2-(9) 潜入捜査 1
背景が白い。というより、世界が光に包まれていた。
ここに地面なんて存在しない。
今、自分は落ちているのだろうか、それとも前に進んでいるだろうか。
そもそも自分の頭がちゃんと世間一般で言う『うえ』を向いているのかさえ、怪しいところだった。
薄目でぼんやり辺りを眺めていると、クリフの体全体が、グンと重くなった。
「いててて・・・・・・・」ひんやりした大理石の床が、クリフの火照った頬にピットリあたって気持ちいい。
――――ん? 大理石?
手をついてゆっくり起き上がると、クリフは自分の置かれている状況を確認した。
「西館の・・・・・・ステンドグラス」
目の前にはいろんな色をしたマリア様がこっちを見降ろしていた。
地面が虹色に彩られている。俺はその、ほんの一部分にすぎない。マリア様からみれば自分なんて、数多くいる動物のうちのたった一匹にすぎないんだ。
――――ここに来るたびに、なぜかそんな気分になる・・・・・・。
「日の光・・・・・・・・影の長さからして昼過ぎってところか」
「こっちだよクリフ君」
「ユキ」西館の出口で手招きしていたユキが、突然走り出した。クリフも急いで後を追う。
「決して僕を見失わないで下さい、元の時間に帰れなくなります! それと、僕の前には出ないで! 陰陽師の通ったあとしか、一般人は動けない」
「わけわかんねえ! もっと詳しく・・・・・・」
「そんな『時間』ありません! あとで説明するよ多分ね!」
「ったくよぉ」クリフはため息をつきながら言った。
「・・・・・・にしても、ここは『いつ』だ?」
「事件当日の約半日前です。ある人物の時間にそって移動している」
「『人物の時間にそって移動』? どういうことだよそれ」
「分かりやすく言えば、『ある人の人生をさかのぼってきた』ってことだよ」
「ある人? ある人って誰だよ」さっきから俺、質問しかしてない。
クリフは羽織翻る、ユキの背中を見た。ユキにはもう、犯人の目星がついてるってことなのだろうか?
「別に犯人の目星がついているわけじゃない」
まるでクリフの心の声が聞こえているかのように、相づちを打った。ユキはため息をついて、歩き出す。
「あそこにいる人」
ユキの指差した先にいるのは、かっぷくのいい、スーツを着た中年男性だった。
集会とかで、よく見かける顔。太めの眉毛が何とも特徴的な―――――――――校長先生。
「校長!? あんな優しい人が!?」
ユキはかぶりをふった。
「薫が言うに、妹である被害者の舞さんはしょっちゅう校長に相談に乗ってもらっていたらしい。何か手掛かりが見つかるかも」
「なーんだ、そういうことか」
どうやらユキは、人の作った時間に沿ってしか、過去を遡れないようだ。
「僕がタイムスリップ出来る状況は限られているからね。どこかの青ダヌキみたいに、自由自在に移動出来る訳じゃない」
「そのギリギリ発言やめろよ・・・・・・著作権にさわるぞ」
「名前出そうか? ドラえも」
「うわああああやめろばかっ!!!」
クリフは『校長のあとをつけているユキ』の後を追って、前に進んだ。
校長の方ばかり見て走ると、しょっちゅうユキの踵を踏んでしまうのだ。
ユキから苦情がきたので、急遽この案を採用した。
にしても、前を行くユキはまるで『ニンジャ』みたいだ。
中庭を抜けると、校長は本館の入口――――には向かわず、何故か普段あまり使わない裏口を通った。
クリフ達も、その後をおう。
校長の足がふと、人通りの少ない廊下で止まった。じめじめしていて、レンガの繋ぎ部分には苔らしきものまで生えている。
クリフ達は物陰で息を潜めて、様子をうかがった。
当の校長は、やたらと時間を気にしている。
「校長の野郎、こんなとこで何を・・・・・・」
「クリフ君!」
「へっ? はっ、はいっ!」間の抜けた返事になってしまった。
「なんすか」
「あれ見て」
「・・・・・・・・・」
