2-(3) 血の図書館
以前載せた「ひそかな怒り」を3分割したうちの3/3の話です。
「人が?」
クリフは思わず、持っていたフォークを落としそうになった。
図書館で人が? なんで?
「って、誰が」
「第一学年の女子らしいよ、頭から血を流して倒れてたらしい」
「殺されたってことか」
「多分ね」
ユキは手を合わせた。『ごちそうさま』の意味なのか『ご愁傷さま』の意味なのか。
食べ終わったあとの食器をまとめると、クリフとユキは席を立った。
食堂を出てすぐ右に曲がる。
別に相談したわけではないが、気がついたら図書館の方に向かっていた。正直なところ、気になった。
「うわ、すっげー人だかりだな」
クリフたちの予想通り、目の前には、自分たち同様の野次馬で溢れかえっていた。
死体はもうそこにはない。あたりまえの話だが。
図書館ギリギリのところで、見覚えのない大人たちが、生徒の立ち入りを制している。
税金分の仕事はしているようだ。
「クリフ君見える? あそこなんだけど」
ユキは野次馬の頭上から、細くて白い指を伸ばしてある一点を指した。
クリフたちがいる入口から、少し奥に行ったところの本棚に、少しだけ血痕が付着している。
足元には黒い布がかけられていて、恐らくその下は大変なことになっているのだろう。
「・・・・・・ぼくの友達の、妹だったんだ」
ユキがぽつりと打ち明けた。
クリフの頭を、ユキと『クリフの知らない誰か』が話している光景がよぎる。
あの時二人は、深刻そうに、コミュニケーションをとっていた。
――――まさか・・・・・・。
「・・・・・・さっき、おまえと話してたやつのか?」
ユキが目を丸くして驚いた。黒目の美しい青年だ。
「よく・・・・・・わかったね。なんで?」
「なんとなくさ」
ユキが息を長く吐いて、うつむいた。
なんとなく、顔色が悪いようにも思える。
「なにが・・・・・・あったんだろう。
そんな、恨みを買うような子じゃなかったのに」
「気になるのか?」
「そりゃもちろん」
ユキは悔しそうに顔をゆがめた。
今にも泣き出してしまいそうだ。
「・・・・・・でも、僕にできる事なんてなにもないし」
クリフは意外そうに隣にいる青年を見た。
ユキ(こいつ)がそんなことを言うとは思わなかった。
「・・・・・・おまえさ、陰陽師末裔の能力で『過去』見ればいいだろ。
犯人なんて一発じゃん、ふつーに」
その発言に、ユキは一瞬驚いた顔をした。が、それはすぐに納得したような表情に変わった。
右手をあごにあてがって、うつむきながら何度もうなずく。
「そっか、・・・・・・そうだよね。すっかり忘れてた」
クリフは苦笑いしてユキの肩をたたいた。
「ほんとだよ、・・・・・・おまえ何考えればすぐわかるようなことを」
だが、ユキの口から出た言葉は、意外なものだった。
「ぼく、こういうケースの過去は視れないんだ」
ユキは首の後ろを掻きながら、『当たり前すぎて、話し忘れていた』と言ったふうに微笑んで見せた。
当のクリフにはさっぱりわからない。
――――『こういうケース』って一体『どういうケース』?
「え、だっておまえ、過去が視えて、しかもいじくれるんだろ?
