31,獣の少女と来訪者
三日が経った。
恐らく、三日。
男が来たのは二回だが、一度酷く間を空けたので恐らく忘れたのだろう。
どうやら上は忙しいらしい。
この三日間、聞き耳を立てれば怒鳴り声と走り回る足音が聞こえていた。
しかしどれだけ耳を澄ましてもあの女性の音は何一つ聞こえなかった。
それでもあの、油断のならない気配は常に感じられた。
だから三日前に聞いたヒールの音が聞こえた瞬間、無意識のうちに魔力を奔らせ、身構えた。
コツコツと鳴り響いていた足音が止まる。
「………気を張り過ぎだな。疲れないか?」
「────ヒッ!?」
“隣から”聞こえた声に小さく悲鳴をあげて、反射的に魔力を衝撃波に変換して放つ。
「元気はあるようだな」
牢の壁に身を預けていたユーフィアは左手を軽く振るだけで衝撃波を相殺し、苦笑をもらす。
「よく耐えた。約束通り、解放してやろう」
「…………これからどうするの?」
「はっきり言おう。貴様にとっては残念なお知らせだ…………私はこれから貴様を私のいる場所へ連れて行こうと思っている」
「それの何が残念なの?」
「私の魔術、魔力は酷く強力でな。自由にしているのは余りにもリスクが高い。だから自主的に貴様の………いや、この家の者が作った結界空間に閉じ籠っている。まぁ要するに場所が変わるだけで閉じ込められているのは変わらないという事だが……」
「別にいいよ」
ユーフィアの言葉を半ば遮ってそう言った。
「少なくとも、此処にいるよりはずっといいでしょ?」
「…………ああ、それは保証しよう。衣食住に関しては完璧と言っていい。貴様が望むらば魔術の手解きをしてやるのもいい」
「…………私の魔力はおかしいんでしょ」
「違う」
即座に、力強く否定する。
「貴様の魔力はこの家のほとんどの者と発生メカニズムがほんの少し違うだけだ。おかしくなどない。ましてや本来投獄される理由も無い…………っと、少し強く言いすぎたな。すまなかった」
目を丸くして自分を見る少女に苦笑を返して壁から身を起こす。
「さて、そろそろ行くぞ。あまり長居するべきではない」
「わかった。でもどうやって出るの?」
「こうやってだ」
右手を目の前に広げ、自分の視線から牢の格子を遮るように振る。
「っ!?」
「今使ったのは『消滅』特性の魔力だ。物質を原子レベルまで分解することができる」
振られた右手に沿って、格子は綺麗に消え去っていた。
「では付いて来い。人に触れるな。あと声は出すなよ、消すのが面倒だからな」
歩いて行くユーフィアの後を追って階段を登って行くと、見覚えのある館の広間に辿り着いた。
随分前、あの中央に転がされていたのだ。
「…………っ!」
「よぉミーファ、久しいな」
「当主!?」
その広間に居たのは、一人の女性。
ちょうど広間の中央に扉を出現させ、開けようとしていたところだった。
「何処へ行っていたのですか!?黙って結界を抜け出すなんて!」
「いやすまんな。少々用事を済ませて来たのだ、許せ」
「こちらの身にもなってください!この三日間どれだけ探し回ったと思っているのですか!」
「ハッ、久々のいい運動になっただろう?さて、もういいぞ。さっさと閉じろ」
「…………承知しました」
ユーフィアが空間に入ったのを確認し、呆れを隠そうともせずため息と共に扉を閉める。
「あぁ、ミーファ」
「なんでしょうか?」
「後悔するなよ?」
「…………何をでしょうか」
「分からないならそれでいい」
ユーフィアの指が鳴り、空間は完全に断絶された。
山の麓、獣道と大差ない登山道への入り口で、一人の女性が手元の地図と手紙を睨んでいた。
「ん〜、この酷い道を進めって事ですかねぇ?もう少しマシな道があればいいんですけど…………」
手元の地図にはそもそも山に続く道が示されておらず、ペンで街からの通り道が描かれているだけだ。
「仮にも魔術の大家への道が獣道とは…………まあそれらしいと言えばそれらしいですかね」
他の道を探すのを諦め、手紙と地図をたたんで懐へしまう。
「では行きますかねぇ」
道に足を踏み入れる、瞬間、女性の背後に魔法陣が浮かび上がった。
「…………招待されてる身なんですけどねぇ」
魔術が発動する直前、女性と魔法陣の間に盾が現れる。
魔法陣から生み出された雷撃は盾を直撃し、あらぬ方向へ逸らされた。
