優霊の鈴
店のドアを開けると澄んだ音が響いた。
何の音かと周りを見ても、音を発した物は解らなかった。
店主が挨拶と一緒に頭を下げた。
今の音は何だと聴くと、店主はこちらですと、棚の隅にある小さな鈴を差した。
触れていないのに音を鳴らした鈴が不思議に思え、今日はこの鈴の話を聴こうと決めた。
「店主、この鈴にはどんな過去があるのですか」
少しだけ眼を細め、店主は語り始めた…………
男は住む場所を探していた。
足を棒にして探し、もう此処でいいかと諦めの気持ちで決めた。
敷金も礼金も、家賃すら要らないという、怪しさに満ちていたが、どうでもいいと思った。
その日の内に引っ越しを終えた。
馴れない新居に落ち着かず、余計な事を思い出してしまう。
どうして意地を張ってしまったんだろう。
謝れば良かった。
少し前に別れた女の事を思い、後悔の気持ちが押し寄せた。
未だに連絡はないかと、携帯電話を確認してしまう。
暗い画面と、横に付けられた鈴が寂しさを煽った。
それは、女と初めて行った旅行で、お揃いで買った物だった。
眠れずに鈴を弄んでいると、後ろに何かの気配を感じ固まった。
家賃も要らないくらいだ、幽霊くらい出るさと、振り返った。
そこには、女が座っていた。
紙の様な白い顔で、男を見ていた。
不思議と恐怖は感じず、初めて幽霊を見たと好奇心の方が強かった。
暫く眼が合ったままでいると、女が眼を逸らした。
何故か可愛く見えて、興味から話し掛けてみた。
名前や歳を聞いても反応は無かった。
更に色々と聴いても同じだった。
口が聞けないのかと思い、何かないかと探し、これがいいと携帯電話から鈴を外した。
はいだと一回、いいえなら二回、鳴らしてくれと女の前に鈴を置いた。
始めに、鈴を鳴らせるか聴いてみると、一回だけ澄んだ音が鳴った。
歳はいくつ、反応が無かった。
鈴で答え難い質問と、女性に歳の話は失礼だと謝った。
怒っているか聴くと二回、鈴が音を鳴らした。
楽しくなってきた男は、他にも聴いてみる事に。
一人で此処に居るのか、一回。
此処に居て楽しいか、二回。
何か目的はあるのか、一回。
目的が何か気になったが、鈴での会話では無理だった。
お返しに男は、自分の事を語った。
暫く誰かと、まともな会話をしていなかった男は饒舌だった。
例え幽霊だとしても、誰かに聴いて貰えるだけで嬉しかった。
それから男は、空いた時間は女と会話をして過ごすようになった。
少しずつ女の反応が変わり、距離が縮まるのを感じた。
全てがどうでも良いと思っていたのに、幽霊に心が惹かれて行くのが何となく不安だった。
会話を交わす度に、心が近付く楽しさが湧き、更にと求めた。
それと同時に、別れた女の事も思い出して憂鬱になった。
未練を断ち切るように会話をした。
好きな女と別れて後悔している、謝ったら許して貰えるかな、二回。
やっぱりかと、溜め息を付いた。
笑った顔が見たい、無反応だった。
女の困ったような雰囲気に、次の質問に想いを込めた。
いつか笑顔を見せてくれるか、大きく一度だけ鳴った。
嬉しさと勢いに任せ更に続けた。
自分の事が好きか、一回と半。
二回目の音は途中で、握り締めたように半端だった。
男は、どっちだよと笑った。
もう腹を決めるかと考えていた時だった。
眠っている所に何者かが押し入ってきた。
抵抗する間も無く、刺された。
そいつは苦しむ男には眼もくれず、金目の物を漁り出て行った。
身体の力が抜けて行く。
暗くなって行く視界の中で、女が近付いて来るのが解った。
女は唇を歪ませ笑っているように見えた。
それは冷たく感じられて、男が見たかった笑顔では無かった。
女の手には鈴が揺れていた。
何か言いたかったが、声が出なかった。
代わりに女が声を出した。
一緒に逝く。
それも悪くないと思った。
生きていても何もないと諦めていた。
答えようとしても、声は出なかった。
女は男の手に鈴を握らせ言った。
はいなら、一回。
いいえなら、鳴らさないで。
逆の立場になったと、痛みを堪えながら笑った。
男は力を振り絞り、鈴を振った。
だが、鈴は鳴らなかった。
一緒に逝かないの。
男は何度も鈴を振ったが同じだった。
女が寂しそうな顔を見せ、男の手を止めた。
そっか。
一緒に逝かないんだね。
いいよ、私だって未練がある男なんかお断りだよ。
そう言って、拗ねたように優しく笑う女の顔は、男が見たかった笑顔だった。
男は満足し眼を閉じた。
眼を醒ますと病院のベッドの上だった。
側には別れた女が心配そうにしていた。
訳が解らず、鈴が鳴らないと何度も繰り返し、女を困らせた。
なんとか落ち着きを取り戻し、状況を聴いた。
人気の無い公園で、刺されて倒れていたのを女が見つけ、救急車を呼んだらしい。
公園で生活し、携帯電話も停められていたのに、どうして解ったと聴いた。
女は鈴が鳴ったと答えた。
何故か男の事が頭に浮かび、鈴の音の鳴る方に行くと男が倒れていたと。
女は不思議だねと付け加えた。
何がと男が聴くと、女は覚えてないんだと少し不貞腐れたように答えた。
だって、この鈴は中の玉が入ってないんだよ。
それを聴いて思い出した。
毎回、音が鳴ると煩わしいと、外見だけの物を選んだ事を。
懐かしさが込み上げた。
今までの事を女に全て吐き出した。
幽霊と鈴で会話をしていた事、未練がある事を。
今なら素直に謝れると思った。
自分が悪かった。
もう一度、やり直せないか。
女は少し驚き、考え込んだ。
そして、何かを思い付いたのか、からかうような顔で口を開いた。
幽霊に振られて、帰って来た出戻りに、はいそうですかと言う程、私は安くありません。
だから、言葉以外で答えてね。
そう言うと、女は男の手に鈴を置いた。
私の事が好きで好きで仕方ないなら、鈴を鳴らして。
違うなら鳴らさないで。
この鈴はと、言おうとすると女は口に人差し指を宛てた。
どうすれば鳴るか考えても、答えは見付からず、出来る事をしようと思った。
眼を閉じ、気持ちを精一杯に込め、鈴を振った。
鈴は気持ちを伝えるように、澄んだ音を響かせた。
女は後ろ手に何かを隠し、私と幽霊に感謝するんだよと笑った。
「鳴らない鈴が鳴る仕掛けは簡単ですね。優しい幽霊さんの持っている鈴の音、聴いてみたい物ですね」
店主はそっと、手に忍ばせた鈴を振った。
不思議と棚に並ぶ鈴が鳴ったように感じた。
「人間とは案外、単純な物です。目の前の物しか見えず聴こえない、だからそれに感覚を合わせようとします。どの鈴が鳴っているか解らない程に。まあ、それでいいと思いますけどね」
店主に背を向けると、鈴の音が響いた。
やはりどちらか解らず、首を傾げながら店を出た。