土下座
レオンには猫の言葉は分からない。だが、何をしようとしたかは彼にだってわかる。
「すごいなぁ、ニャーちゃんは……」
立ち上がったトーコの様子はまだ暗かったが、まあ大丈夫だと思えるくらいには平静を保っていた。レオンはひとまずまたレシアの元へと行こうと考えて、声をかけられる前にトーコの前から姿を消した。
あの子を殴ったんだ。自分は。
「…………後で土下座だな」
レシアは逃げていったレオンを見て、どうしたものかと考えながら怪我人に手当てをしていた。どれだけ無駄遣いしたのか包帯の残りは少なかったが、不足するなんてほど残って無いわけでもない。
大抵の男が軽傷で済んでいたのが幸いした。それほど掛からずに大まかな手当てが完了した。
「やはり刻印術は流石ですね」
「まあ、唯一復活した奇跡の技ですし」
そう言ってレシアは頭上を見る。空は晴天で、そういう日は頭上の白い半透明の柱がよく目立つ。曇りの日は紛れてほとんど見えないが、こういう晴れの日であれば、今にも崩れそうな巨大な柱がよぉく、見えるのだ。
「相変わらず圧迫感ありますよね、頭上のアレ」
「どこ行ってもついて回りますからねその柱は」
ボードンが同意するように空を見た。あの柱はこの千百年の間、人々の視界の上に常に存在している。
それが魔法を封印する柱ではないかと言うことは、世間で良く議論されているが結論は出ていない。
ただ柱が大きく崩れて形を変えたと言う百年前。その日から千年のときを越えて刻印術が復活を果たしたことから何らかの関係はあるだろうと言われている。
「と言うか今はレオン様ですよ、彼どこに行ったんですか」
「見事に逃げられましたからね」
「村のどこかに居ると思うんですけれど、何で逃げたんでしょうね」
「一人で居たところを見ると………む、噂をすれば」
「あぁ、レオン様じゃないですか」
「どうも。さっきこれ渡し忘れてた」
レオンは歩いて二人の前に姿を現した。持っていた弓をレシアに渡す。
「あれ、これは……そう言えば何でこの弓と火矢を持ってたんですか?」
「でかーい兎が咥えてたから使わせてもらったの。まずかったですか?」
「いえ、神子様を守るための道具ですので、そのために使われたのであれば是非もありませんよ」
ボードンが一歩前に出て、弓を受け取る。
「ボードンさん、そうですか……良かった」
「結構腕も良かったじゃないですか? 全て暗殺者に当たってましたし」
「そうですか?? 皆さんの立ち回りが上手くて射線が広かったですから結構狙うのは楽で」
「まだまだ、頭、心臓に当たっている矢が一つもない。中には引っ掛かっただけの奴もある……これはただ燃やしただけ────慢心は宜しくありませんからね、レオン様?」
食い気味に、レシアが語る。レシアの言うとおり、矢で射抜いた者達の死因の殆どが焼死。刻印術の矢でなければ大した支援にはならなかったであろう。
「はい……分かってます……」
事実を突きつけられたレオンは落ち込んだ。
「まあ、一月後の儀式祭まで舞の練習の合間にみっちり弓の扱いを叩き込んであげますからね?」
「……はい!」
「神子様、舞の練習の方もしっかりお願いしますよ」
「わかってまーす」
分かってないな、とボードンは手を額に当てて深くため息を吐いた。
その日の夜になってようやくレオンとトーコは顔を合わせた。それまでどちらが避けていたのか、全く会うことがなかったのであり両者ともに微妙に気合いが入っていた。
「昼間は!! ほっんとーっにすいませんでしたぁぁ!!!」
「ふぇ!?」
入りすぎていた。主にレオン。
「あ、えと、別に……悪くないと思う……よ?」
「いや、あれはどう考えても!! ……俺が悪いです」
この期に及んで、自分が百パーセント悪い訳ではないのでは、という考えが頭に過ぎる。流石に口には出さないが、猫がいない状態であの発言はレオンにとって平静を失うものであることは、彼を良く知っていたならば少しは思い当たるのではないか。
本人がそう考えただけで、他人にその考えが理解できるかどうかは、不明である。
「頭上げてよ、そんなに気にしてないから」
気にしているしていないの問題では無い。レオンの中ではそうなっていた。トーコとしては取り敢えず部屋の中とは言え、土下座を止めさせたかった。
「嘘だ。気にしてないわけがない」
土下座をしたまま、頭を床に付けたまま、レオンはそう言った。思い込み、ではないはずだ。レオンはあの時の尋常ではない様子から考えて全く迷い無く言った。
土下座したまま。
「いいから頭を上げてよ……」
「………いや、上げない」
「私から話したいことがあるの、なんというか真面目な話だから顔を上げて、普通にして聞いてほしいの」
「話?」
「そうだよ、うん。あの時…取り乱した……理由に、たぶん近い話かな? たぶん。もしかしたら全く違うかもしれない……ちょっと自信ないかも」
「どっちなの…」
レオンは頭を上げる。ただし、正座は崩さない。正座には慣れていないが、崩すべきではないと判断したのだ。
「うん、どっちだろうね」
トーコは苦笑した。自信がないのだ、ちょっぴり笑みには翳りがあったのをレオンは感じた。
「………」
トーコはベッドに座り込む。それからかなり恥ずかしそうに両手を合わせる
「はは……これはちょっとだけ前の話なんだけどさ────」
目を泳がせたまま、トーコは話し始めた。
彼女が人として生きた二十年強の話を。




