2-(4) 始動
この物語はフィクションです。宜しくお願いします。
冷たい足音の中、クリフたちは保健予備室がある一階まで、足早に降りていった。その間、ユキは黙々と前に進むことだけに集中していたようで、さっきから一言も会話していない。
ユキの中身は、一体どこに行ってしまったのだろう。
「すみません、少しいいですか?」
遺体が安置されているその部屋の前に立つと、ユキはノックしながら静かに言った。まるで、自分に関係のある会議に、遅れてきてしまったかのようで、入れてもらえることが前提のような言い方だ。
まあ、もしそんな状況だったとしたら、そう簡単に入らせてはもらえないんだろうけど。
「ん、生徒さん?」
そこで十秒ほど待っていると、立派な『無精ひげ』をはやし、白衣を着た老人が、ドアの隙間から鬱陶しそうに顔を出した。
ユキたちを見ると、露骨に眉をひそめた。
「・・・・・・なんか、用かい」
「はい、少しなかに入らせていただきたいのですが」
「だめだ」門前払いもいいとこだ。
「そこをなんとか」
「うるさいね、わしがだめっつったら、だめだ。
とっととおうちに帰りな」
老人は蝿をおっ払うようなしぐさで、クリフたちを部屋から遠ざけると、くるりと踵を返した。そのまま自然な流れで、ドアノブに手をかける。
このままではドアが閉まってしまう――――。
慌てふためくクリフの横で、ユキは不意に、大きく息を吸った。
「ぼっ、・・・・・・ぼくの彼女だったんです!」
一階中に、悲痛な声が響き渡った。踏み出しかけた老人の足が止まった。
ユキが恥ずかしそうにうつむいている。
クリフの口はというと、――――空いたままふさがらない。
「舞さんの・・・・・・」
「彼女!?」
――――被害者の名前は、『マイ』というのか。
うつむきながら、ユキは絞り出すような細い声で続けた。
「・・・・・・お願いです。会わせて、下さい」
そう言いながら、深々と頭を下げた。ズボンの膝の生地を握った手が、小刻みに震えている。
老人医者が、鼻から深く、息を吐いた。
「・・・・・・わかった。他のやつらにゃ、内緒だぞ」
「ありがとうございます・・・・・・」
ユキはそそくさと、安置室の中に潜り込んでいった。
クリフもその後につづく。
「おれからも礼を言わせて下さい。ありが」
「おまえはここで待ってろ」
「な! 入っちゃいけねぇのかよ!」
「あったりめぇだ。わしは『プライヴェート』を大事にする男だからな」
「藪医者が」クリフは舌打ちをしながら言った。
ここまで来て、とんだ行き詰まりだ。
「おまえも、彼女ができりゃぁこの気持ちはわかる」
「・・・・・・おい」クリフはあっけにとられたように、老人の顔を覗き込んだ。
いやなものを見る目で、医者を見おろす。「なんで俺がフリーだってことを知ってるんだ」
「見りゃぁ何となくわかるよ。いかにも、女心を読み取れない、不憫な少年だからね」
老人は、ひひっ、と不気味な声で笑った。
「・・・・・・プライベートなんて、あったもんじゃねぇな」
結局クリフは、一階のロビーで待ちぼうけを食らうはめになってしまった。
クリフを追い払った後、医者はユキを安置室の中へ案内した。
「―――ユキ君、と言ったかね。ホトケのご兄弟さんもいるんだが、構わないかい」
「ええ、なんの問題もありませんよ」
――――むしろ、そっちの方が都合がいい。
ユキは医者の後につづいて、安置室の奥へと進んでいった。足元には、薬品やら医療器具やら、よくわからないものが散乱していて、一つ一つ、慎重にまたいでいかなくてはならなかった。
するとふと目の前に、白いカーテンがユキたちの行く手を阻んだ。
もともとこれは、保健室のベットの横に立てかけてある、壁代わりになる代物。
老人医者は、それをゆっくりと横に動かした。
「・・・・・・わしはむこうで仕事してるから、なんかあったらすぐ呼びな」
「――――」
目の前には一つの簡易式ベットがあり、その上には人型に盛りあがった掛け布団が敷いてある。
その遺体の頭部横には、遺体の兄弟、もといユキの友人が泣き伏せていた。
「・・・・・・薫」ユキはゆっくり歩み寄りながら、その薫と呼ばれた生徒の肩に手を乗せる。それがスイッチだったかもしれない。薫はユキを見上げた。
眼の下が赤く腫れていて、長い時間泣きとおしたことが一目でわかる。
あの時食堂でユキと別れた後も、薫はずっと泣いていたのだろう。
「硬くて冷たいんだ」
そう言いながら、両手で丁寧に顏にかけてある布をめくった。その下からは、血の毛が失せ、死後硬直で顔の筋肉が少し引きつっている、変わり果てた薫の妹、『舞』の姿があった。
「最近いろいろと忙しかったから、全然会えてなかった。私は、普通に日々を過ごしていた。
まさか、こんなことになってたなんて・・・・・・」
「ぼくも、そう思うよ」
「知らなかった。舞がこんなことに巻きこまれてたなんて、ちっとも気付かなかった。
・・・・・・兄弟なのに」
「薫・・・・・・」
ユキは、ベットのシーツを握りしめている薫の手を、上から包み込むようにして握った。
生きているとは思えないほど、冷たい。
