彼の名は
──────ここは、どこだ。
彼が口の中で小さく呟くと答える声があった。
「どうも久しぶりね……いや、この場合は初めまして、何て言うべきかしらね……言ってみたいわね一度こういう台詞……長年下界の一個人に憑依した甲斐があって最近は安定してるし────っていたの!? ようこそ私の神域に」
▷とても、ポンコツの臭いがする。
▷独り言とか、虚しいですよね。
彼の感想としてはこの二行に限る。
「………おほん。何ですかその目は」
咳払いのような仕草をして仕切り直そうとしても無理です。彼はジト目で女性を見ていた。
そう、この独り言を呟いて何やら微妙にテンションの高いこの女性。彼女はなんと───
「神を見る目がなってませんね……もっと崇拝してくれませんか?」
神なのです。背中の半ばまでまっすぐ伸びた黒髪、そして黒目で見た目は日本人みたいで、神と言うにはそれっぽさが足りていないが。
「………帰る」
彼にとって辺りの特異な風景よりも、女性の言動が真っ先に気になってしまった。いざ帰ると思って周りを見渡して、それは無理なことなのではないかと思い直した。
「……帰りたいんだけど、そもそもここはどこだ、真っ白いビルの屋上に見えるんだけど、どこから降りれるんだよ」
白いのはビルだけでなく、世界中が、であった。見ていると足下の感覚が狂ってしまいそうで彼は、自称神様を見ていた。
「ビルじゃなくて時計塔です」
「時計塔? なんでそんなもの」
彼にとってまず現状に疑問しかない。聞けることは手当たり次第にでも聞きたいのだ。
「私が神様ですから」
「え、時計塔の?」
「違う、時間のです」
「いや、へぇ、そうですか」
「何よ、分かったら崇めてくださいな?」
「それより女神さん────噛まれてますよ」
「ええ知って──えぇちょっ!!? 痛い痛いやめて引っかかないで!!」
自称神様の頭に猫が牙を立てていた。白っぽい猫だ。
「やめて私は爪とぎ板じゃないから!! 今の私と今のあなたでは明らかに私の方が格下だからやめてくださいお願いしますぅ!!」
「…………神じゃなかったのか……?」
白い猫が満足したのか自称神様から飛び降りる。そのままゆっくりと彼の方にやってくる。
────にゃぁ
「やっぱり猫は可愛いなあ」
足元まで来て体を擦り付けてくる猫に、彼はしゃがんで撫で回そうと手を伸ばし───
「何だ………これは……」
最高の毛並み。手に良く馴染む撫で慣れたこの感じは………っ!?
彼は直感した。
「うそ、ニャーちゃん……?」
今更だが、ネーミングセンスは彼に欠けているいくつもの要素の一つだ。安直なネーミングになってしまうのは実際仕方ないが、なぜこんな子供が付けるような名前にしたのだろうか。
──にゃ?
