰していた。しかし拳の狙いはどんどん冴えていく。当たっていないのは、多分運だけの話だとレオンは思っている。
走り回っているのはすでに人通り無い廃屋街。幾つか無惨に朽ちている家が散見される。
『ゴウ!!』
そうでない家も魔獣の移動の妨げになれば吹き飛ばされる。
逃げる先は猫任せ。だというのに。
「見失った………っ!!」
そして、曲がると、そこは袋小路。
『グフアァ………』
追いつめたとばかりに笑う魔獣。
「────やっと着きました」
その声は猫とともに降りてきた。
「………レシア、さん?」
その女性は引き摺るようなほど長い着物を身に着けていた。紅白の上に金の装飾。金の装飾が薄く光を放ち、同時に抜刀をする。
「ありがとう、つれてきてくれたのでしょう? レオン。私はあんまり動けないから、大変だったでしょうけれど」
振り返ったレシアの微笑みを見て、レオンは何か嫌な予感がした。
それは何か間違えたような、そんな感覚。確か、あの職場でそんな笑いをした人を見た気がする。
「レシアさん……?」
「……問題ないですよ。あの程度の獣にてこずる私では無いですから」
「そうじゃなくて………」
負けるかどうかを心配してるわけじゃない。レオンは刀を見た。柄から金の紐が、着物の装飾と一体化するように伸びていて、刀の威圧感が増していたことにレオンの目は牽かれたのだ。
「ふふ、目に刻んで下さいな」
レシアは前に出た。金色の装飾を光り波打たせながら。
それだけで魔獣はバラバラになった。
腕が焼かれ、凍てつき、四つに裂け、輪切りになり、地面から伸びだした土の槍の数々に貫かれ、極光が襲う。
それは一瞬の出来事で、瞬きしたら残骸すら残らずに、ただ残ったのは何かがあった跡だけであった。
「ね?」
過剰な暴力を振るったレシアは振り返り、レオンに笑いかけた。しかしレオンは尚も心配するような目で、レシアを見ていたのだった。
「え、と。怖かったですか? レオンくんを襲った魔獣ならもうこの世には──」
「大丈夫なんですか」
言葉に割り込んだレオン。それを安心させるために顔を近づけて言い聞かせるようにレシアは言った。
「ええ、もう倒しまし」
「いえ、レシアさんです!」
「私?」
びっくりしたように、レシアは問う。
「今ほどの力って刻印術ならかなり魔力を食うんじゃ……」
「あぁ、そんな事」
「そんな事って……」
変な笑い方するから心配になっちゃったんだよ、とは言えなかった。思い過ごしかもしれなかったからだ。
「この刀、凄い数の異能を封じた物で、神子たる私はその力を自在に使えるのです。ですから心配はいらないのですよ?」
「………へー、そうなの」
レオンは引き下がった。猫がレオンに飛びついてきて、可愛がっていた。
だから、安堵したかのようなレシアの吐息は誰も聞いていない。