ユキは唇をかんだ。
――――過去しか視れない自分は、なんて無力なんだろう。
「・・・・・・薫、一旦外に出よう」
返事はなかった。
どこともいえない、宙の一点を見つめたまま――――。
「ずっとこんなとこにいたら、気がめいっちゃうよ。
外の空気を吸いに行こう、薫」
薫はしばらくうつむいていたが、やがてゆっくり頷いて、弱々しく立ちあがった。
ユキは手を引いて、薫をゆっくりと出口まで誘導する。外ではクリフが退屈そうに、階段の一番下に腰をおろして待っていた。
クリフは急いで立ち上がると、薫に向かって恭しく挨拶して、様子をうかがった。
「あの・・・・・・ご愁傷様です。その・・・・・・」
「お悔やみの言葉、ありがとうございます・・・・・・」
クリフは困ったふうに、ユキの顏を見た。
ユキは何も言わずに首を横に振ると、外に出よう、と言って薫の背中を軽く押した。
クリフはこういう時、どうしたらいいのかわからなかった。しかもユキと一緒にいるのは、自分のよく知らない、更には不運な女の子。
――――ついていかない方がいいのかな・・・・・・。
クリフは無意識に後ずさった。少なくとも、前に踏み出そうとは、少しも思ってはいなかった。
そんなクリフの心を読み取ったかのように、ユキは振り向くと優しく笑った。
本当に温かくて、全てを理解してくれているような、やわらかい眼差しだった。
「クリフ君も、来て」
「えっ」クリフは目を伏せて、たじろいだ。「でも・・・・・・」
「お願いだよ」
ユキは初めて会った時のように、俯いてはにかんだ。申し訳なさがにじみ出ている。
クリフにはそれが妙に懐かしく感じられたが、ただ、あの時の微笑とは決定的に違うものがある――――。
ユキの瞳が、悲しみの色に染まっていた。
「いてくれるだけでいいんだ」
ユキの目が、しっかりとクリフをとらえている。
「・・・・・・わかった。行くよ」
「ありがとうございます」
今のお礼を言ったのは、ユキではなく、カオルの方だった。さっき遠目で見たよりも、ずっと可愛らしい。本当は泣きたくて泣きたくて仕方ないのに、それを我慢して演じる、作られた明るさが、とてもいじらしかった。
こんなときでも、そんな事を思ってしまう自分に腹が立つ。
三人は中庭のベンチに腰掛けると、特に話す事も、ユキたちに至っては手を握ったりすることもなく、ただ座って一時を過ごした。
なにか、二人の間に話す事はなかったのだろうか。
――――完全にいない方がいいよな、おれ。
この、なんともやるせない空気の中、クリフは意味もなく唾を飲み込んだ。
すると、突然、ユキとカオルが同時に、勢いよく立ちあがった。二人とも、一点を凝視している。
芝生の葉を絡んだ風がクリフの前を通り過ぎ、次の瞬間『三人をとりまく時間』が止まった。
正式には、『止まったように感じられた』だが、その間、ユキとカオルは微動だにせず険しい強い顔をしていた。
風ではためくブレザーだけが、時間の止まっていない唯一の証拠だった。
どうやら、自体が全く呑み込めていないのは、クリフだけのようだ。
「な、二人とも、どうし」
「雪、今の人・・・・・・」
「だよね」
混乱しているクリフをよそに、ユキは相槌を打つと、あえて中庭を横切るようにして走り出した。距離短縮の為だろうか。
クリフはそれを見てポカンとしていると、ユキのあとにつづいて、カオルも走りだす。二人とも、クリフにはわからない『何か』に気付いているようだった。
「ま、待って・・・・・・」
クリフは急いで立ち上がって訴えたが、ユキは見向きもせず、本館の一階に飛び込んでいく。カオルもそのあとにつづいていった。なんて足の速い奴らなんだ、クリフの足でもギリギリだった。
しかし、クリフは最初の方で後れを取ってしまっている。しばらくしてあえなく、二人を見失ってしまった。肩で息をしながら、辺りを見回す。
クリフの周りには、ただレンガ造りの壁と廊下が入り組んでいるだけだ。この辺りはもともと、人通りが少ない。
クリフ自身、みじめに思えてきた。
「なんなんだよあいつら、一体全体どこ行って・・・・・・」
その時だった――――。
((――――止めて下さい!!))
突然クリフの頭の中を、透き通るような声が反響した。
背骨にそって何か、冷たいものが突き刺さったような錯覚に陥る。全神経が、研ぎ澄まされていた。
クリフはもう一度、今回はさっきより念入りに、辺りを見回した。何度も、何度も確かめた。なのに、
周りには――――誰もいない。
「――――なんだ? ・・・・・・今の」
クリフの鼓動と呼吸音だけが、せわしなく辺りに響いている。
――――とめて・・・・・・ください?
さっきの声が、頭のなかで繰り返し再生された。
こんなこと、生まれてこのかた一度だってない。空耳、ってやつだったのだろうか。
「・・・・・・ユキたちを、さがさなきゃ」クリフは頬を平手で軽く打つと、あえてそう口に出して、あてもなく歩きだした。
そうでもしなきゃ、ずっとこのまま、突っ立っていることになってしまいそうだったから。
クリフの中のいやな予感だけが、むくむくと膨れ上がっていった。