「一応警告しますねー?私はル・フェイ家の当主に呼ばれて来てますから不法進入とかじゃないですから。これ以上私に危害を加えるならそれなりの抵抗、もとい殲滅を実行する事になりますがよろしいのでー?」
のんびりとした声での警告に対する返答は周囲に展開された多数の魔法陣。
「問答無用、結構な事ですね」
ため息をついて、右目に眼帯をした灰髪のメイドは優しい笑みを浮かべる。
「では、《さあ、殲滅を───」
「待ってください」
女性の声と共に周囲の魔法陣が結界で囲われ、破壊される。
「どちら様でしょうかぁ?」
「非礼をお詫びします。この家の者は外部の魔術師に対して排他的なのです」
「その様ですねぇ」
油断なく周りを見渡して、アイリアは目の前の女性に目を向ける。
「私はミーファ・ル・フェイ。この家の当主代理を務めています」
「当主さんはどちらに?」
「当主ユーフィア・ル・フェイはその力の強大さ故に自主的に幽閉されています」
「それは知っています。ただこの道から山に入れとしか言われてないので」
「あの方はマトモに人を招待もできないんですか……」
呆れと疲労感をないまぜにしたため息をついて虚ろに笑う。
「あの方は空間レベルで幽閉されています。入り口を開けますのでどうぞ中へ。出るときは向こう側から開けられますのでご心配なく」
地面に両手を付けて口を開く。
「《捻じ戻れ、理は今此処に乱れたり》」
山道に唐突に現れたのは木製の扉。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
迷いもなくドアノブに手を掛けたアリアに怪訝な顔で尋ねる。
「…………一応お聞きしますが、私の事を疑わないのですか?最強の『兵士』と呼ばれるほどの力量であれば命を狙われるアテはいくらでもあると思いますが」
「ん〜、少なくとも貴女がこの場で私を害する事は無い、と言うよりできないかと」
「それは何故ですか?」
「いやぁ判断材料は腐るほどありますし、何より貴女の顔が証明してますよ?」
疑問符を浮かべたミーファに苦笑と共に告げる。
「私は貴女に『当主に』と言いました。その時点で貴女の顔が固まりましたし、術式魔術の大家の当主にして強過ぎて自主封印とかする方が仮にも招待客の私を殺されて何もしない事がありますかね?ついでに噂ではその空間レベルで幽閉された状態で『ボーダー』への魔力供給も行なっているとか。失礼ながら私を殺せる“程度”では相手にならないかと」
「…………確かにそうですね。失礼しました」
「では私はこれで」
再び迷いなく扉を開けて、その中へ足を踏み入れた。
ユーフィア・ル・フェイ
この家の当主、いつも黒いドレスを着て椅子に座っている。
その椅子以外何も無いこの白い空間で、彼女は様々な魔術を鼻歌交じりに行使する。
お腹が空けばキッチンを創り出し、素材を創り出し、丁寧に料理してそこそこ美味しいものを作る。
寝る場所を聞けばベットを錬成し、起きてからは訓練と言って化け物を数体創ってけしかけて来る。
「──もっと魔力を脚に集中させろ。動きながらでも加速術式を組むのを忘れるな!」
「ッッ!?」
跳び上がった足裏に化け物の顎門が掠る。
犬のような形の三体のソレは大した連携こそ取らないが、それなりに速く、それなりに小回りが利いて、それなりに大きくて、普通に死ぬレベルの攻撃をしてくる。
「──このッ!」
再度迫る化け物の頭に回し蹴りを叩き込んで、その反動で距離を取って加速術式を組み直す。
「素手でどう倒せって言うの!?」
「肉体強化の応用だ。加速術式と併用して殴るか蹴るかすればいいだろう?」
「そんなッ!?」
少女が非難の声をあげるのも無理はない。
持続的に加速術式を組むのすら難儀している状況で化け物を殺せる強化をするのは不可能に近い。
才能は十分だが経験が致命的に足りないのだ。
魔力を戦闘に使った事などない、そもそも術式についての知識は多少あれど、実際には数度しか使用したことのない少女には二種の魔術の同時使用を完璧に行うのは難しい。
今までは逃げ切れと言われていたので、肉体強化を最小限に、加速術式を組むことに注力することで化け物を振り切っていた。
しかし今日言われたのは逃げ切れ、ではなく倒せ。
逃走、回避という所に攻撃という要素を加えるだけで、難易度は格段に高くなる。
「はあっ!」
一瞬足を止めて振り向きざまにパンチしてみるも、化け物は一瞬怯むだけで大したダメージにはならない。
これを倒すにはそれなりの威力が必要だ。
