第14話 闇の入り口
「・・・出ないな。くそっ!」
昼過ぎに取材を終え、来たときと同様カメラマンの西山の車に乗り込んだところで玉城は、ずっと気になっていたリクに電話を入れたのだが、その感情はすぐさま苛立ちに転じた。
今日はちゃんと電源を入れていたが、何度コールしても出る気配がない。
“俺だと分かって出ないのか? いや、また携帯を置きっぱなしで出かけているのか。”
携帯の画面を睨みながら、玉城は不毛なため息をついた。
「あれ~? 彼女ですか? 玉城さん」
同行していた大東和出版のディレクターがニヤッとして玉城の携帯を覗き込んだ。
つい最近彼女が出来たらしい30歳前後のそのディレクターは、やたらと「女」の話に話題を振りたがる。
「ええ、そうですよ。美人だけど冷たい奴でね。昨日も大喧嘩した所です」
玉城は適当に作り話をした。彼女がいないと思われるのも癪だった。
「へー、そうなんですか。ダメだなあ、謝っちまったほうがいいですよ。綺麗な女は、チヤホヤするのが長続きする一番のコツなんですから。冷たくしたら、すぐに他の男に取られちゃいますよ」
ディレクターは、自信満々にレクチャーする。
「へーー。そんなもんなんですかね」
玉城は、この嘘話が少々楽しくなってきた。
頭に思い浮かべているのは、もちろんリクだ。
「実際ね、そいつ、いい男が居るみたいなんですよ。強くて逞しい男がね。今、シンガポールに海外赴任中なんですが」
そう話す玉城の脳裏には長谷川。玉城は必死で笑いを噛み殺した。
「えーー! 何ですかそれ。負けちゃダメですよ玉城さん。そんな遠距離のヤツに負けてどうすんですか。プライド持って行きましょうよ。ね。ガツンと行きましょう。こういうのは勢いなんですから」
まるで説得力に欠けるディレクターのアドバイスに、玉城は可笑しくなった。
「そうですかねえ。でも実際その海外赴任の男の方が、包容力も経済力も上なんですよ。なんて言うか、男の自分でも惚れそうな男っていうか・・・」
「はあ? なんですか? 危ない方に走らないでくださいよ」
ディレクターは笑いを堪えて、しかめっ面をして見せた。
玉城も自分が何を言ってるのか分からなくなり、「本当ですよね」と適当に返し、その話を打ち切った。
◇
混沌とした意識の上に、重苦しい鉛のカーテンが垂れていた。
ゆらゆらと揺れ、魔術か何かの力を借りて、体が目覚めないように邪魔をする。
それらすべてに逆らって重い瞼を開けると、薄汚れた天井と、笠も何もない裸電球がボンヤリと視界に映った。
・・・ここはどこだろう。
じわじわ、不安と疑問が体の感覚と共によみがえり、リクはゆっくり体を起こした。
自分が寝ていたのは、毛羽立ってささくれた、シミだらけの畳の上だった。
プンと何か、饐えたような嫌な匂いが鼻をついた。
まだ霞む目を凝らしてぐるりと周りを見回すと、そこが4畳半くらいの古い和室なのだと分かった。
目にするすべてが黒ずみ、生活の垢にまみれている。
部屋の引き戸は開け放たれており、その先の暗がりに流し台と、塗料の褪せた木製ドアがある。
ここが古いアパートの一室なのだということまでは推測できたが、なぜ自分がここに居るのかという記憶は、まるで無かった。
薄汚れてビリビリに剥がれた壁紙、ガムテープでひび割れを補強してある窓ガラス。畳一面に散らばっているコンビニの袋、カップ麺のゴミ、焼酎の空き瓶。
ゾクゾクと虫のように這い上がってくる不安と不快感が喉元を締め付け、リクは堪らずに立ち上がった。
饐えた匂いが一層ムンと強まり、いつもよりも酷い立ちくらみに襲われたが、けれど倒れる暇は無かった。
リクの目は、今度こそ本当に理解しがたいモノを捉えてしまっていた。
小さなちゃぶ台の向こう側。
シミだらけのふすまの手前に男が一人、仰向けに倒れていた。
顔は向こうを向いているが、その土気色の肌と、奇妙に硬直した手指から、男が寝ているのでは無いことは、すぐに分かった。
男は死んでいた。
触れても近づいてもいなかったが、それは直感としてリクの脳を貫いた。
床に面した男の背中にどす黒いシミが広がっており、その体の頂点、つまり胸の上には真っ直ぐにナイフが突き立てられていた。
そのナイフには見覚えがあった。
僅かに残った気力が辛うじてリクの正気を保とうとしていたが、そのナイフを見た瞬間、すべてが支えを失い、足元から崩れ落ちた。
あれはポケットに入れっぱなしにしていた自分のナイフだ。
片付ける時間はいくらでもあったはずなのに、なぜか一度もポケットから出そうとしなかった折り畳み式のナイフだ。
木製の柄の部分だけを残し、刃先を体に深く沈み込ませてしまっているその凶器を、リクはただ愕然と見つめた。




