第六話 静かな領域とほどけない違和感
フォルツの街を出る頃には
空はすっかり夕暮れに染まっていた。
城門を抜けると昼の喧騒は嘘のように遠ざかり
草原を渡る風の音だけが耳に残る。
街道には人影もなく、ただ夕陽に照らされた草が
静かに揺れているだけだった。
フレイアは歩きながら、胸の内で言葉を整えていた。
(……本当は、今日のうちに話しておくつもりだった)
彼女が「話しておきたいことがある」と言ったのは
曖昧な含みを持たせるためではなく、理由は明確だった。
《ルミナ・ヴェール》に新たな調査依頼を出す予定がある。
対象は空白地帯
そして近頃、神託が下り教会や各国が注視する「焔守護竜」の存在
現在アリアたちは「病気療養中の商人の専属護衛」という契約中であり
その状態で高機密案件に就かせることはできない。
それは組織としての規律であり、彼女自身の責任でもあった。
(だから……)
本来は静に頭を下げ、護衛契約の一時解除を頼むつもりだった。
アリアたちの実力は本物だ。
新たな依頼には彼女たちの力が必要になる。
そのためには今の契約を一度整理しなければならない。
――そう、思っていた……
「この先になります」
静の声が、思考を引き戻す。
「少し……街からは離れていますが」
「ええ、大丈夫です」
フレイアはそう答えた。
外面はいつも通り落ち着いているが、内心では別の違和感が芽生え始めていた。
(……街から離れている?)
フォルツ近郊に人を泊められる屋敷がある場所は限られている。
貴族の別荘であれば把握しているし、富裕層の保養地も大体の位置は頭に入っている。
しかも今歩いているこの道は街道から外れ、人の気配がほとんどない。
(……おかしいわね)
記憶を辿っても該当する場所は思い当たらない。
地図にもない場所に人が住める建物があるとは考えにくい。
その時だった。
「この辺りから、転移を使いますね」
静のその一言にフレイアの内心がはっきりと揺れた。
(転移……?)
街の外、この位置から?
しかも、何の詠唱も準備もなく?
次の瞬間、答えが浮かぶ。
(……支配エリアコア)
そして同時に、背筋に冷たいものが走った。
空白地帯、教会中央監察局、各国上層部、冒険者ギルド本部が
「報告・確認・監視」対象としている休止中の支配エリア
開放方法も判明しておらず、使用不可。
それが現在認識されている情報だ。
(……なぜ、『使える』前提で話しているの?)
フレイアは静を横目で見る。
穏やかで、誠実そうで、権力や強さを誇示する気配は一切ない。
ごく普通の、どこにでもいそうな青年にしか見えない。
だが――
(誰の判断で?誰が、このエリアを使用可能にした?)
疑念が、静かに形を持ち始める
アリアたちが以前提出していた報告書
魔物が出現しない空白地帯
異様な安定
当時は単なる偶然か、何らかの自然現象だと考えていた。
今なら説明がついてしまう。
(……まさか……上位支配エリアコアの管理者)
フレイアは無意識に息を整えた。
今日は護衛依頼の整理をしに来ただけのはずだった。
ただの事務的な手続き、それだけのつもりだった。
それなのに――
「行きましょうか」
静の声に促され、フレイアは一瞬の迷いの後、頷いた。
「……ええ」
引き返すという選択肢もあったが、今ここで疑念を露わにすれば関係が壊れる。
それにアリアたちは完全に信頼しきっている様子、ならば自分の目で確かめるしかない。
◆◆◆
淡い光が広がり、転移が発動する。
視界が揺らぐが、その感覚は驚くほど穏やかだった。
通常の転移魔法であれば、多少なりとも魔力の乱れや空間の歪みを感じるものだ。
(……安定しすぎている)
無理な魔力の流れも、歪みもない。
まるで呼吸をするように自然な転移だった。
転移が完了した瞬間、フレイアは小さく息を呑んだ。
そこは、静かな庭だった
整えられた草木
柔らかな灯りに照らされた屋敷
月明かりに照らされた石畳が淡く光を反射している
豪奢ではない。
だが、ひどく落ち着く佇まい。
まるで長い年月をかけて丁寧に育まれてきた場所のような
穏やかな空気が漂っていた。
――そして
(……神気?)
エルフとしての感覚が、はっきりとそれを捉える。
威圧はない
神威を誇示する気配もない
ただ、そこに在ることが自然な静かな神気
(……生活の中に、溶け込んでいる)
神気とは本来、畏怖すべきものだ。
だが、ここにあるそれは、まるで家の温もりのように優しく穏やかだった。
屋敷に足を踏み入れた瞬間、胸の奥が不思議なほど静まった。
アリアたちは完全に自然体だ。
リーナもいつも通りに微笑んでいる。
フィアは早速リビングへと駆けていき、
ミレイアは安心しきった様子で靴を脱いでいる。
(……皆、慣れている)
それが何よりも異常だった。
普通であればこれほどの神気を感じれば、少なからず緊張するはずだ。
だが彼女たちにはそれがない。
「急な来客なので……」
静が少し申し訳なさそうに言う。
「客間はこれから用意します。それまでは、リビングで皆さんとゆっくりしていてください」
「お気遣い、ありがとうございます」
フレイアはそう答えた。
その直後だった。
静が小さく「ステータス」と呟き、屋敷の一角へと意識を向ける。
空気がわずかに震え、強大な魔力の波動を感じる。
(……!?)
次の瞬間、屋敷の構造が『自然に増えて』いく。
壁が延び、空間が繋がり、新たな部屋が違和感なく生まれる。
まるで最初からそこにあったかのように、建物が成長していく。
(……なっ……何が起きたの!?)
しかも、魔力の流れは驚くほど滑らかで、無理がない。
建築魔法でさえ、これほどの規模を一瞬で完成させることは不可能だ。
(……こんな、膨大な魔力……)
フレイアは、内心で言葉を失っていた。
外面は平静を保ったまま。
胸の内では常識が音もなく崩れていく。
「セリナ、夕食の準備、手伝うよ」
静が何事もなかったように言う。
「ありがとうございます。では、こちらをお願いできますか?」
二人は自然にキッチンへ向かい、夕食の準備を始めた。
その背中をフレイアは静かに見つめる。
(……この人は)
支配しようとしていない
隠そうともしていない
ただ、ここで『暮らしている』
本来切り出すはずだった話――護衛依頼の解除
その言葉を今夜、どう口にすればいいのか
フレイアにはもう分からなくなっていた
ただ一つ確かなのは
――この屋敷と、この人物は
絶対に軽々しく扱っていい存在ではない。
その認識だけが静かに、しかし確実に根を下ろし始めていた。
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