初雪の予感④
俺たちは、祈祷のために依頼主さんの家の客間に通してもらった。
そこは一枚板のテーブルがある座敷間だ。
二枚の座布団が用意されていたのでそこに座る。
「麦茶をどうぞ」
小柄な女の子がお茶を用意してくれた。
「ありがとう」
「ゴホ、ゴホ。私の代わりにお茶を入れてくれてありがとう、煎ちゃん」
「お母さんは、無理しないでよ」
「それでは、本題に移りましょうか」
ほのぼのした雰囲気が嘘みたいに緊迫した雰囲気が流れ出す。
依頼主さんの名前は、猪村宏惠さんという。
「祈祷をしてくれる方は、一人じゃないんですか?」
「珠神彗とこちら、見習いの桑原健司が今回の祈禱を担当します。私だけがよろしいのなら健司さんには外れていただきますが」
「二人いて戸惑っただけなので、大丈夫です」
「そうですか。電話のほうで依頼をお聞きしましたが、再度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、息子の晴氣が今年、受験なので学業成就の祈祷をお願いします。それで、初穂料はこちらに用意していますから」
依頼主さんの表情は、少し陰っていた。
「お預かりいたします。ところで、晴氣君本人は参加しますか?」
「いえ、晴氣は「受験勉強に関わりの無いことは時間の無駄だ」と言って聞かないので参加しないです」
「それでは、準備に取り掛かりますのでこの部屋をお借りしてもいいですか?」
「好きに使ってもらっていいですよ」
祈祷の準備は滞りなく進んでいた。
これも彗が支持をくれるおかげだ。
四方に竹を立ててしめ縄で縛り、その真ん中に木の祭壇を取り付け終えた。
その後がちょっと曖昧だ。
「健司さん、その箱を空けてもらっていいですか?」
「これは鏡?」
「ただの鏡じゃないです。神籬と言って、神を招き下ろすものです」
驚いた。見下してくると思ったのに…
彗は祈祷直前まで瞑想をして自身を清めている。
まあ…祈祷直前ということで、清さを保つために彗は毒な発言を一切しなかった。
祭壇の上には、猪村さんが用意してくれた白米や果物、野菜などを並べていく。
あの人は、星ヶ嶺大社で神様の食事に使われる食物を用意するちょっとすごい農家さんと彗が言ってたから間違いない。
「これで最後かな」
ようやく祈祷の準備が終わった。
「祈祷を始めますよ。健司さん、猪村さんを呼んできてください」
丁度、彗も整ったようだ。
隣の部屋にいる猪村さんを呼ぶためにふすまを開ける。
その刹那、彗が少し殺気立ったのを感じた。
後ろを振り向いた時には、巫女の顔をして立っている。
「準備が終わりましたので、お呼び出しした次第です。それでは祈祷を始めさせていただきます」
彗は、手を付けていなかった木箱から木に稲妻の形を模した紙を挟んだ道具を取り出す。
あの道具なら俺でもわかる。御幣と言って、神主さんが振っている物だ。
そして、祝詞を読み始める。
現在の神道は、仏教と混合した形態をしている。
祝詞がお経のように長く書物に記されているのだ。しかし、祈祷中は両手に御幣を持っていなければならない。
だから、俺のような祝詞をめくる人が必要だった。
「掛けまくも畏き。菅原道真公…」
学業成就の祈禱だったから学問の神である菅原道真公についての祝詞を読んだのだろう。
彗の清く美しい声がこの空間を包み込んでいた。
まるで雅楽を奏でるように。
この祈祷は、何のトラブルもなく進んで祝詞が終わろうとしていた。
「以上で、祈祷は締めくくりとさせていただきます」
うぅ、ようやく終わった。
何も起こらなくてほっとしている。
しかし、祈祷が終わっても猪村さんの顔色は悪かった。
「猪村さん、貴方、何か隠していませんか?」
「いえ、なんでもありません。ゴホ、ゴホ」
「その咳は、いつごろからですか?」
「夏くらいからですけど…それが何か」
「私にその咳を治せるかもしれませんので気にかかっただけです。その咳は治せると思いますよ」
「でも、貴方はお医者様でもあるまいし…」
「とりあえず任せてください」
