第23話 許さない
「ふっ、姑息な芝居しやがって!」
荻原の怒りに満ちた言葉に、璃久は笑った。
「何度言っても分かんない人だなあ。あいつは本当に知らなかったんだってば。ただ純粋に体調が悪くて、医者に飛び込んだ。・・・まあ、ボクの暗示だけど。
ねえ、先生。びっくりした? 15年前に殺し損ねた子供がひょっこり大人になって自分の所に受診に来たんだもんね。ボクは15年ぶりに目覚めてから、あなたを探すのは簡単だった。名前も、顔も、貴方が発する異様な霊気も、ぜんぶ分かってたから」
「名前も?」
「覚えてない? あなたをあの現場に降ろしたバンの男が、あなたの名を呼んだのを。あれは・・・共犯者? もしかして、今回殺されたのは、あの男だったりしてね」
相変わらず陽気な口調で喋る青年を睨んでいた荻原だったが、ある一点から急に腹に何かを決めたように片手をスラックスのポケットに引っかけ、肩の力を抜いた。
「ふーん。じゃあ、俺が治療してやってた方は、何も知らなかったっていうのか?」
「最初からそう言ってるじゃないか。先生は必死にあいつを個人的に誘って、本当に記憶が無いのかどうか、確かめようとしてたみたいだけど」
「じゃあ、時々記憶が途切れるって言ってたのはどうなんだ」
「あれも本当だよ。どういう訳か数ヶ月前にあいつが自分で『扉』を開けてね。ボクは目を覚ました。ボクが表に出ようとすると、あいつは苦しみ、意識が混濁する。あいつが苦しむのを見るのは楽しかったな。・・・いっそ、ぶち殺してやりたいと思ったね。ボクを拘束しやがって」
璃久は眉間にシワを寄せた。
普段しない、そんなリクの表情や口調に、シャッターの影で聞いていた玉城は、どうにもやり切れず、泣きたい気持ちになった。
そして同時に、ああそうか、そうだったのだと、引っかかっていたものが喉元を流れて落ちた。
およそ理解しがたい“璃久”の告白のすべてを受け入れてみると、今までのすべてが納得できる。
「自分で自分を殺すのか? 物騒なこった」
荻原は次第に落ち着きを取り戻し、余裕の笑みさえ浮かべ始めた。
玉城には、それがどうにも不気味に見えた。開き直った荻原の魂胆が、その笑みに見え隠れする。
玉城の中で危険を知らせる信号が点滅を始めた。
「人を殺す方がよっぽど物騒だと思うけどな」
璃久は面白く無さそうに言った。
「ボクが記憶を無くしてて無害だと分かったら、今度は意識障害を利用して殺しの濡れ衣を着せようとするなんてね。さすがだよ。お陰でボクは弱り切ったあいつを消して、この体を使えるようになったんだけど」
「へえ。良かったじゃないか。それも一つの殺しって訳か?」
荻原が下卑た笑みを浮かべると、璃久は吐き捨てるように言った。
「一緒にするな! 人殺し! あんたが殺したあの男は誰だよ。昔の仲間か?」
「そんなに興味あるなら教えてやるよ。昔、金に困ってた学生時代にツルんでた仲間だ。医大に入ったはいいが親の会社が倒産。自力で大学資金をつくろうと、学生仲間の起業話に乗り、そこで借金。借金仲間とヤバい請負仕事に手を染めたってわけさ。一番ヤバくて金になったのはやっぱり殺しでね。
けっこうあるんだよ。ヤーさんだって手を出したがらない仕事ってさ。でも、所詮素人だ。あの男は真っ先に足がついて指名手配されちまってさ。逃亡しがてら、共犯の俺を強請ってきやがった。ドジ踏んだのは自分のくせして。こっちは医師として軌道に乗りかけたってのにさあ。穏和な俺も、ついにぶち切れた・・・ってわけ」
自白だ! 玉城は身震いした。
この男は自分が重罪を犯したことを認めた。
玉城は手の中の携帯を汗ばむ手で握り直し、そして先程ポケットから出した“もう一つのお守り”を胸の前にかざした。
15年前のリクへの暴行事件は控訴時効が成立している。
ここでリクに対する殺人未遂が発覚しても、その犯人の罪を問うことは出来ないだろう。
けれど、昨日犯したばかりの殺人となれば話は別だ。
決して喜ぶべきではないが、リクをあんな目に遭わせた男を法で裁くことができる。
リク・・・。
玉城は改めてハッとした。
そうだ。
そのリクは、今どこだ?
