25,その身に宿るモノ
目を開く。
知らない天井。
いつだったか見たアニメでそんなフレーズがあった気がする。
「…………一応学園内ですよね」
ゆっくりと身体を起こす。
目の前に手を持ってくる。
見覚えのある、見飽きた小さな手。
毛布をどけて身体を見る。
知能と反比例するように成長が遅い身体。
変わりはない。
「…………特に変化無しですか」
恐らく精神世界でトウマに会って、それからの記憶が無い。
「サーヴァント化、されていたんですかね」
「ああ、その通りだ」
不意に隣から声がした。
開いていた部屋の入り口にティリアより少し大きい深紅の髪をした少女が寄り掛かっていた。
「安心しろ。一応、お前の魔獣化した魔力は排除した。魔獣化の心配は無い」
「トウマさんはどうなりましたか?」
「魔獣化した」
「…………殺したんですか」
「その心配も要らん。私達ともう一人で魔獣化した魔力を相殺して終わりだ。まったく揃いも揃って同じ事して仲良しか?ん?」
「私の場合はトウマさんの魔術で消し去る事ができますが、トウマさんが魔獣化したらそうもいかないでしょう」
「あいつにはシルがいるからな。シルの固有術式なら本人の意識があればサーヴァント化と魔力の制限を行える。対象が笠木なら尚更精度は上がる。お前のようにわざわざ精神世界からサーヴァント化して魔力を制限する必要が無いんだよ。まぁ、笠木の場合はそれ以外にも理由はあるがな」
そう言って扉から背を離す。
「動けるな?」
全身に軽く魔力を流して特に異常が無いことを確認する。
「はい、大丈夫です」
「ならついて来い。いろいろと調べたい事がある」
「わかりました」
「ああ、着替えはそこに置いてある。三分で支度しろ」
指差されたベット脇に見慣れた制服が畳んである。
サイズの関係で特注の制服を着る。
「トウマさんは今どこに?」
「まだ目を覚ましていない。今は封印室にぶち込んである」
「…………まぁ、そういう扱いになりますよね」
「それで抑えられるとも思えんがな」
ティリアが着替え終わるのを見計らって歩き出す。
「これからどこへ?」
「理事長に用がある。お前の魔獣化の影響を調べるためだ」
「特に異常はありませんが?」
「肉体的な影響はお前には無い。それは既に検査済みだ。これから調べるのは魔力的な影響だ」
「魔力的な影響…………『堕天』ではないのですか?」
「それならお前の肉体に少なからず影響が出るはずだ。非解放状態でも『堕天』は身体能力を向上させる。それが無いという事は別のパターン…………それこそ笠木のような状態になっている可能性がある」
「トウマさんのような状態?」
「『堕天』は一時的に体内の魔獣因子を活性化させて身体能力の向上、魔力量の増加を行う事ができる魔力特性だ。対して笠木が行うのは『獣化』という異能と言って差し支えない技だ」
「『獣化』ですか…………トウマさんのは狐でしたっけ?」
「あぁ、お前は見たのか。そう、笠木の獣化は狐だ。とんだ化け狐だがな」
「化け狐とは随分な言いようですね。紛れもなく正解ではありますけど」
「…………お前長居はできないとか言ってなかったか?」
「バレなきゃいいんですよ」
「本当にトウマの妹だなお前は…………」
「私は先祖ですけどね」
「なるほど本当にトウマはお前の子孫だな」
振り返ったマワルの呆れたような視線の先、金髪狐耳の少女はしれっとした顔で歩いて来た。
「あなたは、あの時の」
「お久しぶり、ではないですね。一応初めまして、私は魔獣のヨミ。身体はトウマの妹の笠木アヤカのものですけど」
「あの時はありがとうございました」
「いえいえ、大した事ではありません」
「で、なんでここに居る?」
「ちょっと気になる事があって、トウマに会っておいた方がいいと思いましたので」
「何があった?」
「それは後ほど。今はカエデに会いに行くのでしょう?」
「それはそうだが」
理事長室へと歩を進める。
「そういえばあなたも『堕天』ではないんですね」「…………わかるんですか?」
「まぁ見れば少しは」
「それで、私はどうなってるんですか?」
「そこまではちょっとわかりませんね。ただ確実にもう一人重なっている事はわかります」
「重なっている?」
