第十一話 名前を呼ぶということ
生まれたばかりの小さな家族
淡い夕日のような毛色をした、愛らしい存在
翼はまだ頼りなく、歩き方もおぼつかない
何の生きものなのか、誰にも分からない
けれど――それを気にする者は、誰もいなかった。
籠の中から外に出され、柔らかな敷物の上で丸くなっているその子を
皆が代わる代わる、そっと覗き込む。
大きな瞳がきょろきょろと動き、時折小さく鳴く姿は
見ているだけで心が和んだ。
ツキは言うまでもなく、すぐそばにいた。
まるで本当の姉のように、献身的に世話をしている。
生まれてから二日が過ぎた頃。
静が様子を見ていると、ツキがふいに振り返り、静を見上げる。
「にゃ。……にゃぁ」
短く、意味ありげな鳴き方。
「……?」
静は一瞬首を傾げてから、ふと何かに気づいたように目を瞬かせた。
「ツキ……もしかして」
少し考え言葉を選ぶ
「その子に、名前を付けてあげようって言ってるのかな?」
「にゃぁ」
即答だった。
まるで――やっと気づいた?
と言わんばかりに
「そっか……」
静は小さく笑い、周囲を見渡した。
「じゃあ、みんなで考えようか。この子の名前」
その一言で、空気が少しだけ弾む。
「名前かぁ」
フィアが腕を組み、楽しそうに考え始める。
「うーん……ふわふわしてるし、"モコ"とか?」
「それは少し……安直すぎるわね」
アリアが苦笑する。
「色合いから取るなら、"ルミ"とかどうでしょう?」
セリナが控えめに提案する。
「夕焼け色だし、"サンセット"……は長いか」
リーアも首を傾げる。
ミレイアは書物をめくりながら
「古語由来で――」
「ストップ、ミレイア」
フィアが即座に止めた。
「絶対に難しくなるから!」
いくつも名前が挙がるが、どれも悪くはないのに、どこかしっくりこない。
皆が少しずつ考え込む空気が広がっていく。
その空気の中で――静が、ぽつりと呟いた。
「あかね……」
一瞬、皆が静を見る。
「淡い夕日のみたいな、きれいな色をしてるから。……どうかな?」
ツキが、静の足元で跳ねるように鳴いた。
「にゃぁ!」
それはもう、はっきりと
――それがいい
――それにしよう
そう言っているようだった。
「……いい名前ですね」
セリナが微笑む。
「呼びやすいし、あたたかい」
「うん、なんか……この子に合ってる」
フィアも頷く。
アリアは少し考えてから、静かに言った。
「自然ね。……無理がない」
静は少し照れたように笑いながら、小さなその子の前にしゃがみ込む。
「……あかね」
理解しているかどうかは、分からない。
けれど――
「きゅぅ……きゅぅ」
小さく、かすれたような声が返ってきた。
まるで、呼ばれたことが嬉しいとでも言うように。
ツキが、誇らしげに胸を張った。
それからの屋敷は、少しだけ賑やかになった。
静は「生まれたばかりだからね」と言いながら
果物をすり潰し、柔らかく煮た離乳食のようなものを作る。
「熱くないよ。……うん、大丈夫」
小さな匙で少しずつ。
あかねは最初こそ戸惑っていたが
やがて、きゅぅ、と鳴いて口を開けるようになった。
その様子を見て、静は安堵したように微笑む。
セリナは毎日の祈りの中で、小さな命への祝福を欠かさなかった。
(健やかに、穏やかに……)
礼拝堂で静かに祈りを捧げる姿は、いつも以上に優しく、温かみがあった。
ツキは言うまでもなく、完全に『お姉ちゃん』だった。
寝る場所を整え、近づきすぎると前足で止め
それでいて、離れすぎるとすぐ戻ってくる。
その過保護ぶりは、見ていて微笑ましかった。
「……過保護ね」
アリアがそう言いながらも、表情は柔らかい。
《ルミナ・ヴェール》の面々も、探索のついでにあかねが食べられそうなキノコや果実を採取してくる。
「これは……たぶん大丈夫」
「念のため、少量からね」
リーアやミレイヤは、魔力の流れや体調を確認し
検診のようなことを繰り返していた。
「今のところ、異常はありません」
「魔力も……とても安定しています」
書庫では、種族に関する書物が次々と開かれる。
「……該当しないわね」
「この特徴、どこにも載ってない」
「でも、危険種ではなさそうだ」
結論は、いつも同じだった。
――分からない。
けれど、それで困る者はいなかった。
名前があって、居場所があって、見守る人がいる。
それだけで、十分だった。
あかねは、ツキの隣で丸くなり、小さく息を立てて眠っている。
ツキは、その背にそっと身体を寄せる。
「にゃ」
まるで
――大丈夫
――ここは家だよ
そう言っているかのように
屋敷の中で新しい名前が、静かに根を張り始めていた。
静は窓の外を見る。
夕暮れの光が柔らかく差し込み、あかねの毛色と同じ色に染まっていた。
「……良い名前だね」
静が呟くと、セリナが微笑む。
「はい。きっと、あかねも気に入ってくれていると思います」
こうして、屋敷の新しい家族は"あかね"という名前を得た。
まだ小さく、頼りない存在
でも、確かにここにいて皆が見守っている
それだけで十分だった。
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