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観測者に見守られる屋敷で生きることにした ~静は世界を支配しない~  作者: 灯乃しんわ
第七章 静かな日常が世界に届く

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閑話 北の山と迎える準備

屋敷の裏手に広がる丘を越えると、北の方角にはなだらかな山並みが続いている。

朝の光を受けて、木々の葉は淡くきらめき、遠くでは水の落ちる音が絶え間なく響いている。


風が吹くたび葉擦れの音が柔らかく耳をくすぐり

空気は澄んでいて、深く息を吸い込むと、土と草の香りが胸いっぱいに広がった。


「……今日は、あっちまで行ってみるか」


静の視線の先には、岩肌を伝って落ちる小さな滝がある。

普段は屋敷の周囲で済ませることが多いが、今日は時間に余裕があった。

フレイヤが王都へ戻ってから、屋敷には再び静かな時間が流れている。


「いいですね。空気も澄んでいますし」


セリナがそう答えると、ツキが「にゃ」と短く鳴く。

その後ろでは、あかねがぱたぱたと小さな翼を揺らしながらついてきた。

まだ飛ぶことはできないが、翼を動かすこと自体が楽しいらしい。


支配エリア内

危険はなく、気負う理由もない、ただの散歩だ。


◆◆◆


山道に入ると、すぐにツキが動いた。


「にゃ、にゃにゃ!」


低木の根元を掘り返すようにして、誇らしげに顔を上げる。

そこには肉厚で艶のあるキノコがいくつも顔を出していた。

傘の色は淡い茶色で香りも良い。


「それ、食べられるやつだね」


静が屈み込むと、セリナが頷く


「森の滋養を吸った種類ですね。香りも良いです」


ツキは得意げに尻尾を揺らし、それを見たあかねが真似をするように

少し離れた場所をくんくんと嗅ぎ始めた。

鼻を鳴らしながら、一生懸命に何かを探している。


「……きゅぅ」


今度はあかねが木の根元に転がる赤い実を前足で転がす。

見つけたと言わんばかりの表情だ。

小さな尻尾が嬉しそうに揺れている。


「ふふ、上手ですね」


セリナがそう声をかけると、あかねは嬉しそうに胸を張った。

ツキも「にゃ」と鳴いて、あかねの頭を優しく舐める。


静とセリナは二匹の様子を微笑ましく見守りながら

籠に食材を集めていく。

キノコ、山菜、木の実。どれも新鮮で自然の恵みを感じさせるものばかりだ。


◆◆◆


滝の近くまで来ると、空気がひんやりと変わる。

水音に混じって、川面を跳ねる魚の影が見えた。

清流に棲む小さいが美味しい魚だ。


「これも食材になるな……」


静が呟くとセリナは一瞬だけ足を止めた。


「……はい」


答えながら彼女は少し遠くを見る。


ここに来てからの日々は、穏やかで、満ち足りている。

女神ルーナフィリスの聖女として祈りを捧げ

時折、言葉とも思念ともつかない、やわらかな返事を受け取る。


料理をして皆に「美味しい」と言ってもらえる。

ツキやあかねの成長を見守り

静と並んで、当たり前のように笑って過ごす毎日


――幸せだ


間違いなく、幸せだった


けれど


「……静様」


何気ない呼びかけに静が振り返る。


「ん?どうかした?」


セリナは少し迷ってから、ぽつりと口を開いた。


「ここに来てから、毎日とても充実しています。祈りも、料理も……皆さんと過ごす時間も」


静は何も言わず続きを待つ

穏やかな表情のまま、セリナの言葉に耳を傾けている。


「でも……時々、思うんです」


セリナは足元の草を見つめながら……


「フォルツにいた頃、お世話になった方たちのことを……」


聖女見習いとして、街で多くの人と関わってきた日々

病人の看護、炊き出しの手伝い、孤児たちの世話

どれもが誰かの役に立てる実感があった


「今は対外的には聖女ではなくて……治療師として、静様の付き添いという形で街に行くこともありますけど」


小さく息を吸う


「教会にいた頃みたいに、炊き出しをしたり……誰かの力になれることを……直接できていない気がして」


それは不満ではなく、焦りでもなく

ただ優しさから生まれた、静かな想いだった。


「私は……とても恵まれた場所にいます。だからこそ、そうじゃない人たちにも、何かしてあげたいなって」


セリナの声は少しだけ震えていた。

自分の気持ちを言葉にすることが、少し怖かったのかもしれない。


◆◆◆


しばらく滝の音だけが流れてくる中、静が穏やかに言った。


「……それならさ」


セリナが顔を上げる


「今度、炊き出しでもしてみようか」


一瞬、セリナは言葉を失った。


「え……?」


「街の人たちに、って意味でね。他国から来た療養中の商人って設定もあるし、うまく使えるかなって」


静は少しだけ笑う


「無理のない範囲で、できる形を考えればいい」


セリナの目が、ゆっくりと潤んだ


「……ありがとうございます」


「まだ先の話だけど、それでもやりたいって気持ちは大事にしようか」


その言葉にセリナは深く頷いた。

胸の奥がじんと温かくなる。


「にゃぁ」

いつの間にか話を聞いていたのか、ツキが短く鳴く。

あかねも何となく分かったように静の足元に寄ってきた。


「……フレイヤさんが戻ってきたら」


セリナがふと思い出したように言う。


「その時に少し相談してみるのもいいかもしれませんね」


静も頷いた


「そうだね。フレイアさんなら、何か良い案が出るかもしれない」

「もし戻ってきても、エリアに入ったら分かるし。その時は迎えに行くよ」


セリナは静の横顔を見つめた。

この人はいつもこうだ。誰かの想いを否定せず、できる形を一緒に考えてくれる。


(……本当に、優しい方)


そう思うと胸が温かくなった。


◆◆◆


籠はいつの間にか食材でいっぱいになっていた。

キノコ、山菜、果実、川魚


ツキは満足そうに歩き、あかねはその後ろを真似するようについてくる。

二匹とも今日の成果に満足しているようだ。


夕方の光が山の端を赤く染め始めていた

空の色が淡いオレンジから深い紫へと移り変わっていく


「さて……今日は何作るかな」


静の言葉にセリナは柔らかく笑う


「今日の収穫、全部使いましょうか」


「それもいいな」


その笑顔の奥に小さな決意が静かに芽生えていた。


いつか、この恵まれた場所で得たものを

誰かに分けられる日が来るように

その想いを胸にセリナは屋敷へと続く道を歩き始めた。

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