第6話 あふれ出す熱
リクは疲れたように冷たい壁にもたれると、ダラリと両腕を垂れ、目を伏せた。
さっきまでの棘々しさは、もう、そこには無かった。
「リク・・・」
そう声を漏らしたのは玉城だったが、つと前へ出てリクの肩をつかんだのは長谷川だった。
「ねえ、・・・それは何? 何がリクの中に入り込もうとしてるの? 何がそうさせるの」
長谷川の喉から出てきた声は自らも驚くほど細かった。
玉城もその空気に逆らうように声を張り上げた。
「なあ、リク。それは『あいつら』のせいか? お前が扉を開けたから、悪霊みたいな何かが入り込んで来るのか? この前、お前が殺された女に体を貸してやった時みたいに、何かに乗り移られたのか?」
リクは力なく笑った。
そして首を横に振る。
ふわりと柔らかい髪がゆれ、伏せられた青白い瞼にかかった。
否定の合図ではない。
《分からない》 そう言う代わりに首を振ったのだ。
長谷川も、その時になってようやくリクが限界に来ているのが分かった。
リクが、もうどうしようもなく自分の体に困惑し、疲れ切っている事に気付いたのだ。
「追い出しちまおうぜ、リク。霊媒師でもなんでも呼んでさ。悪霊なんて追い払っちまおうぜ。な?」
玉城が吠えるように言った。
けれどたぶん、玉城自身、半分はそんなこと不可能だと思っているに違いないのだ。
そんなことが出来るなら、リクはとっくにやっている。
リクに出来ないことは、他のどんな霊能力者にも出来はしないと、以前長谷川に教えてくれたのは玉城だったのだから。
リクの霊力はそれほど並はずれている。リクに正体のわからない化け物が、そこらへんの霊媒師に見抜けるわけがないのだ。
リクが再び首を横に振った。
「でも、まだ抑え込むことができてるし・・・。何とかなるよ。大丈夫だと思う。だから・・・」
「何で一人で抱え込むの。気休めでも私たちに話してみようとかいう気は起きなかった? 私や玉城は、そんなに役に立たない存在なのか?」
長谷川はリクの両肩に手を置いたまま、極力声を荒げずに言った。この青年に向けるべき憤りではないのだ。それは分かっている。
けれど心の中は爆発しそうに熱を持って膨張していた。
怒りではない。
長谷川にも分からない、張り裂けそうな感情を押さえるだけで、頭も体も精いっぱいだった。
リクは長谷川を見つめ、一瞬フッと目を細めた。
力の入らない空虚な笑いだ。
「ごめんね。そんなんじゃないんだ。これは・・・僕ひとりの問題だと思ったから。僕の中に原因があって、それはきっと自分で何とかしなきゃいけない事で・・・」
言い終わらないうちに、リクは長谷川の腕に抱き留められていた。
リクよりも上背のある筋肉質な腕に、リクはしっかり包み込まれた。
長谷川の感情の防波堤は、本人も想いもよらぬ刹那に、呆気なく崩れ去っしまったのだ。
リクは驚いて一瞬体を硬直させたが、一番大声でも上げて騒ぎそうな玉城は、それを静観した。
玉城にも、長谷川の悔しさが痛いほど伝わってきたのだ。
一番守りたい人を守る方法が分からず、そして明日にはその人を置いて行ってしまわなければならない。
「大丈夫。あんたは他の何かに取り込まれたりしない。そんなことあり得ない。きっと大丈夫だよ。だから自分を傷つけるような事はもうやめなさい。きっと・・・きっと何か、いい方法が見つかるから」
リクの肩に顔をうずめながら、長谷川がくぐもった声で言った。
自分の手出し出来ない領域への憤りが、語尾を震わせる。
悔しくて腹立たしくて堪らなかった。
リクは観念したように長谷川の腕の中で全身の力を抜き、一つ息をつくと、呟いた。
「長谷川さん」
「ん?」
「遠くに行くの?」
「・・・ああ」
「さよなら」
「・・・馬鹿が。すぐ帰ってくる」
長谷川は更に腕に力を込め、リクのしなやかな体を包み込んだ。
リクの背に回した手のひらが、薄いシャツ越しにザラリとした昔の深い傷あとに触れたが、長谷川は無言でそれごと抱きしめた。
押し込めていた正体の分からない火のように熱い感情が、触れ合った肌の間で更に熱を帯び溢れ出した。
ただ静かに長谷川の感情の高ぶりを受け入れて、自分の腕の中でじっとしている青年が愛おしくて、守りたくて、堪らなかった。
自分の魂を、ここに置いて行きたくて仕方なかった。
「リク、電話するから。なるべく休みには帰るようにするから。玉城だっているしさ。あんたは一人じゃないんだよ。何かあったらいつだって電話しておいで。・・・海の向こうからだってすぐに飛んでくるから。だから・・・がんばって・・・頼むから」
リクは長谷川の優しい言葉に微笑み、返事の代わりに小さく頷いた。