「健司さんは、私についてきてください」
そう言って家中を歩き始めた。
彗がたどり着いた所は、晴氣君の勉強部屋だった。
「彗、この部屋がどうだって言うんだ?」
「この部屋からよくないものが流れている気がするんです」
彗がバッとドアを開ける。
そこにいたのは背中を勉強机に縮めこめる少年の姿。
そして、部屋の空気がどんよりしているような…
言葉にすれば、強烈な緊張感に覆われていると言ったところだ。
「勉強の邪魔すんな!」
急に怒鳴り声が響く。
いきなりだったので、少し焦った。
少年は、余程受験に追い詰められているのだろう。その刹那で部屋の空気は、緊張感から殺気に変わったのだから。
「私たちは、貴方の学業祈願の祈祷に来た者です」
「嗚呼、全部聞こえていたよ」
「それなら話が早い。貴方のこの気を浄化してあげたいと思いまして、祈祷に参加してください」
彗がこれまでというほど優しく語り掛ける。
だが…
「うっさいんだよ!あぁ…まただ、また勉強時間が減ったぁ。責任取ってよ…責任とれよ!」
「ずっと、勉強していたのでしょう。少しは、気分転換に外へ出てみてはいかがですか?」
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ!」
少年は、手に持っていたペンが鈍い音を立てている。彗の説得は、逆に少年の気を悪くした。
「お姉さんたちと一緒に、さぁ出ましょう」
…
等々、少年は黙り込んでしまった。
これはもう、説得の余地はないだろう。
俺は、部屋を出てそばの壁にもたれかかった。
「仕方がありませんね。あまり使いたくはないのですが…」
そんな声が聞こえた。
外で待っていると、彗と晴氣君が出てきた。
半ば強引に連れ出したのかと思ったが、少年は静かだった。
「どうやって、連れ出したんだ?」
「ちょっと説得しただけですよ」
そう言う彗の目は、少し蒼みがかっている。
彗の目は、元々濃藍だったから光の反射のせいだろう。
「そうやって、茶を濁すんだな」
「………」
彗は黙り込む。
それ以上土足で踏み込むのは自分でも嫌だった。
だから、これ以上その眼について進展は無い。
「健司さん。これから、この家の気を浄化する祈祷と再度、この少年の学業祈願の祈祷を執り行いますよ。忙しくなります」
「あぁ…」
早口で言い切ったので、なんとなくでしか理解できなかった。
「どうやって、晴氣を…」
「そのことについては…お話しできませんが猪村さん、再度祈祷を執り行いますがよろしいですか?この家の気の流れを良くしたいのです」
「いいですよ。星ヶ嶺大社の方は、信用できますから」
「本当に申し訳ないのですが、再度初穂料をお納めください」
「こちらのでよろしい?予備の初穂料を用意しておいてよかったよ」
「本当にイレギュラーですみません。それでは、念入りに行わせていただきます」
彗は祝詞を読まず、暗唱で唱え始めた。
「掛けまくも畏き。瀬織津比売の大神…」
瀬織津比売!?思わず声を出しそうになるほど驚いた。
その名をどこかで…聞いたことがあったから。
彗が唱える祝詞にはその後にも、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売の名前が聞こえてきた。
どの名前もどこかで、どこかで聞いたことがあるんだよな~
やっぱり聞いたことないかもしれない、そんなあやふやな感じだけど。
そして、気の浄化が終わった後でまた、学業成就の祈祷が始まった。
「重ねてお呼び奉ること、いと恐れ多きことなり…」
ようやく、祈祷は終わった。
「猪村さん、咳の調子はどうですか?」
「あれ、元々なんともなかったみたいにひいてる」
「それは良かったです」
本当にいろいろあったから疲れた。
それから、俺たちは祭壇の片づけに取り掛かった。
片づけてみると、さっきまで神聖だった場所はただの客間になっている。
いつの間にか晴れて、日が傾いていた。
「彗、それじゃあ帰ろう」
「そうですね」
長かった一日がこうして終わろうとしていた。




