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以前短編で書いた『世界一の魔法使いからの逃走劇』の続編みたいなものです。
三、四話完結予定。
時代背景を無視した、魔法ありの架空異世界です。
すれ違う溺愛を書きたくなりまして^_^;
『お前を愛している。―――俺から逃げ切れると思うなよ、マリーベル』
彼が好きで、でも見てもらえない事が悲しくて、縁談という姑息な手を使った。
そして逃げた私を最終的に捕まえた時に、彼はわたしにそう言った。
紫紺の瞳を妖しげに細めながら。細く力強い指先でわたしの髪を撫でながら。
普段絶対に見る事の無い優しい表情と、絶対に聞く事の無い言葉に私の精神は耐えきれず、その直後の記憶は無いけれど。
その言葉通りに、わたしの幼馴染でありながら自称世界一の魔法使い様は、魔法を駆使して逃げるわたしを追い続けた。
捕らえられれば必ず彼はわたしに愛を囁く。『愛している』と。そして彼は此方が蕩けそうな程の笑みを浮かべてわたしを組み敷く。
それはいつもの応酬で、しかしわたしの精神は普段と違う彼のそれに耐えられなくて、いつも途中で意識が飛んでしまう。
―――あり得ないのだ。
普段の彼は底意地の悪い俺様で、わたしを泣かせるのが楽しいと言って憚らない癖に、土壇場であんな顔をするなんて本当にあり得ない。
わたしの精神が耐えられないのも納得だ。
でも、わたしは彼が好きなのだ。
彼―――アースもわたしの事が好きだと言う。
両想いなのになぜ逃げるのかと問われれば返答に困る。大いに困る。
一つだけ言えるのは、彼に数多の彼女が居ると言う事が起因している。いや、これに尽きるのかもしれない。
ふとした瞬間にアースの事が好きだと実感した途端、彼から香水の香りが漂ってくるのだ。まるで見えない女性が『私のアースに近づかないで』とわたしに威嚇するように。
だからわたしは、彼には数多の彼女が居るという現実を突き付けられて逃げる。
どれだけ彼がわたしだけを愛してると言っても、アースの言葉を心底信じられないのだ。
―――だから、今日もわたしは逃げる。
今度は魔除けの札や、追跡魔法を跳ね返す装飾を身につけて。
***
マリーとアースの暮らす街中から少し離れた山の中に、その一軒家はある。
少し古びたレンガ造りの家の外観には蔦が這い、屋根にはカラスが数羽、羽を休めている。うっそうと茂った周囲の木々の配置も相まって、夜には誰も近づかない不気味な場所である。
この家に近づくのは、この場所に住む人間とかかわりのある一握りだけ。
「マリーよ。いくらアースが魔王の様な奴でも、人間のアレには魔除けの札は効かないと思うがね」
「いいんですよっ! アースにはその位しなきゃ怖いんですもの」
「第一、アースの口から浮気をしていると聞いたわけでもないのだろう? 香水の一つで浮気と決めつけて逃げ出すとは大袈裟な」
「彼には数多の彼女さんが居るってもっぱらの噂です。目撃者多数なんです。わたし自身も何度か綺麗な女性と連れ立っているアースを見ているんですっ!」
やれやれと小さな息を吐きながらアースの師匠であるタロットは、部屋の隅で丸まりクッションを頭から被るマリーを見降ろして呆れた顔をした。
タロットは齢五十を超える魔法使いである。しかし、若返りの魔法を使っているのか、短く黒い頭髪はふさふさで艶々。顔には皺ひとつなく、魔法媒介の杖を持つ手は節くれだってすらいない。服を肘まで捲くっているが、その腕の筋肉も引き締まった感じである。
到底五十には見えず、精悍な二十代後半の青年に見える。街中に住む奥様方が羨む程の若づくりの魔法使いである。
魔法使いであるタロットが生活の糧を稼ぐためにひとたび街中に現れれば、その若づくりの秘訣を聞こうと女性達に囲まれる事もしばしば。彼が持つ若づくりになると評判の魔法薬は、この街の隠れた特産の一つになっている程である。
高額な偽物ばかりを売りつける世の中にはびこる偽魔法使いとは違い、一切押し売りをしない本物の魔法使いである彼は、老若男女問わずこの街の者達に慕われている。いや、本物の魔法使いだから慕われるのではなく、彼の優しい人柄ゆえに慕われていると言っても過言の無いほど、彼は人望に厚い。
マリーがそんなタロットに頼ったのは、彼の人柄を見込んでだった。
アースの師匠であるタロットならば、きっと何とかしてくれるだろうとそう思って。
なのに、マリーの前で彼は言った。
「出来ればアースとの諍いに巻き込んで欲しくないのだがね。アレを怒らせると私でも恐怖を感じるから」
アースの師匠であるタロットでも、弟子が怖いらしい。
でも、見捨てられるのは困る。このままアースに見つかり拉致されいつもの記憶がぶっ飛ぶ事をされる。そして彼から漂う香りと女性の影に傷つき、逃げるの繰り返し。もうそんな事は終わらせたかった。だからマリーは被っていたクッションを胸に強く抱きしめて喰いついた。
「タロット様がアースに目を付けて魔法を教えたから結果的にこうなったんです。最強の魔王を作り上げたのはタロット様なんですよ?! だから責任をとってわたしを守ってくれなくちゃ! わたしは魔法が使えないしがない一般人なんですよ。一般人!! 暴走する最強……いえ、最凶の弟子から一般人を守るのは師匠の仕事でしょう?」