「ええ、今この瞬間私と話しているあなたではない、もう一人の『あなた』。限りなく同じ存在でありながら決定的に、致命的に違う存在。それが今私から見たあなたです」
「はあ…………?」
曖昧な言い回しに首を傾げる。
「ほう?やはりそうなのか。ま、わかりやすい説明は私がしよう」
通路の先、開かれた扉に手を掛けて、幽楽カエデはそう言った。
「どうも」
「あぁ。しかしどうして君がここに居る?トウマに何かあったか?」
「ええまぁ。少し気になる事が。トウマはまだ寝てますか?」
「いや、ちょうど起きたところだが」
「それは…………そうですか」
苦々しく顔を歪める。
「何か問題でも?」
「トウマはまだアヤカが魔獣化した事を知らないはずです。なので私が会うと………まぁ、その…………」
「なるほどね…………そうだな。確かに一理ある、が。問題は無いだろう」
「どうでしょうね?」
「笠木なら大丈夫だろう。あいつはなんだかんだでそういう事には耐性がある。耐性と言うよりは対処力か?まぁそういう事だ」
「ならまぁ、任せますけど」
「ではそれはそれで。ティリアはこっちだ」
「はあ……?」
理事長室の中の椅子に腰をおろす。
「何をするんですか?」
「魔力を調べる。『堕天』でないとすれば他の魔力特性を獲得している可能性がある」
「トウマさんの場合は『暴虐』でしたっけ?」
「いや、トウマの『暴虐』の特性は元々だ。あいつは『対生物特化』を獲得した」
「逆だったんですか」
「まぁ普通、と言うのもおかしいが対生物特化を得る事はまずないだろうな。トウマの場合は獣化を獲得した経緯が特殊だからね。そうだろう、ヨミ?」
「そこで私に振るあたり性格の悪さが滲み出てますよ」
「今更だな」
飄々とカエデは流す。
「さて、では始めよう。少しずつ魔力を流してくれ」
ティリアの頭に手を置いて目を閉じる。
「始めます」
魔力を流す。
「…………ふむ?コレは…………ん?」
「何かわかったか?」
「いや…………変化が無いわけじゃないんだが…………そうだな。コレは『消滅』ではないな」
「ならなんだ」
「そうだな………『拒絶』とでも言えばいいか。破壊ではなくどちらかと言えば守護をの為の力を求めた結果かな?」
「魔力特性の変化か」
「いや、『消滅』が消えたわけじゃない」
「つまり?」
「恐らく獣化に近いモノを獲得しているだろうな」
ティリアの頭から手を離す。
「あとで君にもナイトメア……君の力を安全に引き出すためのモノを渡す。君の場合は、あー、『ドラゴニックエンチャント』だったか。あれを使うのはそれまで止めておいた方がいい」
「どうしてでしょうか」
「そうだな、君に少し葬家の事を教えよう」
「葬家ですか。いきなりですね」
「それは後でわかる………では、そもそも葬家とは魔獣の魔力因子、魔獣因子の中でも最高にして最悪の、原初の死獣の因子を様々な方法で使用する家系の事だ。君のクレバー、ルリの東洞、私の幽楽、そしてトウマの笠木がそれに当たる」
「私が使っていたのは原初の死獣の魔力因子だったんですか!?」
「その通り。クレバーはドラグロアの魔獣因子を一族の“魔力”に埋め込んだ。つまり君がドラゴニックエンチャントを使用している時、君はドラグロアの魔獣因子を活性化させる事でその魔力を使っていたという事だ」
一度言葉を切る。
「…………だが獣化を獲得した今の君の場合はドラゴニックエンチャントの意味が変わってくる」
「魔獣因子の活性化、そのままの意味…………ドラグロアに近づくという訳ですね」
「理解が早くて助かる」
「トウマさんも同じなんですか?」
「同じとは言えないが、まぁ似たようなものだな。トウマは妖狐ツクヨミの魔獣因子を使用している」
「なるほど、それで狐ですか」
「話を戻そう。君は今、人間と魔獣の間にいると言っていい。ナイトメアは魔獣因子の活動を一定のレベルで制御する機能がある。それを使う事で君を人間側に踏み留まらせる事ができる」
「安全装置ってとこですか」
「その通り」
「でも使い過ぎれば保証はできませんよ」
ヨミが口を開く。
「それが笠木に会いたい理由か?」
「………はい」
頷くヨミの顔には不安が浮かぶ。
「先日のトウマの獣化は明らかに“深い”。魔獣化の一歩手前と言ってもいいレベルでした」
