神殺しの薬
店の照明はいつも穏やかに保たれている。
柔らかな光が並んでいる品を照らし、小さな品も見逃す事は無い。
光の加減か、滑らかに光を纏う折られた紙がとても綺麗に思えた。
薬を包む紙の様に見える。
名前は何だったか思い出せず、丁度良いと店主に聴いてみる事にした。
「店主、この品にはどんな過去があるのですか」
店主は眼鏡の弦を少し上げ語り始めた…………
ある女が居た。
女は昔から周りの人間を不幸にした。
何かをする訳では無い。
ただ、近くに居るだけで他人に災難が降りかかった。
例外は無く、物心が付く頃には家族は散り散りになった。
親戚や施設をたらい回しにされ、その中で自分が不幸を招いていると自覚した。
いつ自分のせいだと言われるか怯えていた。
だから女は何時も一人で居る事にした。
寂しかったが、嫌われるのは嫌だった。
義務教育を終えると、誰にも不幸が及ばない様に生きる術を探した。
だが、いくら探しても見付からなかった。
食べる為に働かなくてはならず、仕事を転々とした。
一つの所に長居すると、職場が潰れてしまった。
同じ理由で住居も変え続けた。
何年か経ち、女は自分は生きていていいのか悩んだ。
悩み苦しみ、絶望の底に沈んでいた時、一人の男に出会った。
人を遠ざけて生きて来た女には有り得ない感情が湧いた。
この人と一緒に居たい。
初めて人を好きになった女は戸惑った。
結末は解っている。
一緒になんて居られない。
どうして好きになったんだ。
あの人が不幸になるのは嫌だ。
でも、一緒に居たいよ。
女は何か方法は無いかと考えた。
諦めに負けそうになりながら、嫌になるくらい考え答えを出した。
男が不幸になる前に離れる。
そして、ほんの少しの時間だけ側に。
その思い出だけを胸に、その先は一人で生きて行こうと決めた。
決めてから気付いた。
まだ男に気持ちも何も伝えていない。
自分の事ばかりで、相手の事まで考えていなかった。
受け入れてくれるだろうか。
なんて言おうか。
初めての恋愛事で、悩む愉しさを知った。
恋愛って楽しいな。
他の人にとっては普通の事なのにね。
女は寂しげに笑った。
振られたら、それも思い出になる。
それに、男にとってはその方がいいに決まっている。
どっちに転んでもいいなと思い、男に気持ちを伝えた。
女に気持ちを伝えられ、男が迷っている。
女は、男が答えを出すまで二つの想いに苛まれた。
一緒に居たい。
不幸にしたくない。
男は笑いながら女を受け入れた。
女は大粒の涙を溢した。
どちらの結果でも泣いたと思い、嬉しい方で良かったと男に抱き付いた。
初めての幸せが沢山あった。
何をしてても楽しかった。
好きな人と一緒に居るのが、ただ嬉しかった。
この幸せがずっと続けばいいと願った。
やがて、願いも空しく時が来た。
男に災難が降り掛かり始めた。
怪我をし、仕事を失った。
落ち込む男を見るのが辛かった。
離れた方がいいのは解っていた。
もう少しだけと、甘え心の中で男に謝った。
男の両親が死んだ。
女は自分の浅はかさを呪った。
もう一緒には居られない。
次は男が死んでしまう。
男に今までの事を謝り、別れる決心をした。
男に全てを話した。
きっと嫌われる。
今までもそうだった。
疫病神だと言われ遠ざけられる。
でも、今度だけはそれでいいと思った。
何を言われても、最後に言う事は決めていた。
思い出を有り難うと。
男は女にとって予想外の事を口にした。
偶然だよ。
誰かのせいじゃない。
別れるなんて言うなよ。
その方が自分にとっては、一番の不幸だ。
このまま離れたら、本当の疫病神だと恨むからな。
女は言いたい事が沢山あったが言えなかった。
涙が視界を歪ませ、嗚咽が口を塞ぎ抱き付き、頷く事しか出来なかった。
幸せだった。
どんなに嫌な事が在っても笑っている男が好きで堪らなかった。
幸せが大きくなるに連れ、同じくらい辛くなった。
やっぱり男には幸せになって欲しい。
自分はもう充分に幸せを貰った。
今度は自分の番だ。
別れるのは無理だと解っている。
幸せを自分から手放す勇気も覚悟も持てない。
だから、疫病神としての勤めを果たす事にした。
薬を用意した。
苦しまずに逝ける薬を。
苦笑いが込み上げた。
疫病神は苦しんで死ねばいいのにと、何処までも自分に甘い性根が嫌になった。
手紙を書いた。
伝えたい事が次々と湧き長くなった。
首を振り、手紙を破った。
書く事が決まらない。
男の寝顔を見に行った。
暖かい気持ちで充たされる。
薬を握り締めた。
同じ事を幾日か繰り返した。
やっと踏ん切りが付き、本当に伝えたい事だけを書いた。
最後まで疫病神でごめんなさい。
幸せを有り難う。
薬を口に含み、水で飲み込んだ。
意識が薄れて行くまでの時間は心地よかった。
男の幸せを願いながら眼を閉じた。
眼が覚めた。
ここは地獄かと思ったが、生きている事が解った。
肩には毛布が掛けてあった。
男と眼が合った。
訳が解らなかった。
どうしてと繰り返した。
男は薬の包みを置きながら言った。
薬はすり替えといた。
言っただろう、一緒に居られない事が一番の不幸だって。
本当の疫病神にならなくて良かった。
自分にとっては、一緒に居るだけで幸せをくれる幸運の女神だと。
似合わない気障な科白に女は笑いながら泣いた。
二人は辛い事も苦しい事も、幸せだと信じながら生きて行く事を約束した。
「それが、この薬です。危なく疫病神では無く、幸運の女神を殺してしまう所でしたね」
二人のその先が気になった。
顔に出たのか、店主は眼を細め聴いてきたが、首を振り聴かない事にした。
「それがいいでしょうね。何が幸せかは、当人が決める事ですからね」
自分には全てを幸せと思えるか、答えは解っていたが、それでも考えながら店を出た。