第56話
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知っているのだ。検事正の村田が東京地検に着任直後から、政財界や官界の汚職事件などを多数手掛けてきたことを。あの男性検事なら、令状さえ取れば、部下の検事を引き連れてどんなところにでも入っていく。政治家でも特捜を怖がるのは、あの手の検察官が容赦ない手を使うからである。
おそらく村田は岡倉や韮山など、部下の検事を使い、警察上層部の人間たちを捜査するだろう。警察が殺人事件で動いていても、一方で検察は殺人容疑で警察官をターゲットに据える。互いに二重三重の手を使い合うのだった。もちろん、際どい捜査過程は伏せられたままで……。
以前も毎報新聞記者の石田奈々が今回の殺人事件に関し、飛ばし記事を書いた通り、ブン屋は常にスクープを狙っている。どっちかというと、警察もマスコミには警戒していた。あることないこと、書き立てられるのが捜査妨害になるので……。
一日が明け、また朝は通常通り出勤する。新宿駅の大勢の人波に揉まれた。疲れていて、欠伸が漏れ出る。だが、午前八時には署に着き、捜査本部へと入っていく。すり抜けた途中にある刑事課には日勤の刑事たちがいて、窓口業務はまだ始まってない。
月岡や吉倉、それに他の捜査員たちに朝の挨拶をして、デスクに着く。パソコンを立ち上げてネットに繋いでから、いつも通り警察の捜査情報サイトをチェックした。目立った情報はアップされてない。やはり検察の動きを警察側は秘密裡にしていて、俺のように事情や事実関係を知る警察官は極わずかなようだ。
その日も帳場内に詰めながら、業務自体淡々としていた。昼になり、出前のラーメンを啜って栄養を付ける。やはり検察は捜査対象に警察を入れるのか?微妙だったが、その辺りのさじ加減を気にしていた。別に一介の刑事である俺が検察の捜査方針を決めるわけじゃないのだが……。
午後二時過ぎに綾瀬が捜査本部に来て、月岡の座っている管理官席に歩いていき、一言二言耳打ちする。月岡が頷き、俺に、
「井島、君は特捜の事情知ってるのか?」
と訊いてきた。捜査員が皆、俺の方を振り向く。「ええ」と言い、頷いてから、正面を見据える。
「今、署長から聞いて特捜の動きを知った。……皆も気を抜くな。あくまで殺人犯を追うのが俺たちデカの仕事だ!いいな?」
各々捜査員が「はい!」と言って頷き、また業務を続ける。脇にある刑事課の人間たちにも、月岡の声は丸聞こえだ。思っていた。事件が危ない局面に入りつつあると。それに月岡は薄々勘付いていたような気がする。所轄でも刑事課長の立場にある人間が、事件に連動する特捜の事情を知らないはずはない。ウソを付く理由でもあるのか?不透明極まりなかった。きっと警察の裏金の件も察しているだろう。器用そうで、実際は不器用な上司だと感じていた。
時間が流れる。十一月も半分以上が終わり、直に師走だ。また慌ただしくなる。否応なしに。(以下次号)




