初雪の予感⑤
猪村さんは玄関先で、俺たちを見送ってくれた。
影は長く伸び、心地良い冷たさで風がそよぐ。
きっと、もうすぐ日が暮れる。
「晴氣も気が楽になったようで、なんとお礼を言ったらいいか…」
「いえいえ、悩みは出来るだけ取り除いた方がいいですから」
「それはそうですね」
「お嬢様、もう出ますよ」
「待ってください、今、行きますから。さ、健司さんも帰りますよ」
そういう慌てるところも可愛いな。これを間近で見れる俺は、幸せ者だ。拳を握りしめる。
「また何かあればお呼び下さい。それでは御暇させていただきます」
「ありがとうございます」
猪村さんの顔は安心していた。俺もその顔に釣られてほっこりする。
猪村さんにコクリと頷き、その場を後にした。
紅空の下、鳥の群れが飛んでいく。
あいつらも自分の家に帰るのかな。
ようやく終わったという安堵感に浸りながら歩を進める。
◆◆◆
「やっと終わった…」
人の車の中なのに背もたれに寄りかかって、ぐて〜っとしている。達成感に押しつぶされたのだから仕方がない。
「健司さん、初めての祈祷どうでしたか?」
色々あったけど、なんだかんだでいい体験だった。
「準備は大変だったよ。でも、人の温もりに触れられた気がした」
「私もそれがやり甲斐です」
「お嬢様、サービスエリアに寄ります。何か買ってきましょうか?」
「それじゃあ、いつものをお願いします」
御許さんは買い物に行ってしまった。
車に男女が2人…どうにかしてこの気まずさを解消したい。
「俺、ちょっとお手洗いに行ってくるよ」
刹那、服の端っこを掴まれた。
俺はそれを気にせず外に出ようとするので、服が鈍い音をたてる。
「俺がお手洗いに行って不満でもあるのか?」
彗は、黙って端を掴んだまま。
幼気な顔でプンプンしている。
「つまり、ここにいてくださいってこと?」
ゆっくりと頭がコクリ。
さっきまで平気な顔だったのに不思議だ。
「俺は行かないから安心しろ。」
「ほんとに…」
「あぁ。それより手が震えてるぞ!」
「それは…」
服の袖で手を覆い隠す。
聞かれたくなさそうだな。
「分かった。聞かないでおく」
「…ありがとう。貴方に弱み、見せてしまいましたね」
少し涙目で、乙女の顔をしてる。
「まったく、驚かせるなよ」
御許さんが戻ってくる頃には平常心に戻っていた。
「今、何かありましたか?」
「何も無いですよ。ね、健司さん」
これは毒舌の彗だ。安心した。
彗が腹をつねってくる。痛い。
それに御許さんの視線が怖かった。
「嗚呼、何も無かったよ」
「そうですか…」
彗は御許さんに心配させたくないんだろう。
「そうだ、「御駄賃を渡すように」と貴方のお父様から言われてたんです」
鞄の中をガサ、ゴソしている。
「そんな話だったな」
この1日が濃密すぎて、すっかり忘れていた。
ドサッ
「こんなにもらって良いんですか?」
初めて札束の重みを噛み締める。
でも、俺には多い。
「良いんですよ。私が持っていても宝の持ち腐れになるだけなので、貴方が使ってください」
「札束は俺には重すぎる」
「そうですか?こんな紙切れの束に…」
慌てて口を閉じた。
お金を紙切れの束って言ったのか?
「お嬢様、お口が悪いですよ」
「そうでした。お金は大切なもの。お金は大切なもの?」
もうこれは、染み付いた価値観なんだろう。
「1万円札1枚で、俺は十分だ。残りは、彗に預かっていてほしい」
残りの99万円を彗に渡す。
「分かりました。足りなければ貴方のお父様にでも言ってください。そうすれば私が…」
「親父に渡すのだけは止めておけ。あぁ見えて金使いが荒いから」
「そうですね。何かあったら、私の家に来てください」
車が停車する。
驚いて窓の外を見ると自宅の前だった。
「健司さん、着きましたよ」
「あっ、着いた。着いちゃった…」
「未練がましそうですね。今日の祈祷楽しかったですか?」
コクリ。
ずっとゲームばかりで、青春みたいな事してこなかったから楽しかった。
恥ずかしくて本人には言えない。
「神社に来れば会えますから。それにまた仕事を頼むかもしれません」
その言葉に救われた気がする。
「何ほっとしてるんですか?早く帰ってください。私も疲れたので、帰りたいんですよ」
「じゃあな!彗」
「今日はありがとうございました。健司さん」
彗が帰るのを見送った。
「ただいま」
ドアを開けると親父が飛び出してきた。
いきなり塩をかけてくる。
口の中がしょっぱい。
「何するんだ!」
「悪い、焦っていたんだ」
親父によると、祈祷で良くないものに憑かれる事があるようだ。それを家に連れ込んで欲しくない。だから、清めたという訳だ。
「それなら、先に言ってくれよ。玄関先で待ってやったのに」
「伝え忘れていたんだ。夕食、食べるよな」
「塩浴びて頭がジャリジャリするから、先にお風呂入るよ」
◆◆◆
湯船に浸かりながら、1日を思い出す。
ここまで濃い1日を過ごしたのは、人生で初めてかもしれない。
やっと彗に会えた。
1年前も美しかったのに、より美しくなっていた。絹のような白髪も、濃藍の瞳も健在で…
前は一言しか交わせなかったのに今日は、たくさん話した。
彗はお嬢様ながら、毒を吐きまくる人だ。
でも、その奥底には女の子が居た。
貴女にずっと会いたかったのに…
こんなきっかけ一つで、会えるものだ。
それに関係を築けた。
彗のお父さんは、忙しいから仕事を頼むと言っていた。もし、忙しく無くなったら彗と仕事をする機会は無いだろう。そうなれば彗に会う理由も無くなる。
この幸せの日常を噛み締めて生きようと誓った。
お湯もぬるくなってきたらから風呂をあがった。
腹も音を立てているので、早く夕飯を食べたい。
夕食を食べ終えて、布団に直行した。
今日やるべき事は、もう無い。
だから、一瞬で夢に帰った。
この時、スマホに1件の通知が届く。
明日のカラオケの集合時間が午前9時ということ。俺はこれを確認せず、アラームも付けなかった。
そこは、神社の早起きの習慣に任せるとしよう。
寝落ちの寸前、疑問が頭をよぎった。
祈祷の時に彗が一瞬見せた蒼の瞳。
元々、あの娘の目は藍色だけど発光するような輝きだった。
それに車で1人になるを嫌がっていた。
昔、何かあったんだろうか。
彗との付き合いの中で、知りたくなくてもいずれ分かるだろう。




