第32話
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確かに警察も事件捜査は大変だ。それは痛感している。ふと思う刹那も遠慮なしに時が流れ、俺も吉倉も、他の捜査員たちも事件の記憶が薄れていくのを感じる。だが、何とかここで踏ん張りたい。そう思い、連日捜査本部に詰めていた。
その週の日曜も、朝は午前六時に目が覚めて起き出す。そして通常通り出勤した。心身ともにきついのだが、上下ともスーツを着て、帳場に行けば、気が引き締まる。
「おはよう」
「おう、井島。おはよう」
吉倉に朝の挨拶をすると、ちゃんと返事が返ってきた。デスクのパソコンの電源ボタンを押し、起動させる合間にコーヒーを淹れる。大抵、朝コーヒーメーカーをセットする人間がエスプレッソでセットしていて、幾分苦い。
濃い目のコーヒーを一口飲んでから、パソコンの画面に見入る。多数の警察官が見るサイトなどを順次チェックしていく。慣れていた。雑然とした刑事の日常も。
歌舞伎町交番には篠田がいるはずだ。新宿区内の所轄のデカたちは皆、東川幸生と角井卓夫が殺害された二件の殺人事件の捜査にまい進している。篠田は例外扱いされていた。交番勤務の刑事でも、歌舞伎町の治安を守る人間は特別だ。定時のパトロールなどに専念してもらう。あの街自体、悪の巣窟なのだし……。日夜揺れている。いろんな人間が行き交っていて。
東川が亡くなる直前まで握り込んでいたフラッシュメモリのようなものは、殺害後、持ち去られた。何かしら意味があるものと思える。きっと東川殺しのホシは中のデータなどを気にして、奪い取るために、害者を雑居ビルの階段から突き落とした後、持ち去ったのだろう。
一方、角井は新宿の裏手にあるホテル一室で容疑者の福野富雄とやり合い、挙句殺害された。室内がかなりの程度、荒れていたことは、吉倉がきちんと記録している。その記録は俺も勤務の合間に読んでいた。
後々考えると、尋常じゃない。二件とも。まさにおぞましい事件である。
二つの事件の接点に九竜興業があるとすれば、合点がいく。福野は構成員なのだし、組関係者が密に絡んでいるのだろう。更に調査しないと、はっきりとしたことは言えないのだが、やはり何の繋がりもないとは言えない。水面下で関連がある。そう考えられた。確かに警察の捜査と、ミステリー小説やドラマ、映画などに出てくる刑事や名探偵はあくまで異なるもので、それは十分気を付けたいのだが……。
正午になり、出前で届いた丼物を食べた後、デスクに座ってしばらく休憩していた。吉倉がタバコを取り出し、銜え込んでから、火を点ける。燻らしながら、リラックスしているようだ。昔から刑事として警察社会にいる以上、タバコは相方にとって息抜きの道具の一つなのだろう。
午後も時間が過ぎていく。やはりしばらくは外にいる捜査員からの手がかりなり、情報なりを待つしかない。思っていた。暇はないと。デスクにあるパソコンの前に座り、合間に調べ物などをすることがある。電話対応などは全て、刑事課内にいる女性警官がやってくれていて、俺たち内勤の捜査員も捜査本部に詰められるのだ。
前歴者の顔写真・犯歴などが掲載されたデータベースに石井謙一の名がある。歌舞伎町の業者はまさに悪党だ。窮屈なあの街でも名が通り、絶えず暴力的な組織が付いて回る。性質が悪いのだが、今しばらくあっちの街の様子は静観を決め込むつもりでいた。二兎追うものという通り、二つを同時に追っかけると、どっちも逃してしまう。あくまで慎重さが必要だった。現役の警察官として。(以下次号)