廊下の向こう側から、小柄で髪の長い少女がこっちに向かってくる。
目元がカオルさんにそっくりだ。
「マイさん!」
「よかった、狙った時間はドンピシャだ」
そう言って納得したふうに頷くと、ユキは猫のように慣れた足取りで二人に近づいた。 校長とマイは、そのことに全く気づいていない。それどころか、さっきよりも会話が弾んでいるようにさえ見える。
「あのさ」その様子を見て、クリフは嫌な予感を隠しきれなかった。
「・・・・・・もしかしてだけどさ、その・・・・・・校長の野郎・・・・・・・・まさかロリコン・・・・・・・・」
「変なこと言わないで下さい、シバキ倒しますよ!」
「だって・・・・・・仲イイじゃん。待ち合わせまでしてさ」
「僕は・・・・・・信じませんから! かっ、薫にクリフ君がそう言ってたことチクりますよ!?」
「・・・・・・・・・・・・」
黙ってよう。
クリフは心に決めた。
そうこうしているうちに、ターゲットの二人は仲良く歩き始めてしまった。
手をつないでいないことだけが、クリフ達の嫌な予感を否定できる、唯一の根拠。
信じないと言ったところで、ユキの顔は真っ青だったのが、ここはあえて突っ込まないことにした。
『――――にしてもマイさん、今日はどうしたんだ? 顔色が悪いようだが』
校長は少し太めの眉を潜めて訊ねてきた。
『大丈夫です』
『本当か?』
『本当ですよ、校長ってば心配性なんだから』
会話の端々が風に乗って流れてくる。どうやら校長は、マイの体調を気にしているようだ。
「仲・・・・・・いいな」
「仲いいね、でも・・・・・・僕は信じないから」
「タフだねぇ」
ソロソロと校長達の歩幅に合わせて進みながら、二人の『校長ロリコン論議』は続いた。
とりあえずは、ロリコンではないという方向で固まったが、いろいろと確認しあったことで、疑念はむしろ深まったように思えた。
重い沈黙が流れた丁度、その時だった。
ユキの視界の端で、突然マイが手で顔を覆った。横にいる校長が慌てふためいている。
「ユキ、あれ・・・・・・」
「・・・・・・」
ユキは目を細めた。
――――泣いている?
すぐに彼女の細く、弱々しい泣き声が二人の耳にも届いた。
小さな肩が不規則に揺れている。それがスイッチだったかのように、彼女のむせび泣く声が、さっきよりもはっきり聞こえるようになった。
『現在』にはもう存在しない、死んだ者の悲痛な叫び声――――。
『どうした、何があったんだ? 私でよければ聞くからな。言ってみなさい』
マイは首を横に振った。
かたくなに校長の提案を拒み続ける。
校長の手が自然な手つきで、マイの肩に乗った。
マイではなく、それを見ていたユキの肩がビクッと揺れる。顔が真っ青だ。
――――ユキの野郎、俺よりよっぽど気にしてんじゃねぇかよ。
クリフはユキの肩をポンと叩いた。
「・・・・・・信じませんからね」
「まだ言うか」
『余計な詮索は・・・・・・・・・やめてください』
マイの言葉が、やけにはっきりと聞こえた。自分達のことを言われたのかと、思わずハッとして振り返る。
でもどうやら違ったようだ。
校長とマイとの間に、さっきよりも距離があいていた。マイが校長の手を振り払ったようだ。
『私のことは放っておいてください、私はあくまでここの生徒。変なことは考えないで下さい』今度は校長が青ざめている――――ように見えた。
でも、表情の変化は見受けられない。
校長は首をかしげて言った。
『・・・・・・無理しなくていいんだぞ、私は君の味方だ。もちろん、教師としてな』
マイが伏せていた顔を上げた。
頬には涙の伝ったあとが残っている。健気な少女なのだろう。すぐに顔を伏せて、急いで涙をぬぐった。
マイもある意味では校長のことを疑っていたようだ。
クリフとユキは、ほっと胸を撫で下ろして、息を潜める。でも何故か、ユキの顔色は悪いままだ。
『私・・・・・・・・なんかおかしいんです』