赤い表紙の日記と記憶
初めて投稿します。
慣れてないので変なところあったら教えてください。
日記に人の悪口を書く人間がいるらしい。残念ながら理解できない。彼らはその日記を読み返したとき、どんな気分になるのだろうか、と僕は思う。皮肉ではなく、純粋な疑問だ。僕にはどうも想像できないんだ。日記を開いたときに呼び起される感情がプラスよりマイナスの方が多かったりしたら、あまりいい気分ではないような気がする。それとも、そもそも日記を開かないのだろうか。それはそれで日記を書く意味がない。
僕は五年日記を愛用している。落ち着いた赤の表紙で、手に持つとずっしり重い。五年日記なのだから当たり前ではあるのだが、この重みが気に入っている。日々の日常は僕にとって重いのだと、そう感じさせてくれるから。
しかし実質、僕の実感としては、日常というのはあまり重さを持っていない。なんてこともなく仕事をして、食事をして、眠りにつく一日というのは、どこかの知らない人の夢のようにふわふわとして、とらえどころがないように感じる。
もちろんそれはただの感覚で、真実じゃない。僕の一日は恐ろしく重いものであるはずなんだ。
たとえば朝、出勤する。すると職場の入り口で、眼鏡をかけた青年が挨拶をしてくる。
彼は建物の管理人で、掃除や書庫の整理などを一手に引き受けている。毎日規定の時間に、職員の仕事部屋のドアをたたき、コーヒーとクッキーを運んでくるのも彼の仕事だ。単純な肉体労働の多い仕事だが、時間にはきっちりしているし、頭も良い。あまり自己主張の激しくない性格で、ちょっと愚痴をこぼすには申し分のない相手とも言える。彼は相手の的確ななだめ方とおだて方をよく知っているんだ。
彼に挨拶を返したあと、僕は自分の仕事部屋に行く。
ここの職場は、一人ひとりが個別の部屋をあてがわれているのだ。僕の部屋はB2C34。地下二階のCエリア34号室だ。一階の隅っこにあるエレベーターはチーン、と古風な音を立てて、僕を迎え入れる。誰かが慌てて走ってくる音がして、振り返ると、ここの職員の一人がこっちへ向かってくるところだった。僕は黙ってエレベーターの「開く」ボタンを押し続け、彼が来るのを待った。
「どうもすみませんね」
彼は肩で息をしながら言った。B2D20の人だった。
「いえ。特に急いでいるわけではなかったので」
「そうですか、それはよかった。どうです、仕事の方は」
僕の仕事場では、この一言が挨拶代わりとなることが多い。
「順調ですよ。気持ち悪いほどに何事もなく、すべてが綺麗に収まっています」
「何事もないのが一番ですよ。Cの34号室は最近慌ただしかったですからね」
彼は冗談ぽく笑って言った。エレベーターが再びチーン、と鳴り、地下二階に着いたことを知らせた。僕らは連れだって四角い箱の中から出る。
「そちらにまで伝わっていたんですか。いや申し訳ない。お仕事の邪魔にはなりませんでしたか?」
「大丈夫ですよ。気にすることはありません。どこの部屋もそうなることはありますしね」
「ええ、こちらももう山場を過ぎましたし、この階もだいぶ静かになると思いますよ」
僕らは笑った。ここの職場は部屋が別になっているせいか、人間関係に悩むことが少ない。あるいはただ単に、働いている人たちがみんな良い人だというだけかもしれない。どちらにしろこれは利点のひとつだ。
CエリアとDエリアの分かれ目に来た。右に行けばC、左ならDだ。
「では、頑張ってくださいね。何事も起こりませんように」
「そちらも」
僕らはそんな挨拶を交わして、左右にわかれた。
さて、仕事だ。
僕の仕事は、記憶の振り分け。ひとりの人間の記憶を抽出し、別の人間の中に振り分ける。個体によっては拒否反応が起こる場合もあるため、サンプリングは慎重にやらなければならない。日本の田中さんの記憶が、アメリカのトムさんやフランスのカトリーヌさんに受け入れてもらえるとは限らないのだ。もしも相手側が受け入れ拒否をした場合、田中さんの記憶は宙に浮いたまま、ブラックホールに飲み込まれてしまう。すると田中さんは抜け落ちた記憶の期間だけ、どの世界にも存在しなかったことになってしまうのだ。
既視感とか前世、と呼ばれているのは、だいたい僕の仕業だ。記憶の振り分けは時代を超える。そうしないと、受け入れ先が見つからないことがあるからだ。ぴったりと合う個体を探すのは意外と骨なのだ。ときには世界すら違うこともある。A世界のウィリアムさんの記憶が、B世界のハロルドさんの中に入る、といった具合に。
世界というのは結構な数があって、基本的に世界間の物理的な行き来は許されていない。もちろん、例外がないわけではないが。人間はいくらでも、自分で世界をつくることができる。想像と呼ばれている方法によってだ。これからは想像とは呼ばすに、世界の創造と呼ぶべきだと思う。僕のように複数の世界を相手にしていると、想像という概念が厳密には存在しない、とわかるからだ。人間は古来から大量の世界をつくり続けている。自分でそうとは気づかずに。
とにかく、僕は毎日、膨大な量の人間の記憶を見ている。さながら映画を早送りで見るように、僕の目の前の白い壁に、人間の記憶が猛スピードで再生されていく。僕はソファに座ってそれを眺め、赤く光る映像を探す。もしも映像が赤く光ったら、それは抽出のサインだ。僕は光っている映像だけを慎重に切り取り、代わりに真っ白な空白期間を縫い合わせる。そして切り取った記憶の受け入れ先を探す。探し方は簡単だ。受け入れ先は自動的に表れる。僕はそれを待つだけだ。
受け入れ先の名前が思い浮かんだら、その人間の記憶を再生する。記憶の濁流の中に、切り取った記憶を落とす。そのまま流れていけば受け入れ完了。流れていかなかったら、急いで拾い上げなければならない。ブラックホールに吸い込まれる前に。
僕の仕事は以上だ。これを延々と繰り返す。ときどき、あの眼鏡の青年が差し入れをもってきてくれる他は、誰とも会わない。危険だからだ。記憶というのは洪水であふれた暴れ川のようなもので、うかつに近づくと呑み込まれる可能性がある。一日分の仕事が終わると、僕は日記を書く。今日一日で見た記憶と、受け入れ先との相性を書き留めておく。そしてそれをソファの隣の小さなテーブルに置き、僕は部屋を出る。