32,傷痕
「う───ん、意味不明」
「何がですか」
吹き飛んだ少女を落ちる前に受け止め、そっと床に寝かせたメイドにユーフィアは楽しそうにそう言った。
「いや魔力を使ったならわかる。だが貴様のその膂力はなんだ。不完全とは言えそいつは肉体強化をしていたし貴様は一切強化無し、体術にしても威力が高すぎる。何をした?」
「あー、魔導体術ってご存知ですか?」
「懐かしいな。笠木の技術だったか?」
「ええ、私のはそれを少し弄ったものです」
「答えになっていない。魔導体術は魔力と体術を組み合わせて行う、言ってしまえば肉体強化の極致であって体術の極致ではない」
「普通の魔術師にとってはそうでしょうね」
自嘲気味に笑いながら続ける。
「残念ながら私には魔導体術で満足な威力を出す魔力がありません。なので魔力と体術の比率を体術に寄せたんです」
「それがさっきの一撃だと」
「その通りです。魔導体術の基礎技術で、全身の筋肉を瞬間的に、一定以上の指向性を持たせて、一斉に稼働させる事で一撃の威力を生身で生み出せる限界まで高める技術があります。発勁の一種だとかなんとか。さすがにSランク以上のサバイバーや魔獣に対しては効果薄いですけど」
「なるほど…………やはり貴様は強さのベクトルが違うな」
「ちなみにユーフィアさんのベクトルで強くなるとどうなるので?」
「ふむ、そうだな…………」
ユーフィアは少しの間考え、不意に右手の指を鳴らす。
瞬間、部屋に巨大な質量が現れる。
虎のような体つき、鋭い爪に牙、爛々と光る赤い瞳、そしてその全身を覆う黒い魔力。
「魔獣ッ!?」
「落ち着け。そいつは私しか襲わんよ」
少女を背中に回したアリアに微笑みながら言った言葉通り、その魔獣はアリアと少女を一瞥しただけでユーフィアへと目を向けた。
赤い瞳には殺意が宿り、隙を伺うようにユーフィアの周りをゆっくりと移動する。
ユーフィアは椅子に座ったまま左手で頬杖をついて余裕の笑みを向けているが、アリアの目の前の魔獣は明らかにSランク、それもかなり上位の魔獣であり、ハンターのアリアですらかなりの危険が伴うだろう。
魔獣はユーフィアの左斜め前に到達した瞬間、大口を開けて襲いかかった。
口腔には鋭い牙が並び、更に魔力がエネルギーへと変換されていた。
確実にユーフィアを殺すために噛み付いたと同時にそのエネルギーで焼き尽くすつもりなのだろう。
対するユーフィアは頬杖をついていた左手を、魔獣とは対照的にゆったりと持ち上げ、人差し指を親指で抑え、少し力を溜めて、解き放つ。
それは古今東西、子供から大人まで誰でも知っているであろう、古くは格闘術の一種であるとも言われる攻撃。
即ち、デコピンである。
当然ながらその射程は人差し指と腕の長さぐらいなもの。
そこまで魔獣に接近を許した時点でアリアならばほぼ詰みだろう。
そして彼女もその例に漏れず、接近をされる前に攻撃を繰り出した。
つまりは空振り、なんの効果も無い一撃。
そのはず、だった。
人差し指が振られた瞬間、ガラスが割れる様な高音が撒き散らされ、魔獣の頭が消失した。
次いで発生した衝撃波が指向性を持って魔獣の胴体を蹂躙、細かな肉片に変えた。
「…………とまぁ、こんな感じだ」
「どんな感じですか。何をしたか一切わからなかったんですが」
事もなさげに言うユーフィアに呆れとともに言葉を投げる。
「貴様が体術へ寄せるなら私は魔術へと寄せると言う事だ。指の動作を空間に作用させて、破壊された空間が直る時のエネルギーを魔獣に収束させる事で爆発的な破壊力を得る、結界術式の空間破壊を私の指を結界と定義してやった感じだな」
「あの音はそれですか」
「流石に完全に遮音するのは手間でな。許せ」
「あ、それとですね」
なんでもないような顔でアリアが問う。
「さっきの魔獣、どうやって作ったんです?」
「魔獣を作るぐらいなんでもないだろう」
「いえ、そうではなくてですね。魔獣因子をどうやって作ったかって事ですよ」
緊張を滲ませるアリアと対照的に、ユーフィアは気の抜けた表情を浮かべて応えた。