「トウマはあの時ナイトメアを二本使用して制御を強める事で魔獣因子の解放率を上げていた。それでも呑まれかけた事は確かだが、それじゃないのかい?」
「そうだといいんですけど…………アレは私とは違って世界を滅ぼす意志そのものです。用心し過ぎるって事はないでしょう」
「それは確かにそうだな」
「笠木と会うか?」
「ああ、その方がいいだろう」
マワルが両手を開き、魔力を起こす。
「《永劫の時をその書に記せ》」
「あなたもソレ使えるんですか」
「春雷を手術した時に研究して多少改良した。とはいえあいつほど燃費は良くないがな。タイムレス・アーカイブ」
古めかしい本を開く。
「『記録・牢獄』。ここでは常時魔力を吸われ、魔術の使用に障害が出る。特にヨミ、間違っても消えるなよ」
「わかってますよ。機構そのものを認識していれば『透過』できますので心配は要りません」
四人の立っているのは石造りの地下牢獄。
一定間隔で通路の壁に松明が取り付けられ、それ以外の光源は無い。
「この先に笠木をぶち込んである」
「では行こうか」
マワルとカエデは躊躇いなく先へ進む。
その後ろをティリアとヨミが魔力を奔らせながら続く。
しばらく歩き続けると正面を壁が塞ぎ、行き止まりになる。
「…………トウマさんは?」
「この先だ。《ブレイク》」
壁が砕け、奥の空間が露わになる。
「…………マワル?」
「笠木、もう出ていいぞ」
「いや、出ていいぞって言われても手枷も足枷も鎖もそのままなんだが」
「あぁ、それもか。《ブレイク》」
金属が砕ける音が響き、鎖を引きずる音が続く。
「やあトウマ、何日ぶりかな?」
「わかるわけねえだろ。俺は寝てた上に日の光も届かない監獄暮らしだぞ?」
「全くその通り。ちなみに四日ぶりだよ」
「ンな経ってんのかよ」
闇の中から、両手首の手枷を外しながらトウマが出てくる。
「よう、ティリア。戻ったな?」
「助けていただきありがとうございます」
「問題無い。元はと言えばあのクソジジイの責任だからな」
肩をすくめる。
「感動の再会は置いといて、今は君に会いたいって娘が居てね」
「誰だよ」
「私ですが」
一瞬でトウマの目の前に移動したヨミが口を開くと同時、その額にウロボロスの銃口が突きつけられていた。
「………………誰だよお前」
「その前にこの銃退けてくれませんか?」
卒倒してもおかしくないほどのトウマの殺気を叩きつけられてもヨミは飄々とそれを受け流す。
「誰だって聞いてんだよ。その魔術といい身体といい返答次第で消すぞクソが」
「まぁ、そうなりますよね」
話が通じないと感じたのか、トウマとよく似た動作で肩をすくめる。
「私は魔獣のヨミ。笠木アヤカが魔獣化した結果、私という存在が残されました」
「…………アヤカは死んだのか?」
「その言い方は少し違いますけどね。まぁともかくトウマを助けるために、アヤカは魔獣化しました」
「俺を助けるため?」
「五年前、笠木ソウゲンに致命傷を負わされたあなたはアヤカの固有術式で魔獣因子を覚醒させて一命を取り留めたんです」
「やっぱりアンロック使ってやがったのかあのバカ。あの状態で使えば確実に魔獣化するってのに」
「知ってたんですか?」
ヨミが意外そうに返す。
固有術式は魔術師の価値を決めるほど重要なものだ。
どのようなものであれ切り札としてもブラフとしても使えるため、肉親にもその存在を教えないのがほとんどである。
「知ってるのは俺と姉貴ぐらいだ。まさかまさかとは思ってたがどうして逃げなかったのかね」
「アヤカはトウマの事を相当慕ってましたから。たとえ“五十パーセントの確率で魔獣化する”欠陥魔術だとしてもトウマを助けるためなら躊躇なんてありませんでしたよ」
「なんなんですかそのアンロックって魔術は?」
「人間の魔力的な潜在能力を強制的に開花させる術式です。ほとんどは魔力量や魔力操作技術ですが、稀に魔力因子や魔獣因子を覚醒させる事もあります」
「笠木の場合はツクヨミの魔獣因子だったわけか」
「それで?俺に何の用があるって?」
「ええ、魔力を見せてください」
「魔力?」
「魔力です。魔獣因子の状態が見たいんです」
「まぁ別に構わんが…………ほれ」