「……お前も言うようになったな」
タロットは腕を組み、困ったように額に手を当てると、茶色の双眸を閉じて何かを考える仕草をした。
やや時間をかけて考えに耽った後、額にあてていた手を口元に持ってきて彼は口を開いた。その口は面白い事を思いついたと言いたげに、口角が上がっている。
「お前はアースの周りに女の影があるのが気に入らんのだろう? だったらお前も同じ事をすればいい」
「えっ? どういうことでしょうか」
「……つまり、だ。私と楽しい遊びをすればいい」
にやり、と形容するのが正しい顔をしたタロットが、マリーに手を伸ばしたその時、マリーの対角線上にある玄関の扉が爆音と共に粉砕された。
もうもうと立ち込める粉じんと煙が爆風と共に室内に入り、マリーの視界を遮った。焦げた匂いと煙は鼻を襲い、喉にまで達して咳を誘発させた。
咳き込む彼女の目の前にいたタロットは、扉を破壊した者が誰だか理解している様子で、口癖である「やれやれ」を呟くと玄関の扉があった方へと目を向けた。
「……アースよ、師匠の家を破壊しないでおくれ。修理代も馬鹿にならないのだよ。ほれ見よ、魔法で煙を避けれる私と違い、魔法が使えない平平凡凡一般人のマリーが被害を被っているではないか。一般人だぞ。一般人」
なにやら説明臭いタロットは、咳き込むマリーを介抱する事も無く、面白そうな口調で先ほどマリーが言った一般人を強調した。
アースと名を聞いた途端、青ざめてクッションに顔をうずめ前を見ないようにした。
前を見なくてもわかる。アースは師匠であるタロットの存在を無視して近づいて来ている。
コツンコツンと木の床に響く靴の振動音が、マリーにとって何かのカウントダウンに聞こえる。
靴音は小さく固まるマリーの間の前で止まり、重圧感のある視線が彼女の頭上に注がれた。アースはクッションに顔を埋めながら咳き込む彼女の前にドカリと座ると、クッションの隙間から手を入れて苦しげな彼女の首に治癒を施した。
頑なにこちらを向かないマリーに業を煮やしたアースは苛立たしげに、声をかける。
「マリー、今度は何が気に入らないんだ」
「………………ぜんぶ」
「だから、何が?」
短気なアースは、イライラと髪をかきあげた。
その瞬間、女性ものの香りがマリーの鼻腔をくすぐる。
おそらく先ほどまでその女性と一緒に居たのだろう。ふわりと羽の様に軽い香りだが、鋭い刃物のように、マリーを威嚇した。「彼に近づかないで」と言われている気分だ。
マリーは手にしていたクッションを思いっきり振り上げてアースにぶつけると、彼が怯んだ隙にタロットの背へと隠れるように滑り込んだ。
「全部よ! アースなんて大嫌い!」
「俺はお前が好きだ。非力で愚鈍なお前を愛してさえいる。お前も俺が好きなはずだ」
紫紺の瞳に真っ直ぐに見つめられて、マリーはたじろいだ。
しかし、破壊された扉から入ってきた風が、アースについた香りをマリーの鼻腔に届けた。
数多にいるアースの彼女達の誰かの香りである。
(きっと誰にでも言ってるんだわ!)
胸を締め付けられる感覚に陥りながら、マリーはタロットの背に隠れながら妙案を思いついた。
先ほどタロットが言っていた、「同じ事をすればいい」という言葉だ。
一度くらい、私と同じ目にあってみればいい!
好きだと思ってる相手の傍には、異性の影がある。それがどれだけ辛いか。その気持ちを味わってみるといい。そう思って、マリーはタロットの背から手を伸ばし、一見二十代の若づくりだが齢五十の男を抱きしめた。
そして、口を開いた。
まるで宣言するように。
「わたしは、タロット様が大好きなの!」
嘘ではない。異性として好きなわけではないけれど、本当のことだ。温かい人柄をもつアースの師匠の人間性が、昔から大好きなのだ。
マリーの言葉を聞いたタロットは、明らかにうろたえている。アースの紫紺の瞳がこちらを射抜くように見ているからだ。
アースはゆるりと立ち上がった。そして、獰猛な肉食獣が獲物を観察するように見つめた後、その整った口を歪めておかしそうに笑った。腕を組んで笑う様はとても偉そうだ。
「その老獪のことが? 言うに事欠いて、五十を超えた枯れた爺とはな。……茶番は終いだ。帰るぞ、マリーベル。お前は俺のものだ」
「―――やっ! わたしはタロット様の傍にいるの! これから楽しい事をするんだから」
アースがタロットにへばりついているマリーの手を取ろうとしたその時、それまでうろたえた雰囲気をしていたタロットが、持っていた杖でアースの手を叩いた。
「馬鹿者が。嫌がっている者に無理強いをするでない。マリーは暫くの間は私が預かる」
後ろにいたマリーの腰に手を当てて引き寄せると、ニヤリと笑って彼女のこめかみに口づけた。
まるで、マリーの企みにのる事を彼女に知らせるように。マリーの真意を知らないアースを苛むように。
「私も可愛らしいマリーが大好きだ。さあ、これから楽しい事をしようではないか。アース、お前は邪魔だ。即刻立ち去るがいい。今ここで師弟対決でもしたいと言うのなら別だがな」