第七話 触れられないものの、向こう側
ツキが案内した細い道は、思っていたよりも短かった。
草と石に覆われた通路を数歩進んだだけで、空気の質がわずかに変わる。
冷たくなるわけでも、重くなるわけでもない。ただ、音が少しだけ遠くなる。
「……ここ」
フィアが小さく声を落とした。
行き止まりのように見える場所だった。崩れた石壁の奥に、小さな空間がある。
部屋と呼ぶには簡素で、ただ石を積み上げた名残が
辛うじて四角を保っているだけだ。
天井の一部は崩れ落ち、壁も所々欠けている。
それでもこの場所だけは、何かに守られているかのように
形を留めていた。
けれど――
「……あったかい?」
セリナが思わずそう呟いた。
静も同じことを感じていた。火に近づいたときの熱ではない。
冬の日だまりのような、やわらかな温度
肌に触れるわけではないのに
心の奥が温かくなるような、不思議な感覚だった。
「魔力の流れは……安定しているわね」
ミレイアが、そっと目を閉じる。
「歪みも、濁りもない。むしろ……落ち着いている感じがするわ」
「遺跡の奥なのに?」
フィアが首を傾げる。
遺跡の奥には魔力の澱や呪いが溜まっていることが多い。
ここにはそうした気配が一切ない。
アリアは慎重に周囲を見渡した。
「罠の気配もない。結界……のようなものは感じるけれど、拒絶の性質じゃないわ」
その言葉に、静は小さく頷いた。
確かにそこには"何か"がある。それは全員が感じている。
けれど――
「……見えないね」
リーアの言葉が静かな空間に落ちた。
目の前の小部屋には何もない。
床も、壁も、天井も
崩れかけてはいるが、特別な物は何一つ見当たらない
なのに暖かい。そして確かに『在る』
ツキが小部屋の入り口で立ち止まっていた。
「にゃ……」
鳴き声は低く短い
いつもの案内役の調子ではない。
何かを確かめるような慎重な響きがあった。
「ツキ?」
静が呼ぶと、ツキは一度だけ振り返り、ゆっくりと尻尾を揺らした。
――ここ
そう言っているようだった。
フィアが試しに一歩踏み出す。
「……えい」
手を伸ばし、小部屋の中央あたりに触れようとする。
しかし、その指先は何の感触も得られないまま
空を切った。
「……あれ?」
もう一度。今度は壁に触れるつもりで
それでも何もない。
「通り抜ける……?」
リーアも同じように手を伸ばす。
ミレイアは結界札をそっと前に差し出す。
セリナも、祈るように手を重ねる。
けれど誰も、何にも触れられなかった。
「拒まれている感じじゃない」
ミレイアが言う。
「触れようとしても、弾かれもしない。ただ……そこに『触れられない』」
アリアは静に視線を向けた。
「……静、あなたはどう感じる?」
静は少し考えてから答えた。
「……ある、って感じる。
でも、近づいちゃいけないって感じはしない」
言葉にすると曖昧だが、感覚としてははっきりしている。
危険を感じるわけではない。
何かに呼ばれているような、そんな感覚だった。
静は一歩、前に出る。
「静?」
アリアが制止しかけるが、静は首を振る。
「大丈夫……たぶん」
何かを確信したわけではない、歩きたいと思っただけだった。
そのまま小部屋の中へ――
踏み出す
抵抗はなかった。膜を抜けるような感触もない。
いつもの一歩と同じように
静はそこに立っていた。
「……え?」
背後でフィアの声が上ずる。
「静、入れた?」
静は振り返り、少し驚いた顔で頷く
「うん……普通に入れたみたい」
ツキが、静の足元へと近づいた。
「にゃぁ」
その鳴き声は、どこか安堵しているように聞こえた。
小部屋の中は想像よりも狭い。
崩れた石が壁際に積もり、床には薄く埃が残っている。
けれど中央だけは違っていた。
何も見えないはずなのに、そこだけは温度と気配が集まっている。
「……これ」
静はゆっくりと膝をついた。
手を伸ばす
今度は――確かな"感触"があった。
やわらかく、丸い
掌に収まりきらない大きさ
ほんのりと暖かい
「……卵?」
思わず零れた言葉に、誰もすぐには答えなかった。
静の手の中でそれは静かに存在している。脈打つことも、光ることもない。
ただ――安心するような温度だけがそこにあった。
小部屋の外で皆が息を呑んで見つめている。
「……見える?」
フィアが恐る恐る聞いた。
静はゆっくりと頷いた。
「うん。……見えるし、触れる」
「私たちには?」
「……見えない、と思う」
誰もそれ以上踏み込まなかった。
この場所が静にだけ開いている理由を
誰も言葉にしなかった。
ツキが静の隣に座り込む
「にゃ」
それはまるで
見つけてくれて、ありがとう。
そう言っているかのように。
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