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閑話 支配エリアのやさしい実り

支配エリアの朝はいつも静かだ。


空気は澄み、風は柔らかく、土と緑の匂いが混じり合っている。

鳥のさえずりも、遠くで聞こえる水の流れる音も

全てが穏やかで心地よい。

こんな朝を迎えられることが、今ではすっかり当たり前になっていた。


俺は屋敷を出てゆっくりと歩いていた。

目的地があるわけではない。


朝の空気を吸いたくて、外に出た。

その足元を黒い影がちょろちょろと行き来している。


「ちょっと待って、そんなに先に行くなよ」


返事はない。代わりに――


「にゃ、にゃ、にゃ~」

どこか調子外れで、それでも楽しそうな声が返ってきた。


ツキだ

最近、あいつはよく鳴く。

鳴くというより、歌っていると言った方が近い。

気分が良い時ほど、意味のない音を連ねて歩く。

まるで、自分の機嫌の良さを世界に伝えたいとでも言うように。


「……ご機嫌だな」

俺がそう呟くと、ツキは一度だけこちらを振り返り

尻尾をぴんと立てて、また前へ走り出した。


黒い毛並みが朝日に照らされて、わずかに紫色に輝いて見える。

そのまま、畑の端まで行き、今度は果実の木の根元でぴたりと止まる。


「ん?」

ツキは背伸びをして、低い枝に実った果実をじっと見つめていた。

尻尾を揺らし、時折小さく鳴きながら、じっとその果実を見上げている。


「それ、食べたいの?」


問いかけると――


「にゃ!」


即答だった。

しかも、いつもより大きな声で。

明確な意志を感じさせる鳴き声だ。


俺は苦笑して、一つ果実をもいで匂いを確かめる。

甘い香りがする。熟しているが、腐ってはいない。

特に問題はなさそうだ。


「……少しだけだぞ」

そう言って差し出すと、ツキは恐る恐る近づき

くん、と匂いを嗅いでから――

ぱくり


次の瞬間


「にゃ、にゃ~……」

とろけるような声を出した。

目を細め、喉を鳴らし、幸せそうな表情を浮かべている。

猫がこんな表情をするのか、と思うほどに

わかりやすい反応だった。


「……美味いのか」


返事の代わりに、果実を抱え込んで夢中で齧る姿。

小さな口で一生懸命に食べている様子は、どこか微笑ましい。


どうやら日本で知っていた猫とは

色々と勝手が違うらしい。


地球の猫は果物をこんなに食べただろうか。

それとも、ツキが特別なのだろうか。


「人と同じ物、食べられるんだな……」


そんな呟きに、ツキは聞いているのかいないの

黙々と食べ続けている。


時折、美味しそうな声を出しながら、果実をかじり続ける。


その姿を眺めながら、俺はふと気づいた。

ここに来てから、時間の流れを気にしなくなったことに。


一人だった頃は、何をするでもなく、ただ日が過ぎていった。

朝が来て、昼が来て、夜が来る。

それを繰り返すだけの日々。

特別なことは何もなく、ただ生きているだけだった。


今は――

小さな存在が、毎日の中に「ささやかな変化」を持ち込んでくる。


朝、起きれば胸の上にツキがいる。

散歩をすれば、足元をちょろちょろと走り回る。

食事をすれば、隣で自分も食べようとする。

夜、眠りにつくときには、傍らで丸くなって眠っている。


それは些細なことかもしれない。

そんな些細なことが、毎日に彩りを与えてくれる。


「……平和、だな」


俺の言葉に反応したのか

ツキが果実を咥えたまま、こちらへ歩いてきた。

口の周りに果汁をつけたまま、満足そうな顔をしている。


そして――すり


脚に体を擦りつけてくる。甘える仕草。

感謝の仕草

それとも、ただ単に機嫌が良いだけなのか。


「お前……食いしん坊な上に、甘えん坊か」


ツキは答えない。ただ――


「にゃ~」

と短く鳴いて、また果実に戻った。

まだ食べ足りないらしい。

小さな体で、よくそんなに食べられるものだ。


支配エリアの中は、今日も穏やかだ。


誰にも急かされず、奪われることもなく

ここにある実りを分け合うだけの時間。


戦う必要も、競う必要も、何もない

ゆっくりと流れる時間の中で、小さな幸せを感じていればいい。


この静けさが、いつまで続くのかは分からない。

外の世界には、まだ知らないことがたくさんある。


危険も、困難も、いずれは訪れるのかもしれない。

それでもそれは今ではない。


けれど今は――

この小さな命と並んで歩くこの時間を、ただ大切にしていたかった。


ツキが果実を食べ終え、満足そうに喉を鳴らす。

その音が、静かな朝に溶けていく。


俺はもう一つ果実をもいで、自分も口にする。

甘くて、少し酸味があって、爽やかな味がする。


「……美味いな」


呟くと、ツキがこちらを見上げた。

まるで「でしょう?」とでも言いたげな顔だ。


俺は笑って、ツキの頭を撫でる。

柔らかな毛並みが、手のひらに心地よい。


世界は――

今日も、やさしかった。

カクコムでも先行掲載しています。


もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。


https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578

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