外見は白い猫だと言うのに一つ一つの仕草に人間味を感じる。彼にとっては馴れた飼い猫の仕草だ。
小馬鹿にしたように自称神様に振り返る。こんな動きを自然にする猫なんて彼には自分の飼い猫以外にいないだろうなんて思っていた。
「そうですよ、その神獣、あなたの飼い猫ですよ。分かったです、馬鹿にして悪かったですね神獣」
──んにゃ
そう言うと毛並みがいつも見慣れた銀に変わる。ついでに長いしっぽが二股に分かれているのがわかる。
「尻尾が二本……二倍……おおニャーちゃん……」
「先輩が壊れた……じゃない……。えっとあなたにはやってほしい事があります……けど、正直これは私達神々の問題ですし、無理難題押し付けるとそこの神獣さんが暴れそうなんで、言いません」
「……ん?」
「まあ、つまりは無理難題押し付けてやろうと考えてましたけど、考え改めて私1人でやりますから気にしないで下さいって事です……」
「いや、良いんだけどそもそもさ、俺今どうなってるの? ずっと聞きそびれてたけど」
「死にましたね」
「え?」
「歩行中に脳出血。ついでに倒れたところが階段の所のせいで転げ落ちながら頭を更に打ち付けて……死にました」
「ん? 冗談止してよ、白昼夢か何かでしょ?」
「……だからあんな会社辞めれば良いのにって言ったのに……」
「えっ、何て?」
聞き取れないほど小さい声で、自称神様はつぶやいた。動揺と相まって彼は完全に聞き損なった。
「夢じゃないですぅー! 良かったじゃないですかーっ! 一般会社員さん! ブラック企業からの永続解放ですよぉーっ!」
「じゃあ、ニャーちゃんは……」
「そこの神獣じゃないですか。ちょっと可哀相とは思いましたからちょちょいと拾ってこーとしたんですけど、まさかの格で私様も驚きです」
「えっと、つまり?」
「あなたが拾った猫、そもそも神獣です」
「えっと、つまり?」
「いやぁ、誰がそんな捨てるなんて勿体ない……もとい、可哀想なことをしたのか……知りませんけどね」
「いや、ニャーちゃんは生きてるの? 俺が、あんまり信じられないけど……死んでるとしてさ」
「……飼い主が死んだ動物の末路、聞きます?」
「…………」
彼は、少し迷いながらも首を縦に振った。
「言うだけなら一言なんですよ。飼い主の帰りをただひたすら待ち続けたって、それだけのはな──っしちょっと照れ隠しか何か知らないけど本当に引っかくの止めて!? 下界に居た頃ならともかく、今ここでじゃ洒落にならないの!!」
「………ごめんな、ニャーちゃん………」
彼が涙を流しそうなくらい感極まってそう言うと、猫は引っ掻くのを止めて自称神様から離れる。彼から離れた位置で2人から背を向けて寝そべる。
「くっ、うう、痛い……全く神を何だと思ってるんでしょうかね……」
「誘拐魔。」
「いや、ええぇ……誘拐、誘拐ぃ? あ、確かに誘拐かも……本来の死者の扱いとは全く違うし……」
────にゃぁぁぁあ
「あー、はいはい分かりました。分かりましたから、焦らないでくださいませ」
「さっきからニャーちゃんと話してるように見えるんだけど」
「話してますよ? 神獣ですし、言語を解する能力位ありますよ」
「神様って凄いんだな」
「──……凄いのは神獣の方なんですけど……本題に入りますよ、ずっとぐだぐだしててもしょうがないですから」
自称神様が一瞬喜んだような気がした。彼は、その後に呆れたみたいに溜め息を吐いた自称神様を見て、見間違いかな、と考えを捨てたが。
「あなたが居た地球とは別の生き物が住める場所に……というか、異世界ですけれど、改めて転生させます。神獣さんが居れば多分死なないから安心してください」
「異世界? きな臭いなぁ」
「……まぁ、色々目的があって、手先のように使ってやろうかなんて痛いっ!! さっきしないって痛いです!! って言った──っい!!」
猫がまた自称神様の頭をかじる。爪を立てる。
「目的は? よく分かんないけど手伝えるかも──「駄目です!」──……そっか」
自称神様は即答した。彼は問い質さない。
これが即座の答えでなかったり、猫に怯える動きがあったりしたら、問い詰めただろう。首を突っ込まなくても良い事情と言えど、大変なら手伝ってあげたいと考えるのが彼の性格であり──。