あんなに真実を知りたがっていたリクは、どこなんだ?
自分を殺そうとした人間が、養父母ではないと信じたがっていたあいつは。
ここで顔色一つ変えずに自分を殺そうとした男と対峙している青年が別のリクなのだとしたら。
目の前の衝撃に束の間忘れていた“問題点”が再び波のように押し寄せ、玉城の心臓は病的に激しく鼓動をはじめた。
「へえー。そういうことね。まあ、あんたが誰を殺そうと、ボクにはあまり関係無いことだけどね」
荻原の自白を聞いた後だというのに、璃久は退屈そうに再び手の中のナイフを弄びはじめた。
玉城の位置からは、璃久の表情は少し見え辛かったが、その声で、怯えや緊張は皆無なのが分かった。
「それはそれは。じゃあ、見逃してくれるってわけか? 坊や」
「まさか」
「自分を殺そうとした人間は、やっぱり許せないか?」
荻原は、唇を引き延ばし、緩慢に嗤った。馬鹿にしているとしか思えない、そんな笑みだ。
「そうじゃないね」
恐ろしく研ぎ澄まされた鋭利な刃物のように、璃久の言葉がスッと突き出された。
「あんたはあの時、言わなくていいことをボクに喋った。ボクを殺せと頼まれたのなら、無駄口叩かずにさっさと殺せばよかったのに」
「はあ? 何の事だ」
荻原は少しポカンとした表情だった。本当に覚えていないらしい。
“何の事だろう”
玉城はゴクリと息を呑み、青年の見えない唇の代わりに、うなじ辺りを見つめていた。
さっきまでゆったりとしていた璃久の動きが少しぎこちなくなり、微かに肩先が震えて見えたのは気のせいだろうか。
「あんたは言ったんだよ。ナイフで斬りつけられ、痛みと恐怖で地面をのたうち回っていたボクに。これはいったい“誰が仕組んだ”仕打ちなのかを」
「ああー」
荻原は全てを理解したのか、事も無げに笑い、さらにその遠い過去の場面をしみじみ思い出そうとするように、眼球を斜め上に動かした。
「そうだった。もう、何だか笑えるほどお前が哀れでね。天使みたいな顔して、血だらけで怯えてるお前の姿見てたら、つい教えたくなったんだ。お前を殺せって言ったのは、お前を育ててるあの養父母だってね。
あの二人はお前のことを札束としか見てなかったんだよ。愛情なんて欠片もない。ほら、そんなこと何も知らずに死んでいくのは辛いだろ? 自分を殺そうとした人間くらい、知っておきたいだろ?」
ちょっとした思いやりだよ、とでも言いたげに眉尻を下げて、荻原は嗤った。
玉城は血が凍る思いがした。
こんなに誰かを憎いと思ったことはなかった。
この荻原という男は、明らかにゲームか何かのようにその卑劣なバイトを楽しんでいたのだ。
狂っている。仮にも医療を志すもののやることとは思えない! いや、もはや人ですらない。
ドクドクと体中の血が煮えたぎり、吹き出す出口を探しているようだった。
ここにいる璃久は、その耐え難い事実を胸にしまい込み、15年間息を殺していたのか!
「ボクはあんたを許さない」
璃久のその声は、低く落ち着いていたが、ゾッとするほど冷たかった。
玉城が、このあと自分の取るべき行動を冷静に考える間もなく、それは突然に起こった。
さっきまで右手で弄んでいたナイフをパチリと開くと、まるで俊敏な猛獣が乗り移ったかのように璃久のその体は地面を蹴り、宙を舞った。




