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漆黒の金時計  作者: 春 ゆみ
第二章  学院事件簿編
9/16

2-(4) 始動

この物語はフィクションです。宜しくお願いします。

 冷たい足音の中、クリフたちは保健予備室がある一階まで、足早に降りていった。その間、ユキは黙々と前に進むことだけに集中していたようで、さっきから一言も会話していない。

 ユキの中身こころは、一体どこに行ってしまったのだろう。

 

 「すみません、少しいいですか?」

 遺体が安置されているその部屋の前に立つと、ユキはノックしながら静かに言った。まるで、自分に関係のある会議に、遅れてきてしまったかのようで、入れてもらえることが前提のような言い方だ。

 まあ、もしそんな状況だったとしたら、そう簡単に入らせてはもらえないんだろうけど。

 

 「ん、生徒さん?」

 そこで十秒ほど待っていると、立派な『無精ひげ』をはやし、白衣を着た老人が、ドアの隙間から鬱陶しそうに顔を出した。

 ユキたちを見ると、露骨に眉をひそめた。

 「・・・・・・なんか、用かい」

 「はい、少しなかに入らせていただきたいのですが」

 「だめだ」門前払いもいいとこだ。

 「そこをなんとか」

 「うるさいね、わしがだめっつったら、だめだ。

 とっととおうちに帰りな」

 老人ははえをおっ払うようなしぐさで、クリフたちを部屋から遠ざけると、くるりと踵を返した。そのまま自然な流れで、ドアノブに手をかける。

 このままではドアが閉まってしまう――――。

 慌てふためくクリフの横で、ユキは不意に、大きく息を吸った。

 「ぼっ、・・・・・・ぼくの彼女だったんです!」

 一階中に、悲痛な声が響き渡った。踏み出しかけた老人の足が止まった。

 ユキが恥ずかしそうにうつむいている。

 クリフの口はというと、――――空いたままふさがらない。

 「舞さんの・・・・・・」

 「彼女!?」

 ――――被害者の名前は、『マイ』というのか。

 

 うつむきながら、ユキは絞り出すような細い声で続けた。

 「・・・・・・お願いです。会わせて、下さい」

 そう言いながら、深々と頭を下げた。ズボンの膝の生地を握った手が、小刻みに震えている。

 老人医者が、鼻から深く、息を吐いた。

 「・・・・・・わかった。他のやつらにゃ、内緒だぞ」

 「ありがとうございます・・・・・・」

 ユキはそそくさと、安置室の中に潜り込んでいった。

 クリフもその後につづく。

 「おれからも礼を言わせて下さい。ありが」

 「おまえはここで待ってろ」

 「な! 入っちゃいけねぇのかよ!」

 「あったりめぇだ。わしは『プライヴェート』を大事にする男だからな」

 「藪医者が」クリフは舌打ちをしながら言った。

 ここまで来て、とんだ行き詰まりだ。

 「おまえも、彼女ができりゃぁこの気持ちはわかる」

 「・・・・・・おい」クリフはあっけにとられたように、老人の顔を覗き込んだ。

 いやなものを見る目で、医者を見おろす。「なんで俺がフリーだってことを知ってるんだ」

 「見りゃぁ何となくわかるよ。いかにも、女心を読み取れない、不憫な少年だからね」

 老人は、ひひっ、と不気味な声で笑った。

 「・・・・・・プライベートなんて、あったもんじゃねぇな」

 結局クリフは、一階のロビーで待ちぼうけを食らうはめになってしまった。


 

 クリフを追い払った後、医者はユキを安置室の中へ案内した。

 「―――ユキ君、と言ったかね。ホトケのご兄弟さんもいるんだが、構わないかい」

 「ええ、なんの問題もありませんよ」

 ――――むしろ、そっちの方が都合がいい。


 ユキは医者の後につづいて、安置室の奥へと進んでいった。足元には、薬品やら医療器具やら、よくわからないものが散乱していて、一つ一つ、慎重にまたいでいかなくてはならなかった。


 するとふと目の前に、白いカーテンがユキたちの行く手を阻んだ。

 もともとこれは、保健室のベットの横に立てかけてある、壁代わりになる代物。

 老人医者は、それをゆっくりと横に動かした。

 

 「・・・・・・わしはむこうで仕事してるから、なんかあったらすぐ呼びな」

 「――――」

 目の前には一つの簡易式ベットがあり、その上には人型に盛りあがった掛け布団が敷いてある。

 その遺体の頭部横には、遺体の兄弟、もといユキの友人が泣き伏せていた。


 「・・・・・・薫」ユキはゆっくり歩み寄りながら、その薫と呼ばれた生徒の肩に手を乗せる。それがスイッチだったかもしれない。薫はユキを見上げた。

 眼の下が赤く腫れていて、長い時間泣きとおしたことが一目でわかる。

 あの時食堂でユキと別れた後も、薫はずっと泣いていたのだろう。

 「硬くて冷たいんだ」

 そう言いながら、両手で丁寧に顏にかけてある布をめくった。その下からは、血の毛が失せ、死後硬直で顔の筋肉が少し引きつっている、変わり果てた薫の妹、『舞』の姿があった。

 

 「最近いろいろと忙しかったから、全然会えてなかった。私は、普通に日々を過ごしていた。

 まさか、こんなことになってたなんて・・・・・・」

 「ぼくも、そう思うよ」

 「知らなかった。舞がこんなことに巻きこまれてたなんて、ちっとも気付かなかった。

 ・・・・・・兄弟なのに」

 「薫・・・・・・」

 ユキは、ベットのシーツを握りしめている薫の手を、上から包み込むようにして握った。

 

