第17話 自分の力を信じて
「……っ! 最悪だ。」
ゼノンが唇を噛む。その表情には、焦りの色が浮かんでいた。
転移魔法でここへやって来たのは、天魔だけじゃなかった。
よく見ると、私達を丸く取り囲んでいる天魔の後ろに、銃を構えた兵士が何十人もいる。
そしてその中には、この国――ベルカーンの王もいた。
「やあ、これはこれは。宿屋でお休みになられたと思っていましたが……まさか、こんなところにいらっしゃるとは。」
「全部……あんたの罠だったんだな。」
ゼノンが鋭い目を向けると、王はご名答と言わんばかりに頷き、
「いやあ、うまくいってよかったですよ。」
がはは、と大きな口を開けて笑う王。ゼノンの眉間の皺が深くなる。
「君達が求めていた物は、これだろう?」
王は手に持っていた物をちらつかせる。
それは本だった。表紙に『魔導書』の字。その横には、小さく『國村茂雄』と書かれている。
間違いなく、クニムラさんの遺した魔導書だ。
「運が良かったよ。たまたまティオールの鍾乳洞に調査隊を派遣した時、見つけたんだ。」
そう言い、また笑う。
さっき見たのとは全然違う、嫌らしい、不愉快な笑みだった。
「さて、どうしようか。秘密を知られた以上、君達を生かすわけにはいかないが……。」
王はゼノンに一歩近づき、
「君は優れている。頭脳も武の才能も、君に敵う者は中々いない。このまま殺すには惜しいな。」
「……何が言いたい。」
「これは提案だ、ゼノン王子。今までのことを全部忘れて、この国に婿に来ないか?」
「!」
「気づいているかもしれないが、うちの娘は君を気に入っていてね。君との結婚を望んでいる。こちらとしても、君のような優れた男が娘の傍にいてくれれば安心だ。」
「……生憎だが、それは無理だ。」
「なぜ? エトワールのことは、君の妹のマリナ姫に任せればいいじゃないか。それとも彼女には任せられないか? まあ、うちの娘と違って、上品さの欠片もない上、研究に日夜没頭するような姫だからな。あれじゃあ婿の貰い手もないだろう。君も大変だな、出来の悪い妹を持って。」
「……っ! ふざけんな! マリナちゃんはお前らがばら撒いた天魔から国を守るために……!」
その瞬間、辺りにピストルの乾いた音が響いた。
銃弾は、ロイの足元にめり込んでいる。
「静かにしたまえロイク君。君に発言する権利などない。」
王の冷たい声。
ロイはそれでも何かを言いかけたけれど、ゼノンに手で制され、口を閉じた。
ゼノンは王の方へと歩み寄り、
「俺がその案を受け入れない理由は三つだ。まず始めに、俺はお前達が天魔を作り、多くの人々を苦しめてきたという事実を隠蔽する気などさらさらない。もう一つ、俺はお前のような奴の娘に興味がない。もちろん結婚などするつもりはない。そして最後……。」
ゼノンの目が閉じられる。その様子は、何か、遠い記憶を呼び起こしているようだった。
「確かに、あいつは……マリナは上品じゃない。昔からそうだ。がさつで、おてんば。今だって、きらびやかなドレスに目もくれず、薄汚れた白衣を着て、毎日毎日研究に没頭している。そんな奴だ。だがな……。」
閉じられていたゼノンの目が開かれる。
その目には、強い光が宿っていた。
「あいつは、誰よりもあの国――エトワールを想っている。お前らのような汚い奴らの手から、体を張って国を守ろうとしてるんだ! 俺はあいつを、マリナを尊敬している! あいつは俺の自慢の妹なんだ! それを貶めるような奴に、誰が付くか!」
部屋中に響く、大きな声。
いつもクールで、声を荒げるところなんて想像できない分、その迫力は抜群だった。
ゼノンの気迫を前に、王は肩を震わせ、顔を青くする。でもそれは一瞬のことで、またすぐに元の状態に戻り、ため息をつきながら、
「どうやら私は、君を高く評価しすぎていたようだな。残念だよ、本当に。」
王が片手を挙げる。
天魔がグルルと喉を鳴らし、威嚇する。兵士達が銃を構え直した。
「君達四人には、ここで死んでもらう。」
「待って下さい!」
反射的に声が出た。
周りの視線が、私に集中する。
「みんなを……四人を殺したら、私は絶対に、その本の訳はしません。」
みんなを守りたい。
その一心で、震える声でそう言った。
「アオイ……!」
ゼノンの声。その顔には、
「……そんなことしても、無駄ですよ。」
「なんでですか!私は本気ですよ!」
そう言うと、王は鼻で笑って、
