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第22話 罠

「そのナイフは?」

荻原はもはや、驚いた表情をしていなかった。ただ、忌々しそうにナイフとリクを交互に見比べている。


「ええ、死体から抜き取ってきました。混乱したもう一人の僕に命令して。だって、嫌じゃないですか。このナイフには僕の名が彫ってあるし、指紋だって付いてる。あのまま残してきたら僕が疑われちゃうでしょう? 何より、あなたのワナに嵌るのは真っ平だもん」

リクは不満そうに口をとがらすと、ナイフを閉じたり開いたり、手の中で弄び始めた。

その姿はいたずらを咎められて言い訳をする子供のようだ。

「いい加減にしてくれないか? 君の言ってることはさっぱり分からない。もう一人の僕とは誰だ? 罠っていったい何の事だ。頭がイカレたのか?」

荻原は不愉快そうに再び眉間にシワを深く刻み、リクを睨みつけた。


「いっぺんに質問しないでくれるかな。まだ体と脳がしっくり来ないんだ。何しろ長いこと閉じこめられて来たからね。誰かさんのせいで。やっと出られたと思ったら、厄介事に巻き込まれててさ。大迷惑」

リクはわざとらしく肩をすくめた。


「解離性同一障害・・・か」

荻原がそう言うと、リクは返事の代わりに大きく緩慢な伸びをした。

「へえ~そうなの? 何にでも名前をつけちゃうんだね、医者って。だけどさ、今気付いたって顔してるよ。最初から気付いてるから心療内科に誘ったんだと思ってたけど。じゃあ、やっぱり、僕がどこまで知ってるかを聞き出すためだったんだ。あ、それとも、見張るため?」

「お前は!」

荻原はそこで初めて声を荒げた。

「お前はいったい、何を見たんだ! 何を知ってるんだ!」


その声にビクリと跳ね上がったのはリクではなく、錆びたシャッターに貼り付いていた玉城だった。

そして、その頭の混乱は、ますます酷くなる。


---解離性同一障害・・・? リクが?

荻原が犯した犯罪とはなんだ? さっきリクが言ってた殺人なのか?

荻原がリクを見張る? なぜ? 二人はどういう関係なんだ!

長谷川には、このやり取りが聞こえているんだろうか。

長谷川なら、今何が起こっているのか、分かるのだろうか。---


作業場に向けてかざした携帯電話を祈るように見つめながら、玉城は身を固くし、物音を立てないようにして、ひたすら二人のやり取りに耳をすませた。


「ボクが見たこと? それはどっちの事を言ってるのかな」

リクが小さく首を傾げると、荻原は再び声を荒げた。

「ふざけるな。俺はお前に、“人を殺したかもしれない”って言って呼び出されたんだ。死体を見たんだろ? そうなんだよな? お前が殺したんだろ? そのナイフで」

「待って、待って」

リクはクスクスと笑った。

「慌てないでよ、センセ。あなたも健忘症になっちゃった? 確かにもう一人の僕は、先生に騙されて、そう思い込んじゃったみたいだけどさ。僕は真実を知ってるよ? あの男を殺したのは先生だ。瞼が重かったけど、こっそり見てたもん。もう一人の僕が、ちゃんとお寝んねしてくれてたから」

荻原は奇怪なモノをみたように口をあんぐりと開けていたが、その後ジワジワと血の気の引いた顔をゴムのように引きつらせ、リクを睨みつけた。

けれど、その歪んだ口からは言葉が出てこない。


「残念だったね、センセ。もう一人の僕が時々記憶を無くす兆候があることを利用して、ボクに罪をなすり付けようとしたんだろうけど、失敗だったね。あいつを騙せても、ボクは無理だ。あいつの意識が遠のくと、ボクは覚醒する。普段は扉の奥に仕舞い込まれてて身動きできないんだ。あいつが不在の時だけこの体を自由にできる。今もう、嬉しくて仕方ないんだ。あの弱虫が消えちゃったから。わかる? この気持ち」

リクは楽しそうに笑った。

「ねえねえ、教えてよ。殺されたあの男は誰? 先生にとって、都合悪い人?」

「うるさい!」

荻原は鋭い目でリクを睨みつけた。

「そんな都合のいい二重人格がいて堪るか! 多重人格者は記憶の交換はしない。一人の影にもう一人が閉じ込められてるなんて聞いたことが無い! 最初から俺を騙してたのか? そうなんだろ? ぜんぶ分かってて、俺の診療所に来たんだろ! くそっ」


リクはひとつ大きく溜息をついた。

「信じない人だなあ。本当に心療内科医だったの? あいつは本当に何も知らなかったんだ。何も見てないし、何も覚えてない。何も知らずに、先生の診療所に治療に行ったんだ。行くように暗示を掛けたのはボクだよ」

「じゃあ!」

荻原は濁った赤い目をリクに向け、肩をいからせた。

「いったい、ここにいるお前は何なんだ!」


リクはニヤリとした。

気の遠くなるほどの年月、その言葉を待っていたかのような濃厚な笑み。

「ああ、そういう訊き方が一番答えやすいよ。じゃあ、ちゃんと自己紹介するね。先生」

リクはスッと姿勢を正し、一瞬真顔になったあと、慇懃な態度で荻原に一礼した。


「改めまして。お久しぶり、荻原さん。ボクが“あの”岬璃久です。長い間、もう一人のリクの中に閉じこめられてたけど、ようやく外に出ることが出来ました。

忘れてなんかいないですよね?15年前、貴方に背を斬られ、焼き殺されそうになった、あの時の子供です」


玉城はもう少しで喉から出そうになった声を、なんとか辛うじて押しとどめた。




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