じゃれ合い
つまるところ、トーコは神様なのだった。どれだけ神として消耗していたとしてもこの世界に刻印以外の魔法が使えなかったとしても、その理に縛られることはない。
故に彼女の司る『時』。その概念は未だ彼女の手中にあり、他人を停止させる事も遡る事も可能であり、ましてや加速減速など自由自在とまで呼べる次元である。
「────な……い……?」
レオンが一時停止から脱して動き始めた。動揺しているようだが、彼からは瞬間移動したように見えるのでそれは当たり前のことだと言えよう。
「ま、逃走に成功ですよ」
「………終わったの?」
「い……ええ終わってます。行っても無駄です」
いいえ、トーコはそう答えようとした。そう答えなかったのはレオンが猫を探しに行きそうだったから。軽々しくそう答えた。
その言葉の重さを深く考えずに。
「────っ」
だからトーコには、何をされたか。何で自分が倒れてるか。何が起こったのかが理解できなかった。
「…………行ってくる。もう止めるな」
暴力だ。レオンの右拳が握り締められて赤くなっていた。それに反してレオンはとても冷たい眼差しでトーコを見ていた。
トーコは自分が殴られたのだと言うことを漸く理解して、驚きや戸惑いよりも先に『恐怖』を感じた。
その、人を殺せそうな目が怖かったのだ。
「ニャーちゃん、今行くから──」
トーコはじくじく痛む左頬を押さえて座り込んだまま震えて固まっていた。
そのまま、トーコは自身が漸く連れてきた安全そうな場所から出て行くレオンの背中をトーコは見ることすら出来なかった。
<レオン視点>
戦闘が終わったという。嘘だ。それならニャーちゃんが側にいないはずが無い。
右手がいたい。ひとをなぐるのははじめてでなによりも、それをしたじぶんがそのことにあまりにもむかんしてんであるようにかんじて、しかしそのことに興味は無かった。
走る。疲れていようが、痛もうが、息が苦しかろうが何だろうが関係ない。目で確かめる。あの子が用もなく離れっぱなしと言うことはないのだから。
騒ぐ声が聞こえる。走る頭上に影が掛かり、目の前に白いもこもこした生物が着地する。
「うさ………ぎ?」
俺よりも大きい兎だ。白兎。うさぎ、もこもこしたウサギ。
そいつは俺の目をじっと見た。邪魔だ。俺はこの先にいるはずのニャーちゃんのところへ──
『とれ、のれ』
十秒も見つめてはいなかっただろう。その兎は俺をその視線から解放すると加えていた幾本もの木の棒を地面に下ろし、しゃがみ込む。
木の棒は弓と矢筒。十本程真っ直ぐな木の矢が入っていた。
取った。矢筒は肩に掛けられるようになっていた。直ぐに掛け、同時にうさぎに跨がる。痛かろうが走れる、なんて強がっていたが別に痛いのが好きなわけではなく、加えて言うと兎の方が圧倒的に速いだろうと考えただけの話だ。
『とぶ。つかまってろ』
言われたとおり掴まる。兎の首を抱くように。せっかくだからもふろうとか考えてはいない。ぜったいにだ。
文字通りひとっ飛びだった。
騒乱の現場に降り立つ。
いまだに血霧は男達を襲うが、先程倒れていた人達が嘘のように奮戦していた。集団戦前提で鍛えていたのだと言うことであり、最初血霧は上手く弱点を突いていたと言うわけだ。
取り分け目立つのがボードンさんと…レシアさんだ。男の人より強く見えるのは何故だろう。
血霧の一人が倒れる。瞬間霧が撒かれる。赤色の霧だ、それは色濃く漂う。特にボードンさんとレシアさんの所が濃く、そしてレシアさんの背後。
血霧が気配を消して佇んでいるのが見えた気がする。
「────ッ」
弓を構え、矢をつがえて兎の上で、狙いを付ける。
レシアさんが俺に気付いた。身を屈めて振り返る。が、それは間に合わない。
────撃った。
────避けた。
────燃えた。
「は……?」
それは誰の呟きだっただろう。俺か。それとも矢に貫かれて燃えた血霧か。
そして、身を屈めて弓矢の射線上をわざわざ広くしてくれたレシアさんはと言うと俺に向かってサムズアップして見せた。
そして、俺は駆け寄ってきたニャーちゃんに頭をどつかれて、兎から落ちた。
「ニャーちゃっ…──」
柔らかい肉球が左右の頬を交互に叩く。あっ、顔舐めるな結構変な感じするちょっ髪を舐めるなって!!
よし、撫で回すぞ。覚悟しろ。
「戦場のド真ん中でじゃれ合うのやめてくんない!?」
レシアさんの叫び声でようやく俺は正気に戻った。