トウマから魔力が溢れ出す。
それは出たそばから吸われて行くがスピードがまるで追いついていない。
「やはり牢獄程度じゃ話にならんな」
「いやさすがに手枷足枷着けられてた時はここまでは使えねえぞ」
「それでもだ。ここは本来魔術師だけでなく魔獣も封じる事ができる空間だからな。春雷が構築すればまた別なんだろうが」
「ならなんで春雷が居ないんだ?」
「あいつは今出払っている」
「なるほどな」
「それで、どうだいヨミ。なにかわかったかい?」
「あなたも魔獣因子ぐらい見えるでしょう」
「私は見えてもそれがどの程度危険なのかはわからないからね。私に言わせればトウマの魔獣化は当然のリスクだし現状を見ても特に問題だとは思わない」
「そうですか…………ありがとうございます、トウマ。もういいですよ」
魔力を鎮める。
「で、どうなんだ」
「明らかにアヤカが起こした時より解放率が上がっています。本音を言えばもう二度と獣化して欲しくありません」
「それは無理だ。俺も極力使いたくないが使うべき時には使うしかない」
「ええ、トウマならそう言うと思いました。なのでアドバイスを一つだけ」
「アドバイス?」
「はい。まぁ魔力を使うなら基礎の基礎とも言える事です。自分が自分である事を忘れないでください。トウマの中の魔獣は決してトウマではない事を忘れないでください。そうでなければ喰われるのは時間の問題です」
「そりゃわかってるが…………まぁ気をつける」
「そんな簡単でいいのかい?」
「使う以上はこれしか言えません」
「使わないのがベスト、とね。まぁ私もナイトメアの性能は上げたいところだ。ティリア用の物も作らないといけないしね。そちらでも多少の気休めにはなるだろう」
「頼みます」
「頼まれよう。ではマワル、そろそろ出ようか」
「了解した。展開終了する」
本を閉じ、理事長へと戻る。
「私はこれで。何かあれば三河原まで来てください」
その言葉と魔力の揺らぎを残してヨミは消える。
「…………あの魔術なんなんですか」
「シフト。元々はアヤカの固有術式だよ。空間を『透過』させて視認範囲に移動する術式だ。テレポートとかワープとか瞬間移動とか、そんな感じの術式だな」
「それらではないんですね」
「空間転移ってより“距離”を無くしてる感じか?一歩歩いたら目的地って感じだな」
「あーそれとトウマ、雑談もほどほどにして寮に帰ったほうがいい」
「なんでだ?」
「多分だがシルとルリが君の部屋に居る」
「すぐに帰る」
ルリに何をされているかわかったものではない。
「あ、私も行っていいですか?」
「構わないが…………ルリ居るぞ?」
「トウマさんは一度ルリさんに謝ったほうがいいと思います」
走り出したトウマをティリアが追いかける。
「呑気なものだな」
「それが子供の特権というものだ…………まぁ彼等はそうも言ってられないだろうがね」
「どうかしたのか?」
「聖楼協会に動きがあると諜報員から連絡があった」
「あの魔術排斥集団がまた動くのか」
「もう動いている、という方がいいね。連絡も途絶えた」
「死んだのか?」
「だろうね。どうやら本格的に暗部が動いているようだ。殺されるのも頷ける」
「生徒への被害はあるのか?」
「それは無いだろうね。聖楼協会はあくまで魔獣因子の殲滅を目的にする組織だ。魔術師と言えど学生程度のマスターに構う余裕は無い」
「だが一部の人間は違う、と?」
「その通り。伊竜スミヤの一件でトウマの存在は奴等に知られているはずだ。それにティリアやルリはもちろんの事、アリアやアイリアも標的にする可能性は高い。君や私は言わずもがなだ」
「あのクソ共が!くだらん思想であいつらを殺すつもりか」
怒りに応じて魔力が溢れる。
「落ち着けマワル。君のする事はこの学園の安全確保だ。守護者である事を忘れてはいけないよ」
「…………わかってる」
「ならいいんだ…………まぁ私も奴等の好きにさせる気はない。トウマ達を殺させる気もない。必要であれば君に学園を離れてもらう事もある。焦って視野を狭めるような事態になればそれが最悪の結果を招く」
俯いたマワルを視界の端に、窓からソレを睨む。
街の外れ、かつてあったビル街の残骸、廃墟群の向こう。
高々と建つ楼閣を。