「別に大した事じゃ…………あぁ、なぜ“私が”と言うことか」
ユーフィア・ル・フェイは術式魔術の大家、ル・フェイ家の当主である。
彼女は少女を匿っている事からも、ル・フェイでは珍しく魔獣因子をそれほど毛嫌いしているわけではない。
だがそれは魔獣因子を持っている事とは別だ。
魔獣因子を徹底的に排除しているル・フェイ家の当主が魔獣因子を持っているのはどう考えてもおかしい。
「簡単な事だ。私の根本的な部分は普通の魔術師と変わらん…………そうだな、貴様はなぜ魔獣が絶大な魔力を持っているか知っているか?」
「…………魔力の暴走によって生み出されるんですから当然では?」
「いいや、魔獣と人の魔力は違う。魔獣因子から生み出される魔力と人の魔力因子から生み出される魔力は『逆』なのだ」
「逆、ですか」
「人の魔力因子をプラスとすると魔獣因子はマイナスの魔力を生み出す。そしてほとんどの魔術師は魔力因子と共に魔獣因子を持つ。故にプラスとマイナスが打ち消し合って、その余剰分の魔力しか使えない」
「そのマイナスを排除したのがル・フェイですか」
「理解が早くてなによりだ」
楽しそうに笑う。
「貴様の言う通り、ル・フェイはマイナスを取り除く事で実質的な魔力を高めた。対して貴様や葬家の連中は人の魔力をマイナス方向に向ける事で、打ち消される魔力を無くしている」
「じゃあなんで私の魔力はこんなに少ないんですか」
「簡単だ。その魔獣が貴様の魔力を大量に打ち消しているからだ」
「私の魔力は最初からこんなですよ?」
「魔獣化していなくてもマイナスの量自体は変わらん。そもそも半覚醒程度とはいえ死獣かそれ以上のレベルの魔獣を宿して本来の魔力を使える時点で貴様自身の魔力量はかなり多い」
「…………は?」
思わず声を漏らした。
「リアリが死獣レベルと?」
「まぁ、あくまで脅威度という観点だがな。人類に敵対して魔獣化していたら少なくとも災害指定級魔獣、貴様が自殺未遂で狩った『騎士王』以上だな」
「ッ!?」
その言葉にアリアは反射的に一歩下がり、両手にショットガンを握る。
「…………ご存知でしたか」
「それは騎士王狩りの事か?それとも貴様の過去についてか?どちらにしても私には関係も興味も無いが」
二人の間に沈黙が流れる。
「…………私は貴様がどういう人間かを知っている。何をしたかも大体把握している。そして勿論、コレを知っているのは私だけではない」
「………………」
「しかし、だ。先程も言ったが私には関係も興味も無い。貴様がどういう過去を持っていても、今信用できる人間であればそれは些細な事だ。だから私は貴様を呼んだし、そいつも貴様に師事を請う。ただ、それだけの事だ」
そう吐き捨てて、目を伏せているアリアを見て舌打ちを一つ、無理矢理白い空間から追い出した。
「…………ぅん?」
「やっと起きたか寝坊助め」
「…………あの人は?」
「もう帰った。何をされたか覚えているか?」
「…………なんとなく。腕を引っ張られて、胸を殴られた」
「だいたい正解だ。あいつは間違いなく強いだろ?」
「…………うん。すごく。すごく強い。ユーフィアほどじゃないけど強い」
「ハッ、私より強い魔術師なんざ…………あー、まぁ、いないわけじゃないか」
「いるの?」
「私が人間として魔術を使う以上は超えられないのはいるな。過去形の方が正しいかもしれんが、そう簡単に死に切るような器でもない」
「…………?」
「気にするな。お前が会うことは無い」
そう言って椅子から立ち上がる。
「さて、忘れない内に実戦といくとしよう」
「実戦?」
「相手は私、不足はあるまい?」
「…………待って。ユーフィアとやるの?」
「私以外に誰がいる?」
「…………知らないよ」
「お前に負けることはないぞ?」
「私がどうなっても知らないって言ってるの」
ため息と共に言った少女に笑って告げる。
「安心しろ。死に切る前に治してやるから」
「…………はぁ」
再びため息をついて、少女はユーフィアに向かって床を蹴った。