「あなたの本気など、たかが知れてます。見てましたよ、街道でのあなたの様子。あなたは、彼らに守ってもらってばかり。自分では何も行動を起こせず、震えていただけ。そんな人間に、何ができるんですか? 訳をしないというのなら、拷問にかけるまで。あなたに耐えられるとは、とても思えませんけどね。」
拷問。
その響きに、身体が震えた。
聞いたことはある。けれどそれは、私の過ごしてきた日常から遠くかけ離れたものだ。
何をされるのかはわからない。けれど、目の前にいるこの王なら、どんな非道なことでもしそうな気がした。
「戯言は、もう終わりですか?」
王の嘲るような声。何も言えずにいると、王は冷ややかな目で私を一瞥し、周りにいる兵士達に向かって、
「急所を徹底的に狙え。一人も生かすな。」
王の声が、ぼんやりとした頭の中で響く。
――私は、何もできない。無力な、ただの高校生なんだ。
わかりきっているはずだった。私には魔法の力なんてない。かといって、ゼノン達のように戦えるわけでもない。ただ『日本語が読める』だけ。自分一人じゃ、身を守ることもできないんだ。
愕然とする私に、王は近寄り、
「本当は、あなたは無傷のままこちらで軟禁するつもりだったのですが……。」
そう言うと、懐から黒い物体――拳銃を取り出した。
「その様子だと、抵抗するでしょうね。逃げられると困りますし……両足に一発ずつ、撃っておきましょうか。」
銃口を、私へと向ける。
「やめろ貴様……! アオイ様に手を出すな!」
「キース君、そんなことはどうでもいいだろう。もう死ぬ身なんだ。この人がどうなろうと、君には関係ない。」
「どうでもいいわけないでしょ! 短い間とはいえ、一緒に旅をして来た仲間が傷付けられるのを、だまってなんて見てらんないわ!」
「やめろ! なあ、俺達だけでいいだろ! アオイには何もするな!」
「エミリアン君、その上ロイク君まで……流石はエトワールの騎士。素晴らしい精神だ。」
ああ。
この人達は、守ってくれるって言うんだね。
こんな私を、迷惑や心配ばかりかけていた私を。
目頭が熱い。次第に、涙で視界がぼやけてくる。堪えきれなくなった涙が、頬を伝って床へと落ちていった。
「最後は泣くんですか、情けな……。」
「それ以上言ってみろ。」
ゼノンが剣を抜く。
その切っ先を、王へと向けた。
「アオイを撃つだと? やってみろ。その前に、俺がお前を仕留めてやる。」
ゼノンの殺気を孕んだ視線。
王は少したじろいで、
「正気か? ゼノン王子。私が指示すれば、君も死ぬんだぞ?」
「俺が死んでも、だ。お前も必ず、道連れにしてやる。」
ゼノンが態度を変える様子はない。
王は少し震えながら、
「こ、ここまで救いようのない男だったとは……私も、見る目がなくなったな。」
ため息をつき、私の方へと向き直る。
拳銃を構え直し、
「あなたが何か武器を持っていたら、この状況は変わったかもしれませんね。」
見下したような目を向けて、王は言う。
武器。
その言葉を聞いた時、ふいに脳裏に昔の記憶が蘇った。
あれは、私が高校2年になって初めての部活動の日のこと。
「お前には武器がある。」
副部長になった私に、顧問はそう言った。
「え、私に武器なんて……そ、そんなのあるんですか?」
はっきり言って私は、これといって人より優れたところなんてないと思っていた。演技力だって、華やかさだって、他の部員と大差ない。なのに、周りが自分を副部長に推薦したことが、不思議でしょうがなかった。
「ああ、ある。お前の声だ。」
「こ、声……ですか?」
「そうだ。お前は演技は十人並みだが、他の奴らより一際声がデカい。よく通るし、迫力もある。そういう力っていうのは、誰にでもあるもんじゃねえからな。周りがお前を推薦したのも、そういうところがあるからだろうな。」
衝撃だった。自分の声を、普段厳しい顧問や、周りの皆が評価してくれてるなんて。
「その武器は大切にしておけ。いつか、自分の力を100パーセント出し切らないといけない時……きっとそれが役に立つ。」
顧問の声が、頭の中で響く。
いつの間にか、涙は止まっていた。
――この状況を、打開するには。
頭の中に、一つの方法が浮かぶ。
捨て身の技だ。成功する確証はない。けれど。
――みんなを助けるには、これしかないんだ!
頭の中に、劇の舞台を思い浮かべる。息を吸う。お腹に力を入れる。目を閉じ、耳を手で塞ぐ。
――ゼノンと初めて会った時より、もっと、もっと大きく。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
天井を突き破る勢いで、声を出した。