こういうときこそ、その『被害者の過去』をさかのぼって犯人をちゃちゃっと・・・・・・」
「被害者はすでに死んでいる」
ユキはきっぱりと言い放った。
クリフの中で、何かがコトリと揺れた。
「僕、言いましたよね。『時間とは、千羽鶴のようなものだ』と」
「ああ、『時間とは、一瞬の連なり』。『変えるには、過去の一点を変えてしまえばいい』。
その後は自然に変わっていく。なぜなら、時間はつながっていて、それにつられて変化していくから」
「・・・・・・よく覚えてるじゃないですか」
「だろ?」
クリフは得意そうに背筋を伸ばした。
体格がそこまでがっちりしてないからか、胸を張ってもあまり頼もしく見えないのが悲しい。
ユキは苦笑いしながら続けた。
「そこまでわかってくれてるなら、話は早いです。
確かに僕は、過去に関わることができます。でもそれは、あくまで『現時点からのさかのぼり』に過ぎないんですよ」
「現時点からの、さかのぼり?」
「そうです」
ユキは、血痕が付着している本棚をにらんだ。
時間がたって、黒く変色し始めている。横になぞったような手形が、べっとり染み込んでいた。
「つまり、僕が過去に関わる為には、現在『存続』の、『その人の時間』が必要不可欠なんです。
ですが、この被害者の場合・・・・・・」
「すでに死んでいて、その時から時間が止まっている、と」
「その通り」
なるほど、クリフにも何となく呑み込めてきた。
「不思議なもんだな」クリフも自分の記憶をたどってみた。
言われてみると確かに、あのプリント大惨事事件の時、クリフの中の『プリントを落とした過去』は無くなっていた。
というより、いまだに思い出せないでいる。
それはこの『ユキがいじくった過去』というものが、今現在の自分の時間に大いに関わっている。そういう事なのではないのだろうか。
「たぐり寄せる綱が無いのでは、どうしようもありません」
「なーるほど」
クリフはまじまじと、ユキを眺めた。漆黒の髪が、さらりとなびいた。
「だから、僕に犯人の特定は不可能です」
自分たちは探偵じゃない。あくまで蚊帳の外の人間だ。
そんなうまいこと、事件の全貌を解き明かせるような人間じゃない。
やはり、そううまくはいかないものだ。クリフは歯がゆく感じながら、その場に立ちすくんでいた。
「でも」ユキが、思い出したように、ぽつりと言った。
「でも?」
「もしかしたら死体になってからの時間ならあるいは・・・・・・」
「! いけるか?」
前言撤回、希望が見えた。
――――やっぱり、こいつはすげぇ!
クリフは興奮しながらユキを見た。だがユキは少し思案して、やがて首を横に振った。
クリフの顔から表情が消えていく。
「・・・・・・そうか、だめです。やっぱりできません」
「なんで!」クリフは猛反論した。「もしかしたらその過去に犯人が映り込んでるかも知れないだろ!?」
「僕、すでに一人の捜査官の過去をたどって、彼女の死因を知ってるんです。
死因は失血死です」
「失血死?」
撲殺で失血死。
――――それが一体、なんの関係があるってんだ?
「彼女は頭を鈍器で一度だけ殴られています。
それなのに失血死、つまり、殴られてから死ぬまでに、少し時間があったということです。
死体になった時には、すでに犯人は逃走しているでしょう」
「なんで、そう言い切れる」
「殺す為の計画丸出しでしょう、この事件。
犯人の足跡もそんなに多くなく、何か探したような形跡もないらしいですし」
ユキは現場を品定めをするかのように、目を細めた。
そこまでわかるなら、いっそ陰陽師やめて、探偵になればいい。
クリフは正直この青年に、恐怖心ともいえない、渦巻いた不気味さを感じた。
こいつには世界が、どのように映っているのだろうか。
「そういうことなので、犯人がさっさと捕まってくれることを、祈るばかりですね」
ユキはそう言うと、くるりと踵を返して足早に部屋に向かっていった。慌てて、クリフもそのあとについていく。
なかなか追いつけなかった。
ユキ、怒ってるのか・・・・・・?
クリフはてっきり、ユキは自分たちの部屋に向かっているのだと思っていた。だが、途中から、部屋に戻るためのコースを外れた。実際に向かったのは一階の保健予備室。
被害者の少女が安置されている場所だ。
――――ユキのやつ、何をするつもりなんだ?