第19話 偽りの電話
“こいつ・・・何する気だ?”
玉城は一向に引かないみぞおちの痛みに体を折り曲げたまま固まっていた。
呼吸をするたびに胃のあたりの筋肉が突き刺されるように痛む。
それに今動くと、再びこの男に殴られかねない。リクの体に入り込んだ何者かに。
玉城は浅く呼吸をし、石のように動きをセーブした。
何かがリクの体に憑依している。
何故か霊感が今のところ全く働かない玉城には、その正体の片鱗すらも伺うことはできなかったが、リクがリクで無いことはもう疑いようがなかった。
嘘や演技などでは有り得ない。
しかしそれは一時的なモノに違いないのだと玉城は思った。
“さっき、この男が言ったことは、きっとただの冗談なのだ。そうに違いない。リクが居なくなるはずはない。そんなことは馬鹿げている。
今はただ、この男の出方を見よう。どうするかは、そのあと考えればいい。
大丈夫。きっと元通りになる。いなくなってたまるか!”
確信と言うよりは、祈りに近いそんな思いを抱きながら、玉城は疼く痛みに耐えた。
リクの手が再び、その玉城の体を探り始めたのはその時だった。
ジャケットのポケットの上を触り、そのあとジーンズの前、後ろポケットへ滑る。
後ろポケットで手が止まり、そこからスルリと玉城の携帯を抜き取ると、青年は独り言のように「これ借りるよ。自分の携帯、どっかに捨ててきやがったから。あいつ」と呟いて、どこかへ電話をかけ始めた。
“あいつ”とは、リクの事なのだ。
玉城ははらわたが煮えくりかえるような気持ちで、それを理解した。
やはり、もうそこには“リク”はいないのだ。
込み上げてくる悔しさと悲しさと、『もし取り戻すことが出来なかったら』という焦燥感に、思わず叫び出しそうになった。
「あ・・・、よかった。僕です。リクです。こんな朝早くに電話してごめんなさい」
青年は、電話に出たらしい相手と話し始めた。
その口調は物静かで、まるでリクそのものだ。玉城は怒りを抑えながら耳をすませた。
「先生、僕、どうしたらいいのか分からないんです。今朝、また記憶が無くなってしまって。気がついたら知らないアパートに居たんです。僕の目の前に、知らない人が倒れてて、血だらけで・・・。僕のナイフが刺さってて・・・。
先生、どうしよう。僕、人を殺してしまったかもしれない。もう・・・どうしたらいいのか分からないんです」
その語尾は、不安そうに震えている。
“人を殺した? それは何の冗談だ。
どこまでが作り話なんだ?
そしていったい、誰に救いを求めてるんだ?”
玉城の頭の混乱はますます酷くなった。
「お願いです、先生。今から会いたいんです。助けてください。僕を助けてください!」
玉城は目を閉じたまま息を殺し、じっと青年の一言一句、声色を伺った。
「本当ですか?・・・・・・ええ、そのアパートにもう一度行く勇気が無いんです。夢や勘違いではありえません。・・・一緒に行ってもらえますか? そのアパートの近くに小さな廃工場があるんです。華南ロータリーの近くの、松井モータース。・・・ええ、そこです。そこで落ち合わせてください。・・・今からいいですか? はい、僕もあと40分もすれば、そっちに行けますから」
そこまで淀みなくしゃべり電話を切ると、青年はもう無用とばかりに、その携帯をポンと玉城のそばに転がした。
青年の表情は見ることは出来なかったが、腹立たしいほど冷静で、満足げなのが伝わってくる。
今の会話のほとんどが芝居であり、誰かを陥れる罠であることは疑いようがなかった。
そして、目の前の青年の中に、もうリクが居ないことも。
リクは誰かにあんな風にすがりついて、助けを求めたりしない。
あんな、情けない話し方はしない。
胃の痛みは治まってきたが、こんどは吐き気が込み上げてきた。嘔吐を堪えた苦痛で涙が閉じた目じりに滲む。
苦しさと、そして湧き上がる、それを飲みこむほど激しい悲しみ。
これは喪失の涙なのだろうかと思った瞬間、玉城の全身が震えた。
玉城がすっかり気を失っていると思ったのか、リクは何も言わず、そのまま家を出ていってしまった。
完全にリクの気配が消えるのを待ち、玉城はムクリと体を起こした。
手を伸ばして携帯を掴み、立ち上がったが、足に力が入らない。
「くそ・・・。力いっぱい殴りやがって」
何とかテーブルに手を付き、体を支えた。
“コッソリ後を付けよう。このままで済ませるわけにはいかない。”
頭が混乱して錯乱して、狂いそうだった。
いったい何が起こっているのか。
これがすべてリクの仕掛けた大がかりな冗談だったら、どんなにいいだろう。
そうだったら、さっきと同じだけあいつを殴り、そして抱きしめて笑って許してやろう。
本気でそう思った。
「ぅあ・・・!」
不意に手の中の携帯のバイブが激しく震えだし、玉城は思わず声をあげた。
携帯の表示には長谷川の名があった。
・・・長谷川さん! なんで今、あんたがここに居ないんだよ! なんで!!
玉城は泣き叫びそうになりながら、バイブの震えを手のひらで包み込んだ。




