第21話 対峙
もう20年以上放置されているその自動車整備工場は敷地内を雑草に覆われ、壁面に這うツタはグロテスクな網目を描きながら屋根へ向かって伸びている。
併設されている小さな事務所部分はすべてのガラスが故意に割られ、さらに殺伐とした有様だった。
リクは、腰の高さまでせり上がって固まっているシャッターをくぐり、薄暗い作業場に入り込んだ。
さほど広くはなく、2トントラックが2台も入ればいっぱいになりそうなスペースだ。
奥に赤く錆びたドラム缶が3つとスチールラックが放置されているくらいで、機器類もなく、ガランとしている。
勝手に入り込んだ悪ガキどもの仕業だろう。成人向け雑誌や漫画が、ページを開いたままうち捨てられ、モデルの女があられもない姿を晒している。
油染みたコンクリートの床の隅には、使用済みの男性用避妊具が転がっている。
胸の悪くなるような、汚れた場所だ。リクは、それらを見ながらニヤリとした。
こんなにふさわしい場所は他には無いと。
待ち人はすぐに現れた。
同じようにシャッターの隙間をくぐり、小走りでリクの側まで近寄ってきた。
「岬くん、いったいどうしたっていうんだ? あんな電話くれるから、驚いてとにかく飛んで来たんだ。ねえ、・・・冗談なんだろ? 人を殺したとか・・・」
荻原は不安そうに眉尻を下げ両手でリクの腕をつかんだ。
「先生」
リクは何の感情も表さず、荻原の目を見た。
「先生、僕、また記憶が飛んだんです」
「ああ。そうじゃないかと思ったんだ。昨日、私の所で雑談中に急に目つきが変わって、フラリと帰ってしまったからね。心配してたんだ。まさか・・・あのあと何かあったのか?」
「ええ」
リクは、ほんの少し口の端を上げ、笑った。
「楽しいワンマンショーを見せてもらいました。あなたが“もう一人僕”のコーヒーに入れた眠剤のせいで、ほんのさわりしか見られなかったのが残念です」
「・・・なんだって?」
荻原は一瞬表情を固め、次に下げていた眉尻をグイと上げ、リクを見た。
「可哀想に。馬鹿みたいに気の弱いもう一人の僕は、すっかり自分がやったんだと思いこんで、神経をやられちゃった。まあ、僕には手間が省けて好都合だったけど。
ねえ荻原先生、教えてあげようか。あんたはあの夜、二人の人間を殺したんだ。あの寸詰まりの汚らしい男と、もう一人の僕」
◇
玉城はシャッターの隙間にそっと耳を寄せたまま、いきなり飛び込んできたリクの言葉に放心した。
全く何のことなのか理解不能だし、現実味もない。
それとも理解できないのは頭の回路が繋がってない自分のせいだろうか。
数分前。
タクシーで工場近くまで来たとき玉城は、自転車を草むらに隠すようにして倒し、この敷地内に入って行く男の姿を見たのだ。
あれがさっきの電話の相手なのか?
玉城は気付かれないようにその場でタクシーを降り、そっと男の後を追って敷地内に入った。
『玉城、どうした?』
まだ電話を繋いだままにしてくれている長谷川は、まるで玉城の心臓の音を感知しているかのように、状況の変化に敏感だった。
「男が入っていきました。リクがさっき『先生』って呼んだのが彼だと思います」
『そっと付けてみて。私はもう、喋らないようにするから』
「はい。俺ももう、話しかけませんから。でも、このまま繋いで置いてくださいね?」
『大丈夫だって。しっかり聞いてるから』
玉城はその声に励まされるように前を向き、気付かれないようにそのシャッターの隙間に耳を寄せたのだった。
中の二人の声は、がらんどうの空間に反響して驚くほどクリアに聞こえる。
中の様子も見たくなったが、1メートルほどせり上がったシャッターの下から顔を出すわけには行かない。
なんとか、錆びて抜け落ちた鍵穴を見つけ、そこから様子を伺った。
“さっきのリクの言葉は一体なんだ。この『先生』が、二人を殺した・・・? そして、もう一人の僕?”
玉城は息を潜めながら右手で携帯を握り、もう片方の手はポケットの中で触れた、四角いものを握りしめた。
秋口だというのに、玉城のこめかみから汗が滴り落ちてくる。
長谷川には、あの二人の会話が聞こえているのだろうか。状況を実況できない玉城はイライラした。
鍵穴の中で、先生と呼ばれた男はリクの両腕から手を放し、険しい顔でリクを見つめている。
「岬くん。君が何を言ってるのか分からないよ。俺をからかってるのなら、付き合いきれないからすぐに帰らせてもらうよ」
「あれ? わかりませんか? ごめんなさい、説明が下手くそで。僕もやっと目覚めたところで頭がよく働かないんです。でも、いいですよ。少しずつ説明しましょう。どこからがいいですか? 昨日? それとも、なぜもう一人の僕が、荻原先生の診療所に通い始めたのか・・・って所からにしますか?」
リクはポケットからあの折り畳み式ナイフを取り出すと、軽く一振りし、飛び出した鋭い刃先を荻原に向けた。