少しだけ猫が、自称神様を見直したように思えて、自称神様が首を傾げた。
「どうかした?」
勿論彼に飼い猫の心の内が分かるわけでもなく、しかし機嫌が悪くはないことだけはしっかり分かった。
「何でもないです。まぁ、先に断っておくと、転生する世界の時間と場所が大まかにしか分かってないですから気をつけてくださいね、あとあなたの肉体年齢は10歳かそこらですのでそれも気に留めてくださいね」
「……どんな世界?」
「うーん、魔法は元々あったみたいなんですけど、文明ごと滅んだ感じで……場所によって文明レベルはまちまちですね。転移先は大きい島だと思いますけど、今あの世界を観測するほどの余裕は実はなかったので本当の姿は分からないです」
「それ、大丈夫なの?」
「さあ? 私の観測時間的に、最後に観たときから結構時間経ってるので完全にブラックボックスですよ」
どうやら大丈夫ではないらしい。
「最初は私も居るには居ますが、ちょっと本来の力よりと数千段くらい落ちてるんで、力にはなれそうにないんですよね……」
弱々しく、自称神様はそう言った。
「数千段……?」
「神様、なんて言っても今の私では神の力を振るえるほどに力を蓄えては居ないわけで下界に行ったら、『普通の人より強くてちょっと魔法みたいな技が使える』程度の存在でしかないんですよ」
───ただ、自称神様は公言しなかったが、この神域紛いな空間でも彼女の強さは変わらない。
「ま、弱体化してるのはあなたとは全く関係ないところで支払った必要経費なんで、気にしないで良いからね」
不安が無かったかのように見せ、ニコニコとそんな事を言われて彼は少しだけ困惑する。
「いや、気にするでしょ」
「別行動するし、関係ないでしょう?」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
「んで、話したいことはもうそんなにありませんが質問とかあれば受けますよ、何か抜けがあるかもしれませんし」
彼はそれを聞いて初めからずっともやもやしていた事を聞く。
「そう言えば、君のこと、何て呼べばいい? それと、俺の名前、思い出せないんだけど………」
「え………? ちゃんと治したはず……失敗した……ってだからひっぱたかないでください」
猫パンチくらう自称神様。
「えっと、多分なんですけどどれくらい記憶がはっきりしてます?」
「ちょっと物とか人とかの名前が分かんない位かな……曖昧というか思い出そうとして靄が掛かってるというか……それがどうしたの?」
「……そのレベルで自覚出来てるという事は……もっとヤバいですかね………────あなたは脳出血で死んだじゃないですか」
「死んだって……まあそうらしいね」
「脳出血って一命を取り留めても記憶障害が残るって聞いたこと有りますし恐らくはそう言うことで……私は先程あなたにそう言うことがないようにちょっと手を加えたんですが、失敗したようですね」
「えっと、俺の名前……」
「知ってますけど、これからせっかく異世界に行くんですし……名前考えましょうか」
「うぇ……別に変えなくてもいいでしょ」
「ちなみに私の名前は───………本名は正直なところ名乗れません。力を取り戻すまで下界で私の実名が流れてしまうと活動に支障があるかもしれませんから」
「どう呼べばいいの? 後俺の名前は……」
「私の名前は折角なので、あなたが考えてください。私はあなたの名前を考えますから……えっと、先に言っておきますが日本人みたいな名前は結構目立ちますからね?」
「むむ………」
彼は思い悩んでしまった。お世辞にもネーミングがある、とは言えないことを自覚しているからだ。
彼は今居る場所を思い出す。時計塔だ。もしかすると彼女は時計塔に関する神なのかもしれない──そう考えて彼は結論を出す。
「 塔子? とか?」
「…………すいません、それ何見て考えました? 塔ですか塔ですか!?」
「え、やっぱ 嫌だよね……」
「いや良いですよあなたが考えた名前だったら女性に付けるような名前じゃなかったりどう考えても嫌がらせな名前じゃなかったら何だって受け入れますよ!!」
