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漆黒の金時計  作者: 春 ゆみ
第二章  学院事件簿編
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2-(11) 様々な交差

半年ぶりの投稿で、すみません(汗)


「えーっと……ティーカップは、どこへやったっけかな?」



ランプの柔らかい光に包まれながら、筋ばった枝切れのような指が、山のように積まれた本をかき分けていた。

少し物をどかすたびに埃が舞い、それにつられてくしゃみをする。それによって揺らいだアゴヒゲがまた鼻をくすぐり――――の繰り返しだった。

きりがない。

というより、もともとの性格が飽きっぽいため、嫌気がさした。


結局、寝る前のミルクティーは諦めてしまった。

きっと神様が飲むなとでも言っているのだろう。そうに違いない。


老人はのろのろと書斎に戻ると、ワインカラーの椅子に深く腰かけた。

「――――ふむ、さてと」

いつもと変わらない書斎、猫の置物、カーテン、ヒマワリの絵画……



何をしよう。



今日のロサネハイツ院も平和だった。

そういえば、朝っぱらに食堂のサンディエゴがおかずを生徒にぶちまけたらしいが…………まぁいい。


彼女もここに長くいる。

何か事情があったのだろう。その程度で 免職にはしまい。

――――お咎めなしだ。



ちらりと書斎の時計に目をやる。全体が焦げたように、時計のメッキは剥がれていた。銅の短針が12と1の間を指している。


「…………もう寝るか」



頭を前に傾ける反動で腰を上げると、ランプを片手に、ゆらゆらと出口に向かった。

もう一方の手でパイプを掴んだ、その時――――


不意に外の廊下を、タカタカ走る音がした。

恐らくハイヒールの音――――が、だんだんと近づいてきて、自分のいる部屋の前で止まった。

すかさずノック音が老人のしぼんだ鼓膜に響く。

老人は深いため息をつきながらドアを開けた。

目の前には、息を切らした巨体の女が立っていて、額には血管が浮き出ている。

向かい合っているだけで、熱気を感じた。

「――――どうした、こんな夜更けに。ミスモアイ……じゃねぇや、なんだっけ」

「おふざけにならないで院長!」後ろでなんとか纏まっていた髪がほどけ、額に張り付いている。見るも無惨というよりは、むしろ色気のなさに、哀れみさえ覚えた。

「一大事なんですよ!」

「これこれ、落ち着きなさい。何があったと言うのかね」

「何って……なんていうか……わからないんですがその……」


明らかに狼狽していた。理由が掴めていないのか。

こんなにも激怒しているというのに、奇妙な御仁だ。



そして全く、なんとも人騒がせな。


「モアイ殿、頭を冷やして、また改めて来るがいい。あなたは少し、そういう嫌いがあるからな、では」

「待ってください院長、違うんです」モアイが老人の行く手を巨体で遮った。

「なんかこう……何かを追っていたのは覚えてるんです。でもそのあとから……突然プツっと」

「記憶がないの?」


ためらいながら、モアイはぎこちなく頷いた。

老人は奥歯を噛み締めて、なんとか湧き出る笑いをこらえた。記憶がないと言っているわりに、怒りだけは収まっていないらしい。

なんとまぁ若々しいこと、この老いぼれからすれば羨ましいことこの上ない。



「…………で? 何が一大事なのだ。その記憶がないという報告が、『一大事』なのかね?」

「違います」


それだけはっきり言いうと、モアイは院長にそっと耳打ちをした。腰を屈めないと、老人の耳には届かなかった。


「院内をうろついている生徒がいるようで、私の足元に…………これが」


モアイは胸ポケットから、白チョークを取り出した。

まだ真新しい。「陣が書いてあったんです。ふと気づいたら…………足元に」


「陣?」


手持ちぶさたにパイプを回していた左手が、ピタリと止まる。

老人の銀灰色の目が、不気味に生き返った。

「陣?」

「はい」

「記憶がない?」

「はい……もう気味悪くって」



老人はしばらく考えているふうだったが、じきにまた左手のパイプが回り始めた。

目は元の張り合いのないくすんだ瞳に戻っている。


2、3度頷いてから、老人はにっこりとモアイを見上げた。

どうも若い者にはついていけない、そんな諦めがにじみ出ていた。

「たしかにネズミはいるようだが、今夜はもう逃げたあとだろう。もう遅い、貴女も自室に戻るがいい」

「ですが院長」

「戻るがいい」



老人はモアイの脇をするりとぬけて、歩き出した。

振り向かずに、手をヒラヒラと振る。

「よい夢を」

「待ってください院長! これってどう考えてもおかしいでしょう! 記憶が消えるなんて、ありえないわ!」

「ふむ、たしかに」

老人は眉を潜めて振り返った。つり上げられたように両肩をあげて、首をそろそろと横に振った。

「…………ボケじゃろ」




*****


紅葉が舞っている。秋か? 地面の砂利には見覚えがあった。

秋のくせに暮れなずむ高い空、赤と橙の斑点が瓦葺きの屋根に映えている。

ドイツじゃ…………ない。


雪の目がビー玉のように生気を失った。息が苦しくなる。

「僕の…………家」


桂家の舘?

そうに違いない。

夢?