「なら……!」
魔術を教える時、ユーフィアは言った。
曰く、魔術は魔力の使い方だと。
曰く、術式はその使い方を表すと。
曰く、術式など所詮説明書だと。
そして最後にこう言った。
『結果だけを求めるならば、術式など不要だ』
自分の魔力は何かを加速させることができる。
それは三年近い牢の中の生活で知っている。
加速術式を組むのを止め、魔力を全身に奔らせる。
まず肉体強化、地面を蹴って動きを作り、魔力に命じる。
『速く在れ』と。
瞬間、眼前に白い壁が現れ、受け身も取れず派手に突っ込んだ。
「っあ…………」
予想外の速度に反応できず、恐ろしい速さで壁に激突した少女はその衝撃でかなりのダメージを負っていた。
肉体強化をしていなければ即死していただろう。
「ぅう………まずい、かな」
この部屋は割と広い。
その反対まですっ飛んだおかげで化け物とは距離ができたが、それも数秒で詰められるだろう。
自分はといえば全身が衝撃のダメージで言うことを聞かない。
腕を動かそうとしても軽く痙攣するだけでとても身体は持ち上がらず、脚にも力が入らない。
脳震盪でも起こしたのか、地面に着いて動いていないはずの視界が揺れる。
駆け寄る化け物の奥に、椅子に座ったユーフィアが見える。
その顔は、その眼は、冷静に冷徹に、残酷に少女を見ていた。
おそらく自分が化け物に喰い殺されようとも、彼女は動かないだろう。
「…………そんなのは、嫌だ」
化け物が口を開ける。
脚に力を込める。
痙攣する腕を無理やり動かす。
ほんの少し、ほんの僅かでも動きを作るために。
「………っうああ!!」
カリッと爪先が床を捉え、身体が数ミリ動く。
瞬間、魔力がそれを加速、少女の身体を横に飛ばす。
とはいえ本来数ミリしか動かないモノをどれだけ加速させたところで大した速さにはならない。
精々数メートル、少女がジャンプした程度だ。
獲物を追って化け物がこちらを見る。
脚に力を溜め、一気に飛びかかろうとした時、
「──おっと?」
ガチャリ、とドアが開く音と共にそんな声が聞こえ、少女の後頭部に柔らかいものが当たる。
次いで胸の辺りに腕が回り、しっかりと抱きとめられた。
ハッと上を向くと、灰髪のメイドの左目と目が合った。
「助けて!!」
「ふむ」
飛びかかる三体の化け物に、メイドは少女を抱えていない右手、そこに握られるダブルバレルショットガンを向ける。
「そんな……っ!」
「ご安心を」
三体の化け物に二発しか装填、発射できないショットガンでは話にならない、そう思って声をあげた少女へ落ち着いた声音で返し、
そのダブルバレルショットガンを六連射した。
「は…………?」
「ですから、ご安心を」
呆気にとられている少女に苦笑交じりに同じ言葉を返し、ショットガンを手放して消す。
発射された散弾は、三体の化け物をズタズタに引き裂いて絶命させていた。
恐らく抗魔金属、ミスリルで作られた弾丸だろう。
「撃った直後に瞬時に装填………いや、銃そのものを変えたのか」
「ご明察の通り。さすがですね」
「ハッ、大したことじゃない。貴様の事も知っているしな」
「おや、私のようなただのメイドをご存知とはありがたい事です」
「ハッハッ、よく言うものだな。まぁ、そいつにしてみれば命の恩人だろうよ、いや実にいいタイミングだった」
「それでこの子はなんです?お子さんですか?」
「いや………流石に無理があるだろう?」
「ええ。ですから養子か何かかと」
「…………それもありえん」
苦々しく顔を歪める。
「この家は何よりも魔力因子を重視する。少なくともそいつが養子になる事はない。そもそもそれが原因でそいつはここに居る」
「魔獣因子ですか」
「ああ、その通りだ。そいつは魔獣因子を持つが故に三年ほど投獄されていた」
「…………黙ってください。貴女の事は分かりますから」
「どうした?」
「いえ、何でもありません」
「その魔獣か?」
その言葉にピクリとアリアの眉が動く。
「魔獣?」
「そのメイドの右目だ。何が描いてある?」
「何これ……魔法陣?」
「正解だ。それは封印術式、それも魔獣を縛る為だけに組まれた術式だ」
「…………よくご存知で」
「当然だろう。それを組んだのは私だぞ」
「マジですか」
「それで?何だと?」
「………リアリ、私が人質です。この意味が分かるなら迂闊な行為は控えてください」
少女を手放し、目を閉じる。