「えっ、そう?」
「ええせ──あなたの為だったらたとえ 太陽の中 水爆の中!! 何でもしましょう!」
彼はその言葉にどう考えても初対面の態度じゃない、かなり強い好意を感じて少し、いやすごく戸惑っていた。
彼女──トーコも彼のその戸惑い感じたのだろう、誤魔化すように笑い話を切り替えた。
「あなたの名前は───レオンです」
───なんだか、しっくり来る気がする。もしかすると似たような名前だったのかもしれない。
「ま、名前変わると生まれ変わったような気がしますでしょ? ブラック企業に勤務してたことなんて早く忘れて、第二の人生を謳歌しましょう!!」
「そ、そうだね……」
「さてと──」
トーコが指を弾く。すると床から円柱が一本せり上がってくる。
大きさは直径二メートルよりちょっと大きく、高さは三メートルほど。
「これに入って……その先が異世界です。最初は私も一緒ですから頑張りましょう!」
「そうだね一緒に頑張ろうか、トーコちゃん」
「誰にでもチャン付けするんですね…」
「ん?」
「チャン付けしなくて良いですよ、加えて後から行くんで私のこと気にしなくて良いから先に行ってて下さい、私は私で、ちょっとこの神獣と話がありますから!」
トーコがレオンの背中を押す。円柱だと思っていたものの外縁部分は曖昧になっていて、円柱の中にレオンは押し込まれた。
「ふぅ、これでよし」
────何故
「あ、神獣さんに力を分けたことですか? まあ己の神としての力を分け与えるなんておかしな話ですよね。他の神だったら『何故人に力を貸さねばならない?』とか何とか言いそう」
笑いながら、トーコはそんな事を言った。
「……ちょっと前まで下界で人に寄生して力を蓄えてたんです。それ以前に世界を塗り替えるレベルの大技を二回も使ってしまって神気みたいな、神様エネルギーがスッカラカンになってて仕方なく、仕方なくですよ? 女性の幼児に二十年ほど」
二十年もあれば人は成人する。それほど長い間人に寄り添っていれば、なるほど人に精神性が寄るのは分からなくもない。
神にとってはほんの一時だろうが、トーコはそうは考えてなかったようだ。
「今まで自分が一番だと、ずっと思ってきましたから、神より脆弱な人として生きて、すごく怖かったんです」
───ゥゥ
「自分で選んだ癖に途中で投げ出すなんて考えてて自分は結構弱かったんだなあって……まぁ、肉体に引っ張られて、な感じなのと私の憑いた体の持ち主の心に影響を受けたかもしれないんですけど……」
───ゥ
「勿論体の持ち主に動きを任せてましたよ? 私は寄生する立場ですし……自由にさせてたの。それで時子……あの子は1人の男の人に恋したの」
猫の目が鋭く光る。トーコは怯えたように数歩退く。
「あ、あくまであの子の方が彼に惚れてたのよ、お世話になった代わりに私が─────」
猫はその言い訳じみた言葉の数々を聞いてなんかいなかった。心が引っ張られる、そんなことがあるなら───。
「なーんでーすかー!! そんなわけないじゃないですか!! 私が、あの子じゃなくて、私が先輩を好きになるなんて!! 引っ張られたのは時子の方って!」
顔を真っ赤にして何気ない猫の思念に全力で否定するトーコ。
───実際時子という女はレオンの職場から離れる選択をしたのだから事実ではないのか。こんな所にまで追いかけてくる地点で語るに落ちているのではないか。時の神クロクス。
「………いや、わたしじゅうぶんちからかいしゅうしたし、かいしゅうできたし。だからわたしははかいのかみさがしにいくんだし」
───そのような人の女子とほとんど変わらぬ状態で、何が出来るというのか。
「突然人の言葉吐き始めたわね神獣」
───喧しい
「……だいたい先輩には死んでほしくないんですよ、もう。あなたに上げた力、どれだけ多いかは分かるでしょう?」
猫は深く長く、溜め息を吐くように一鳴きした。そのまま円柱に踏み込んでいった。
「何よ……悪い? あなたにとっても悪い事じゃないでしょうに……」
トーコは、吐き捨てるように呟いて円柱に入っていった。