2-(2) 物事の兆し 2
以前載せた『ひそかな怒り』を3分割したうちの、2番目の話です。
クリフが食堂に着くと、ざっと見て二・三百人ほどの生徒たちが昼食をとっていた。
和洋中全てを食べる事のできる学院自慢のこの食堂は、一般の人たちにも開放している。
ユキは確か、窓際の方に座ってるって言っていたっけ。
メニューを注文しに、クリフはそれ専用の受付に向かった。
そこでもまた、注文に来た生徒たちがたむろしている。
クリフは、すうっと息を吸った。
「・・・・・・ヴルスト(ドイツのウィンナー)の焼けるにおいがする」
厨房につながっているその受付口からは、肉が焼ける香ばしい香りがした。
厨房からは食堂が一目で見渡せるようになっており、今日も女コック長、テルマ=サンディエゴが、生徒達の注文を懇々ときいていた。
あくびをしながら並んでいると、クリフの前にいた女子生徒の注文が、やっと終わった。
番号札をもらって、前の生徒が受付口を離れると、クリフの前にぽっちゃりした小麦色の女性が現われた。
「あらクリフ、今日は一人?」
受付口を覗きこんで、中の熱気と煙にむせていたクリフは、声のする方を見上げた。
そでをまくった太い腕が視界に入った。その上の肩には、愛嬌のある、ふっくらしたおばさん顔が乗っかっていて、その大きめな顏の真ん中には、丸っこい赤っ鼻がちんまりついている。
「彼女と食べるのかい?」
「ちげーよ、なんか悔しいけど。
今日はルームメイトと食べる約束なんだ。サンディエゴさん、おれもヴルストとか適当に作って」
持っていた鉛筆をくるくる回しながら、サンディエゴは腰に手を当てて、ニマッと笑った。
「なんだい、情けないねぇ。私があんたくらいの時は、彼氏候補の十人や二十人、フッツーにいたもんだけどねぇ」
「なんだそれ、どうせ家畜の牛とかと勘違いしてんだろ」
クリフはカウンターに頬づえをつきながら、サンディエゴに言い返して厨房を指さした。
「ああ、あとレバー・クネーゼル・クッペ(ドイツの肉団子入りスープ。日本で言う、つみれ汁みたいなもの)、追加ね」
「変な組み合わせにするんじゃないよ、肉ばっかじゃない」
そう言いながらも、サンディエゴは、注文を薄っぺらい紙に書き込んでいく。
「・・・・・・そんなのばっか食べてるから、いつまでたってもチビなんじゃないのかい?」
得意そうな顔でクリフの頭を荒く撫でると、奥の厨房に注文用紙をまわした。厨房にいるコックからも、背が伸びるように野菜つけといてやるよ、と笑う、明るい声が聞こえてきた。
クリフの完敗だ。
「ま、そういうことだ。あんたのルームメイトにも宜しく伝えといておくれ」クリフは苦笑いしながら、サンディエゴから番号札を受け取った。
「それにしても、遅かったねクリフ君」
「いやぁ、ほんとわるかった」
ユキの方は軽く二十分、待たされたらしい。
クリフは申し訳なさそうにフォークを手にとると、そのままパクパクと食材を口に放り込んだ。
本当に、悪いと思っているのだろうか。
クリフが着いたとき、ユキは約束通り窓際の席で待っていた。
その時ユキは、友人だろうか―――と、何やら深刻そうに話していた。恐らくアジア人の女の子だろう。
クリフが声をかけると、そのショートヘアーの娘は会釈をしてそそくさと去っていってしまった。
「授業長引いたの?」
「ああ、まあな」
そう言いながら、クリフは盛りに盛られたサラダをほおばった。
――――なかなか、可愛い子だったな。
あの背が低く、目のくりっとした女の子。実はユキの彼女かもしれない。
いい意味でユキととてもお似合い、といった感じだった。
隅に置けない野郎だ。
当のユキは目の前で、そばをつゆにひたしていた。一挙手一投足が、物静かにも程がある。
「こっちの史学もちょっと長引いたから、かえって丁度良かったかもね。
もしかしてそっちもテスト?」
「あっ、ああ。やっぱり、そっちもか」
クリフは手に持っているフォークをクルクル回して、ヴルスト(ドイツのウィンナー)に突き刺した。
ふと、クリフの頭の中で、さっきサンディエゴが言った言葉が響いた。
――――やっぱりこいつも、彼女候補がいるのか?
ヴルストの肉汁が、皿にはねた。
勢いよく、フォークを刺しすぎたらしい。
クリフは顔をゆがめた。
――――俺ももう少し、上品に過ごしてみた方がいいのかな。
自分にとっては無理な話だと、クリフはため息交じりに笑った。
「・・・・・・どうしたのクリフ君。なんかあったの?」
気がついたら、ユキが心配そうにこっちを見ていた。
――――鋭い。
「別に、なんもねえよ。いたって普通だよ。
ほんとユキたち日本人は思慮深いよなぁ」
クリフはとびきりな明るさで、手に持っていたヴルストを口に突っ込んだ。
むせた。
反対に、ユキの顏には見るからに『変な人だなぁ』と書いてある。あたりまえの話だ。
――――それにしても・・・・・・。
クリフはそのヴルストをほおばりながら周りの様子をうかがった。なぜか今日はやけに騒がしい。
生徒の落ち着きも、いつも以上にないし、さっきも教員を収集するための鐘が鳴り響いていた。
すいっと、クリフの横を教師が通り抜ける。
「・・・・・・ユキ、なんかあったの?」
ユキの箸が、ぴたりと止まった。
ワサビをつまもうとしていた箸の先が宙に浮いたままだ。――が、不意にまた動き出した。
「・・・・・・そういえば」ユキはワサビをつゆに溶かしながら、きりだした。
その溶かしたつゆに、そばを丁寧に投入する。不思議な食べ方だ。
「二階の図書館の話、聞きました?」
そばがツルツルと、口の中に吸い込まれていく。
クリフは知らないうちに、それに見入っていたらしい。
ユキはつゆの入った器を持ち上げて恥ずかしそうに横を向いて、中のそばをせかせか食べた。
「・・・・・・聞いたの? まだ聞いてないの?」
「えっ、ああ、悪い。気にしないでくれ」クリフは目をそらして言った。「その話はまだ聞いてないけど」
「そっか」
クリフは視線を、自分の皿に戻すと、残っているもう一本のヴルストにまた、フォークをつきたてた。
皿にまた、汁がとぶ。
「・・・・・・で? その図書館がどうかしたのか?」
「うん、なんかね」ユキは肩を落として、目を伏せた。「人が・・・・・・死んでたらしいんだ」