第2話
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また平常通り、午前八時二十分頃に出勤してくると、月岡も吉倉もいて、吉倉が、
「おう、井島。おはよう」
と言ってくる。体がだるかったのだが、意識して気を入れ、
「ああ、おはよう」
と返す。そしてデスクに座り、パソコンを立ち上げてから、プラスチック製のカップにコーヒーを注ぐ。飲みながら、目を覚ました。意識が覚醒してくると、オンラインで処理される書類等に目を通し始める。いわゆる課内庶務というやつだ。単調できついのだが、やるしかない。そう思い、淡々とこなす。月岡は課長席に座り、時折部下たちの方を見る。階級は警部だが、一所轄の刑事課課長として、下働きに慣れているらしい。元は警視庁勤務だったようで、所轄に出向してきた身だ。
吉倉が、
「歌舞伎町に最近噂が流れててな」
と耳元に口を持ってきて、囁く。
「噂?」
「ああ。やっぱ銃と覚せい剤は裏で流されてるらしい。……それに噛んでるのが、九竜興業の連中だ」
「性質が悪いな」
そう返し、軽く息を吸い込んだ後、吐き出すタイミングで、
「吉倉、それ課長知ってるのか?」
と訊いた。
「ああ。九竜興業の構成員が定期的に歌舞伎町の店にミカジメを巻き上げに行く際、そこでブツを流してると課長が聞いて、俺も又聞きしたんだ。……いずれ本庁の組対が動くだろう。あの部署の人間たちは裏で嗅ぎ回るからな。内偵なんかしてるから、尚更情報が早いだろうし」
吉倉がそう言って、手元にあるコーヒーのカップに口を付ける。そして分煙などがされてないフロアでタバコを取り出し、火を点けて燻らせ始めた。この男はニコチンを欠かさない。吸い慣れているのだ。幾分安物でも、吸えさえすればデカは満足する。まあ、喫煙習慣がないから、タバコの味など分からないのだが……。
「まあ、警官も全部の事件に関わってるわけじゃないから、分からない面もあるんだけどな」
吉倉がそう言って、吸いさしのタバコを灰皿で消し、またパソコンに向かう。俺の方もまた庶務へ戻った。体は仕事の方に向く。キーを叩きながら、資料などを作る。警察官も普段はずっと庶務と捜査を交互にやっていた。決して派手な立ち回りばかりじゃない。よくテレビドラマなどで見る刑事は脚色されているから、視聴者に誤解を与える。あんなに朝から晩まで事件捜査に赴く警察官などいない。
その日の午後、北新宿の雑居ビル内で男性の変死体が発見された。被害者は東川幸生、都内在住の三十八歳で、IT企業の取締役社長だ。どうやらビルの階段で背後から殴られ、転落して死亡したらしい。
新宿北署刑事課内に捜査本部――いわゆる帳場が設置され、捜査員が動き始めた。東川の死体は手が死後硬直する前まで何かを握っていたと推察される。おそらく何かスティック状の、USBフラッシュメモリのようなものを。犯人はそれを奪い取ったのだろう。俺も吉倉も、他の新宿中央署署員も近場で起きた犯罪だったが、管轄が違うので、あえてだんまりを決め込む。そしてまた執務の合間に歌舞伎町をパトロールした。
新宿の街の物騒さが、やけに身に沁み込む。まあ、もちろんどこの都道府県の繁華街でも騒がしさ、物々しさがあるのは事実なのだが……。(以下次号)