 生きているとは思えないほど、冷たい。

 

 ユキは唇をかんだ。


 ――――過去しか視れない自分は、なんて無力なんだろう。

 

 「・・・・・・薫、一旦外に出よう」

 返事はなかった。

 どこともいえない、宙の一点を見つめたまま――――。

 「ずっとこんなとこにいたら、気がめいっちゃうよ。

 外の空気を吸いに行こう、薫」

 薫はしばらくうつむいていたが、やがてゆっくり頷いて、弱々しく立ちあがった。

 ユキは手を引いて、薫をゆっくりと出口まで誘導する。外ではクリフが退屈そうに、階段の一番下に腰をおろして待っていた。

 クリフは急いで立ち上がると、薫に向かって恭しく挨拶して、様子をうかがった。

 「あの・・・・・・ご愁傷様です。その・・・・・・」

 「お悔やみの言葉、ありがとうございます・・・・・・」

 クリフは困ったふうに、ユキの顏を見た。

 

 ユキは何も言わずに首を横に振ると、外に出よう、と言って薫の背中を軽く押した。

 クリフはこういう時、どうしたらいいのかわからなかった。しかもユキと一緒にいるのは、自分のよく知らない、更には不運な女の子。

 ――――ついていかない方がいいのかな・・・・・・。

 クリフは無意識に後ずさった。少なくとも、前に踏み出そうとは、少しも思ってはいなかった。

 そんなクリフの心を読み取ったかのように、ユキは振り向くと優しく笑った。

 本当に温かくて、全てを理解してくれているような、やわらかい眼差まなざしだった。

 「クリフ君も、来て」

 「えっ」クリフは目を伏せて、たじろいだ。「でも・・・・・・」

 「お願いだよ」

 ユキは初めて会った時のように、俯いてはにかんだ。申し訳なさがにじみ出ている。

 クリフにはそれが妙に懐かしく感じられたが、ただ、あの時の微笑とは決定的に違うものがある――――。

 ユキの瞳が、悲しみの色に染まっていた。


 「いてくれるだけでいいんだ」

 ユキの目が、しっかりとクリフをとらえている。

 「・・・・・・わかった。行くよ」

 「ありがとうございます」

 今のお礼を言ったのは、ユキではなく、カオルの方だった。さっき遠目で見たよりも、ずっと可愛らしい。本当は泣きたくて泣きたくて仕方ないのに、それを我慢して演じる、作られた明るさが、とてもいじらしかった。

 こんなときでも、そんな事を思ってしまう自分に腹が立つ。


 三人は中庭のベンチに腰掛けると、特に話す事も、ユキたちに至っては手を握ったりすることもなく、ただ座って一時を過ごした。

 なにか、二人の間に話す事はなかったのだろうか。

 ――――完全にいない方がいいよな、おれ。

 

 この、なんともやるせない空気の中、クリフは意味もなく唾を飲み込んだ。

 すると、突然、ユキとカオルが同時に、勢いよく立ちあがった。二人とも、一点を凝視している。


 芝生の葉を絡んだ風がクリフの前を通り過ぎ、次の瞬間『三人をとりまく時間』が止まった。

 正式には、『止まったように感じられた』だが、その間、ユキとカオルは微動だにせず険しい強い顔をしていた。

 風ではためくブレザーだけが、時間の止まっていない唯一の証拠だった。

 どうやら、自体が全く呑み込めていないのは、クリフだけのようだ。

 「な、二人とも、どうし」

 「雪、今の人・・・・・・」

 「だよね」

 混乱しているクリフをよそに、ユキは相槌を打つと、あえて中庭を横切るようにして走り出した。距離短縮の為だろうか。

 クリフはそれを見てポカンとしていると、ユキのあとにつづいて、カオルも走りだす。二人とも、クリフにはわからない『何か』に気付いているようだった。

 「ま、待って・・・・・・」

 クリフは急いで立ち上がって訴えたが、ユキは見向きもせず、本館の一階に飛び込んでいく。カオルもそのあとにつづいていった。なんて足の速い奴らなんだ、クリフの足でもギリギリだった。

 しかし、クリフは最初の方で後れを取ってしまっている。しばらくしてあえなく、二人を見失ってしまった。肩で息をしながら、辺りを見回す。

 クリフの周りには、ただレンガ造りの壁と廊下が入り組んでいるだけだ。この辺りはもともと、人通りが少ない。

 クリフ自身、みじめに思えてきた。

 「なんなんだよあいつら、一体全体どこ行って・・・・・・」


 その時だった――――。


 ((――――止めて下さい!!))

 

 突然クリフの頭の中を、透き通るような声が反響した。

 背骨にそって何か、冷たいものが突き刺さったような錯覚に陥る。全神経が、研ぎ澄まされていた。

 クリフはもう一度、今回はさっきより念入りに、辺りを見回した。何度も、何度も確かめた。なのに、

 周りには――――誰もいない。


 「――――なんだ? ・・・・・・今の」 

 

 クリフの鼓動と呼吸音だけが、せわしなく辺りに響いている。


 ――――とめて・・・・・・ください?


 さっきの声が、頭のなかで繰り返し再生された。

 こんなこと、生まれてこのかた一度だってない。空耳、ってやつだったのだろうか。


 「・・・・・・ユキたちを、さがさなきゃ」クリフは頬を平手で軽く打つと、あえてそう口に出して、あてもなく歩きだした。

 そうでもしなきゃ、ずっとこのまま、突っ立っていることになってしまいそうだったから。



 クリフの中のいやな予感だけが、むくむくと膨れ上がっていった。

 

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