ニシキヘビ
彼の友人のニシキが亡くなって二年になる。
ニシキは中学の頃からよく学校をサボっていた。高校に入ってからもサボっていたが成績は良かった。ニシキが学校をサボるときは、たいてい通学路にある神社の石段で朝早くから本を読んでいた。そして下校の時刻になる前には家に帰っていた。その通学路を彼は毎日通っていたが、ニシキに声をかけることはなかった。他の生徒も気にせず素通りするだけだった。
夏休みが近くなった七月、学校の帰りに彼はニシキと話をした。学校は午前中で終わったため、ニシキはまだ石段にいた。最初は彼が声をかけた。
「学校に来なくてもテストで点がとれるお前がうらやましいよ。俺なんか一度も休んでないのに夏休みは補習だぜ。」
口ではこう言ったが彼の本心は違った。確かに成績がいいことはうらやましかったが、それ以上にニシキの生き方がうらやましかった。周囲の目や言葉を気にせず自分の好きに生きるニシキがかっこよく、憎たらしかった。彼には学校をサボる勇気さえなかった。
「俺は逆にお前がうらやましい。」
ニシキの言葉に驚いた。同時にすこし勝ち誇った気分になった。彼はニシキからこの言葉を聞きたかった。
「たとえばどこが?」
彼はすぐさま聞き返し、すぐに後悔した。
「うそだよ。俺はお前をこれっぽっちもうらやましいと思ったことはないね。」
彼は返す言葉がなかった。たとえ返したとしても自分がみじめな思いをすることは目に見えていた。彼は話題を変えることにした。
「なあ、また昔みたいにヘビをさがさないか?同じクラスの安岡が黒ヘビを見たいって言ってたんだ。俺ひとりで探しても全然見つからないんだよ。お前ヘビ探すのうまいだろ。」
小学生の頃、他の子どもたちが探しても全然見つからない黒ヘビが、ニシキが探したときはおもしろいほどよくみつかった。そんなわけでニシキは人気者になった。それまで無口でおとなしかったニシキがみんなから慕われ、彼は嫉妬した。彼はニシキをニシキヘビと呼んで蔑んだ。やがて周りの友人たちもニシキヘビと呼ぶようになった。それ以来、ニシキはヘビを探さなくなった。
「俺が黒ヘビをみつけたとき、みんな俺のことを運がいいと言った。それは少し悔しかった。俺はみんなと一緒に遊びたかった。だから黒ヘビについていろいろ調べた。黒ヘビをみつければみんなと話ができると思って、ヘビについて勉強したんだ。それなのに運のせいにされて悔しかった。」
ニシキが珍しく感情を表に出してきて彼は少し戸惑いながらこたえた。
「でもみんなの人気者になれたじゃないか。」
彼は自分が発した言葉の重みにすぐ気がついたが、すでに遅かった。
「ああ、人気者になれたとも。初めてだったよ、あんな風にみんなに囲まれたのは。あのときは黒ヘビをみつけたのを運のせいにされてもいいと思えたね。運のせいにされるだけならね。でもお前はこの俺を妬んだ。いつも人気だったお前は、この俺が人気になったのが気にいらなかったんだろ。お前のおかげでいつのまにか俺は、たくさん黒ヘビをみつける気味の悪いヤツになった。」
ニシキの言葉が彼の胸に刺さった。
「悪かった。ごめん。」
それしか言葉が見つからなかった。
「別にいいさ、もう昔のことだ。それに人はだれでも薄汚れた面を持ってるからな。お前は自分を責める必要はない。誰だって同じさ。」
彼はまた返す言葉が見つからなかった。夏の日差しが照りつけて、制服の中の肌着が汗でべったりと体に張りついていた。二人は石段に座ったまま黙っていた。
日が傾きだした頃、今度はニシキから声を発した。
「俺は自分の名前が嫌いなんだ。別にニシキヘビと呼ばれたからじゃあない。俺にはこの名前が重すぎる。俺は『錦』のように美しい人じゃない。俺にだって薄汚れた面がある。まるで雑巾だよ。」
彼にはニシキが笑っているように見えた。ニシキは続けた。
「人は生きていれば必ず醜い部分が出てくる。俺は生きてる限り『錦』にはなれない、雑巾のままさ。」
夕日がニシキの顔を照らしている。
「なにが言いたいんだ。嫌味か?」
彼にはニシキの微笑みが怖かった。
「お前と話せてよかったよ。ようやく決心がついた。これで俺は『錦』になれる。」
ニシキは石段から落ちた。
紅い血だまりが広がり、夕日に輝いて、錦が鮮やかに染まっていた。