疑いようもない。


ぞわり。

口の中が一瞬にして乾ききった。

それがスイッチのように、血が体の中で逆流し始めた。

足元の地面が、ふわりと傾く。でも、実際に傾いているのは自分の方で、それに気づくまでの一瞬が何分にも感じられた。


ここから、抜け出さなくては。

朦朧とする頭の中で、それだけがはっきりと浮かび上がっていた。

ふらつく足で立ち上がる。

立ち上がって歩き始める。

歩きが速くなるにつれて、体の芯から冷たい何かが沸き上がってきた。


得体の知れない何か。


沖の海に一人放り出され、ふと光を吸い込む海底を見るような感覚。


自分の足が、地面についていないときの不安定さ。



あえいだ。前のめるようにして走った。叫んだ声が、自分のものに聞こえなかった。

自分は、何から逃げているんだ?


「ユキ」

若い男の声がした。

振り向いてる暇なんてない。

僕は今必死なんだ。逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。


どこへ――――。


「ユキ、ユキ」

なんだよさっきから、誰なんだ、僕の邪魔する奴は。

お願いだから、放っておいてくれ…………

「ユキ………………」

「うるさい!」

背筋が凍った。足が痙攣する。

振り払った右手は、相手の胸辺りに溶け込んでいた。抜こうにも、腕の力が入らない。

冷たかった。


「冷たいな」

不意に、目の前の男がせせら笑った。白い歯がずらりと並んでいる。

細めの肩が、カクカク動いた。

「こんなに呼んでるってのに、無視かよ。冷たいな、おまえ」

「放してくれ……」

「先に巻き付いたのは、そっちだ。そっちが俺を巻き込んだ」

「おまえ、なに言って……」そこまで言いかけて息をのみ、反射的にのけぞった。

同じ制服だ。

白い腕、ぼさっとした金髪、ややつり目な碧眼…………。


クリフ=ハイネ。


ずっと探してた。僕の希望の光になるかもしれない、とても貴重で、たった一人の、ただの人間。

どうしてここに。


「ユキ、利用するなら非情になれ。非情になれないなら利用するな。半端な覚悟は切り離すときの面倒くさい枷にしかならない」

クリフの顔が、ぐわっと上がった。鼻の頭同士が付くぐらいに近い。

くぼみ…………目があったはずの場所には、深い穴があった。足のつかない深海を覗いている感覚。

舞っている紅葉が小さくしぼみ、ぱたたっ、と地面に降り注いだ。


血だ――――!


その血がクリフの頭に落ち、つつと流れた。口の両端がカーブを描いて持ち上がる。


『ユキ…………』

こんなの、クリフ君じゃない――――!





「ユキ!」

急に体がおもくなる。一気に引き戻された。

静寂…………視界の端にいる少年の、白い息がふわりとかかった。

何故かワイシャツ姿だ。こんなに寒いのに。

ふと、彼が羽織っているはずのブレザーが、教会の長椅子に横たわる自分に掛けられていることに気付いた。

くしゅっ、と両腕を擦りながらくしゃみをした。

鼻が赤くなっていた。

「クリフ君……」

「おい、大丈夫か? 突然どうしたんだよ………何本だ?」

不意にクリフの白い指が目の前に現れた。

「2本」

「正解。じゃあこれは?」

「8本」

「俺の名前は?」

「クリフ=ハイネ」

「おまえの出身国は?」


寒気がした。今は特に思い出したくないのに。

「…………日本」

「正解! よかった、目眩は? 吐き気は? 頭痛とか、そういうのないか?」

「ない、ない、ない。どれもないよ」

「よかった……」

ふにゃりとへたりこむ。

うつむいたまま、一言も喋らない。喋れなかったのかもしれない。

ははっ、と力もなく笑うと、クリフは顔をあげた。

同じ海の色だけど、とても温かかった。

不思議な事だ。



「どうした急に、体調悪いのか? 倒れたのは初めてか?」

寝たままユキは首を縦に振った。木製の椅子の上で、自分の頭がゴロゴロ転がっているのを感じた。

「大丈夫、きっと貧血か何かだよ」

「ばか、絶対に違う」

「なんで」

「なんとなく」

思わず吹いてしまった。

クスクス笑いながらクリフに背を向ける。

見ていなくても、クリフが自分を睨んでいるのがありありと分かった。

案の定、肩をつかまれて無理矢理目を合わさせられた。

眉間にシワが寄っている。


沈黙が続いた。どちらも視線をそらさない。

クリフは、深いため息をついて手を放した。「……戻るぞ」

「そうだね……これ、ありがとう」

差し出されたブレザーをクリフは押し返した。

「いや、まだ着てろ。俺は寒くない」

「息白いよ、早く着て」

「お前が着ろ」

「風邪ひくよ、バカだけど」

「返せ!」

くしゃみをしながらいそいそと羽織る。部屋に戻るまで、お互いに口をきかなかった。

寒さとは関係のない、震えを感じながら。


焦ってはいけない。

その間、ユキは何度も何度も、心の中で反芻していた。

冷たくて澄んだ空気を、肺いっぱいに吸い込んだ。鼓動が頸骨に響く。



よく…………考えるんだ。


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