再び目を開けた時、その瞳は怒りに満ち、隠す気の無い敵意と殺意が放たれる。
「こんにちは、ご機嫌いかが?」
「生憎と最悪だよ、魔獣。多分お前と同じ気持ちだ」
「何が同じ気持ちよ。この子をこんな目に遭わせたのは貴女達でしょう!?」
「ご名答、ご明察、ご勘弁、だ。私は今この胸糞悪い慣習をぶち壊す為にこいつを鍛えている」
「それは貴女の都合でしょう!この子の事は考慮されてないわ!」
「そうでもない…………いや、こいつは最終的に鍛えなくてはならん」
「なんで!」
「聖楼教会、貴様も知っているだろう」
リアリの言葉を遮ってその名を口にする。
その瞳は鋭くリアリを睨む。
「こいつは曲がりなりにもル・フェイの血統だ。加えて魔獣因子を持ってはいるが魔術の技術はほぼ無し。葬家と同等以上に敵対視されているル・フェイが狙われない理由は無い。こいつが生き延びるには強くなる以外の選択肢が無いんだよ」
吐き捨てるようにそう言って、苛立ちのままに椅子の肘掛けを粉砕する。
「慣習的にル・フェイは異端を許さない。魔獣因子を持つが故に聖楼教会にも狙われる。後者は難しいがル・フェイを黙らせる事はそう難しくはない」
「そうですかねぇ?殆どの方はそれなりですけど、少なくとも結界術式を使う、えーと、ミーファさんでしたっけ?立場的に出張るのはあの方だと思いますけど、あの方確実にハンタークラスの実力ですよ」
微笑を浮かべてそう分析したのはリアリではない。
「あの魔獣はどうした?」
「割と変態で感情的ですけど物分かりはいいですからね。言う事は無いそうです」
「魔獣らしくない魔獣だな」
「私に友好的な時点で異常ですけどね」
呆れるユーフィアに苦笑で返す。
「ねぇ、ハンターって本当に?」
「お前にもハンターの称号については教えただろう。アレは一度その授与を断っている」
「ですよねぇ……私より余程相応しい魔術師ですよ。術式の座標指定速度、精度、そして結界術式の実力をそのまま表す座標単位の細かさ。はっきり言って規格外です」
「貴様も十分規格外だ馬鹿者」
「私はただのメイドです。それで、私なんで呼ばれたんですか?」
「大した事じゃない。そいつに体術と基本的な武器の扱いを叩き込め」
「…………魔術を教えてくれるんじゃないの?」
「お前は魔術より先に基礎的な体術を学ぶべきだ。魔力特性が『加速』である以上最大の武器はお前自身だからな」
「ついでに言うと私、魔術って殆ど使えないんですよね」
「はぁ!?」
若干目を逸らしてメイドが告げた言葉に素っ頓狂な声を上げる。
「え、だってあなた、え?すごい魔術師なんじゃないの?」
「いや実に傑作だなこれは……実に…………フフッ」
堪らずユーフィアが吹き出す。
「あぁ、安心していい。そいつは間違いなくハンターだし、お前に必要な技術はしっかり教えてくれるさ」
「本当に?」
「魔術が大して使えないということが弱いということではない。そのメイドは致命的に欠けている要素の代わりに他には無い能力を持って、それを最大限に活かして他とは別のベクトルの強さを獲得した。お前もそれと同じ、会得すべきは複雑で強力な術式ではない」
それでも疑いを拭えない少女に苦笑して、アリアは両手を広げて微笑を浮かべる。
「少し、確認してみますかぁ?」
「確認?」
「ええ。貴女は魔術、体術、武器、何でもあり。私は魔術は勿論のこと魔力での肉体強化もしません。貴女は私に一撃でも入れれば勝ち、私は貴女を行動不能にすれば勝ち、いかがです?」
「…………貴様、性格悪いな」
アリアに冷めた目線を向けてため息を一つ。
「やってみろ。よく分かる」
「わかった」
そう答えて、無防備に立つメイドを見やる。
「ッ!」
呼気を一つ、ほんの少し床を蹴って加速、アリアの背後に回る。
加速の勢いを利用して溜めを作り、もう一度床を蹴って背中へ拳を突き出す。
「────甘い」
恐ろしい速さで動く少女の腕を、アリアの右手が掴んでいる。
肩越しに見る目は鋭く、少女の動きを完璧に把握していた。
腕を掴んだまま少女の勢いを利用し、背中側へ振り回すようにして受け流しつつ身体を回転させ、腕を突き出したままの少女を正面に捉える。
少女はパンチの為に腕を伸ばし、突進の際に床を蹴った脚もまた、その力を床へ伝える為に伸びている。
つまり、胴はガラ空き。
ゆっくりと動くアリアの左手が少女の薄い胸に添えられ、強烈な衝撃を感じると同時。
少女の意識は身体と共に吹き飛んだ。




