輪廻の鋏
店に入ると、店主が首を傾げ考え事をしていた。
余程、真剣に考えているのか、自分の来店に気付いていない様子だった。
脅かしてやろうと悪戯心が湧き、足音を忍ばせ近付き、声を掛けようとした瞬間、店主は顔を上げ何かを振った。
しゃき、という音と共に、はらりと前髪の数本が落ちた。
店主の手には鋏が握られていた。
自分も店主も全くの予想外の事に、固まったまま動けなかった。
店主は慌てて鋏を置き、限界まで頭を下げ謝罪をした。
肝が冷えたと笑い、気にしてないと告げたが、しばらく店主の謝罪は続いた。
謝罪の代わりに、どうしてそんな事をと聴くと、店主は少し罰が悪そうに答えた。
「ええと、時代劇が好きなんですよ。それで、お侍さんの真似事をと。本当に申し訳ありませんでした」
手にしていたのは鋏の筈なのに何故と思い、今日の聴く話は決まった。
「店主、この鋏にはどんな過去が在るのですか」
まだ頭を下げ足りなさそうな店主は、一つ溜め息を吐き語り始めた…………
刀が在った。
誰が造ったか、いつ造られたかは解らない。
ただ刀は美しかった。
銘も無ければ鞘さえ無かった。
持ち主は皆、抜き身のままにする事を選んだ。
鞘が在っては、刀身が隠れてしまうと。
世に妖刀と呼ばれる刀は、斬れ味から来る試しの衝動や、血と命を吸った数、持ち主の末路からの悪評と共にある。
この刀は、妖刀の条件を全て持っていたにも関わらず、誰一人として妖刀とは言わなかった。
それは他の妖刀とは決定的な違いが在ったからだった。
斬りたくなるのでは無く、斬られたくなるという違いが。
戦いの場にて使われた事は一度も無く、その時々の持ち主が誘惑に負け、首や腹に刃を食い込ませ、流れる血を糧に刀は存在していた。
在る時から、噂が流れ始めた。
とある刀は美しさの余り、一度では足りず、斬られる為に生まれ変わりを繰り返すと。
人々は、生まれ変わりという言葉に魅せられ、刀を求めた。
あまりに血を吸い続けた刀は存在を赦されなくなった。
鍛冶屋に破棄するようにと届けられた刀は例外を赦さず、鍛冶屋を魅了した。
鍛冶屋としての意識から、こんなにも美しい刀を無にする事が出来ないと悩んだ。
鍛冶屋は破棄したと偽り、刀を二挺の包丁に姿を変えた。
そして、生まれ変わったら、もう一つも味わいたいと願い包丁を腹に突き立てた。
それから刀の行方は知れず、生まれ変わりの噂だけが囁かれた。
時は流れ噂が変化した。
刀では無く、包丁だと。
いつかは解らない。
ただ、前世は鍛冶屋だったと言う男の言葉は、寿命という時間と戦う人間には甘く響いた。
二挺の包丁はまた血を吸い始めた。
生まれ変わりを望む人の血を。
人間と共に、包丁も繰り返した。
二挺の包丁は、鍛冶屋の命を吸い、一挺の鋏に姿を変えた。
多くの時が流れた。
女は医者から死の宣告を受けた。
余命は絶望的に短かった。
恋人の顔が浮かび泣いた。
不思議な夢を見る様になった。
恋人には何も言わず、女は姿を消した。
女が男に、鋏を振り降ろそうと泣いている。
男に抵抗の意思は無かった。
泣きながら鋏を掲げる女の話を聴いていた。
一緒に、この鋏で死んで。
この鋏で死ねば、生まれ変われるの。
もう私には時間が無いの。
生まれ変わって、やり直そう。
だから、お願い。
男は冷静に聴いた。
どうして、その鋏で死ねば生まれ変われると。
女は、前世は鍛冶屋だったと震えながら言い、鋏の過去を語った。
男は頷き、次に女が消えた間の事を聴いた。
女は鋏を探していたと答えた。
それを聴いて男は怒った。
どうして残り少ない時間を探す事に費やした。
一緒に居られた時間を。
優しい男が初めて見せた怒った顔と声に、女は大声を出して泣いた。
男は女から鋏を取り上げ、少し我慢なと言った。
女の手を取り、鋏を開き手の甲に押し付け横に引いた。
朱色の線が引かれ、血が溢れた。
互いに鋏の斬れ味に魅入った。
止血をしながら男は優しく言った。
どうして皆は死んだんだろう。
死なない程度に抑えれば、また味わえるのに。
抑えられないと思う、今なら解ると答えた。
男はもう一度、斬られたいかと聴くと、女は大きく頷き、傷口を見詰めた。
男は女の顔を抑え、真剣な顔で言った。
これで、直ぐに死ぬ必要は無くなったな。
斬られる愉しさを知ったから。
だから、死ぬまでの時間を一緒に過ごそう。
女の眼から大粒の涙が零れ、何度も頷いた。
男は女を抱き締めた。
女の髪を撫で、決意を口にした。
生まれ変わっても、また一緒に居ような。
女は出逢えないかもしれないと返した。
男は大丈夫、目印があるから探せると答えた。
でも、と女が口を開く前に男は笑いながら言った。
生まれ変わりは信じるのに、自分の事は信じられないのかと。
女は笑顔で答え、男を抱き締めた。
女は医者の言った余命を違わず死んだ。
遺体の側で男は泣いた。
あの時の決意が甦った。
生まれ変わっても、また一緒に居ような。
絶対に探してやるからな。
鋏に斬られたがる馬鹿女を。
男は眼を閉じ、鋏を握り締めた。
「それが、この鋏です。斬られたくなる気持ちとは、如何な物ですかね。おっと、お気を付け下さい」
店主の制止に我に返り、慌てて鋏から手を放した。
鋏の刃に左手を押し付けようとしていた事に血の気が引いた。
「先程の事は、どうか内密にお願いしますね。」
首を振り、様になっていましたよ、お侍さんと返すと、店主は照れ臭そうに苦笑いを浮かべた。
生まれ変わっても、店主の話を聴きたいと思いながら店を出た。