第四話 焼き菓子と届いた気配
屋敷側
朝の屋敷には、甘く香ばしい匂いが満ちていた。
昨日収穫したばかりの木の実を使い、静とセリナは並んで調理台に立っている。
窓から差し込む柔らかな朝日が、二人の手元を優しく照らしていた。
調理台の上には、様々な種類の木の実が小分けにされて並べられており
それぞれが微妙に異なる色合いや大きさを見せている。
「この木の実は、軽く炒ると香りが立つんです」
セリナが丁寧に説明しながら、フライパンを軽く揺らす。
火加減を見ながら、木の実が焦げないよう慎重に炒っていく。
やがて、ふわりと香ばしい香りが立ち上ってきた。
「……本当だ。アーモンドとか、クルミに近い感じだね」
静は感心したように鼻を鳴らす。
この世界に来てから、食材の違いに驚くことは多かったが
こうして馴染みのある香りに出会うと、少しだけ懐かしい気持ちになる。
「こちらは、少し苦みがありますけど……
加熱すると、以前頂いたチョコレートのような風味になりますよ」
セリナは別の木の実を手に取り、静に見せる。
表面は少し黒っぽく、確かに生のままだと若干の苦みが感じられそうだ。
「ああ、あれか。確かに近いね」
静は思い出す。以前、再購入で準備したお菓子の中にチョコレートがあり
セリナが似たような物があると言っていた。
もしかしてこの木の実から作られていたのかもしれない。
砕いた木の実を砂糖で絡め、乾燥させた果物と一緒に生地へ混ぜ込む。
焼き菓子にしたり、パン生地に練り込んだり
主食にも、おやつにもなる品が次々と出来上がっていった。
作業をしながら、二人は自然と会話を交わし、時折笑い声が響く。
静にとって、こうした穏やかな時間は、何にも代えがたい日常だった。
その足元では、ツキがぴたりと座っている。
視線は焼き上がり待ちの天板にしっかりと固定されており、微動だにしない。
まるで見張り番のように、じっと待機している姿は
どこか真剣そのものだ。
「……味見役は、任せてって顔だな」
静は苦笑しながらツキを見下ろす。
「にゃぁ」
即答だった。尻尾を一度だけ揺らし、自信満々といった様子だ。
静はつい、小さく割った欠片を差し出してしまう。
ツキは嬉しそうにそれを受け取り、器用に前足で押さえながら少しずつ齧り始めた。
「にゃ、にゃぁ♪」
満足そうな鳴き声が響く。
「静様、あんまりあげすぎるのは良くないですよ?」
セリナが少し困ったように声をかけるが、その表情は微笑んでいる。
注意はしているものの、本気で咎めているわけではないことが
声のトーンから伝わってくる。
――そして、静が別の作業に気を取られている間
セリナはそっと周囲を確認し、静が見ていないのを確かめてから
小さな欠片をツキの前に差し出した。
「……内緒ですよ?」
ささやくような声で言う。
「にゃ」
ツキは、誇らしげにそれを受け取った。
まるで「任せておいて」とでも言いたげな、堂々とした態度だ。
二人と一匹の間に、小さな"秘密"がひとつ増えた。
◆◆◆
焼き菓子が一通り出来上がった頃、静がふと思い出したように口を開く。
「そういえば、セリナ
こっちの世界って神様にお供えとかするのかな?」
セリナは少し考えながら答える。
「特別な日や儀式では奉納しますけど……
日常的にはあまりしませんね」
「そっか、向こうでは毎日お供えしてたからさ」
静は礼拝堂の方を見る。
屋敷の一角に設けられた礼拝堂は、小さいながらも丁寧に整えられており
静かで神聖な空気が漂っている。
「屋敷に作った礼拝堂でも、やってみないかなって思って」
セリナは一瞬考え、それから少し嬉しそうに頷いた。
「それは、いいですね。
せっかく礼拝堂もありますし……
ここは毎日が少し特別な気もします」
セリナの声には、温かみがあった。
静と過ごすこの屋敷での日々が、彼女にとっても大切な時間になっているのだと
その言葉からは伝わってくる。
「じゃあ、さっき作った焼き菓子なんかどうかな?
結構いい出来だと思うし」
「はい。きっと……
女神さまも喜んでくださると思います」
セリナの声は、柔らかかった。
◆◆◆
静達は礼拝堂へ向かい、祭壇の前に籠を置いた。
焼き菓子がきれいに詰められている。
湯気はもう立っていないが、まだほんのりと温かさが残っており
甘く香ばしい香りが礼拝堂の中に広がっていく。
静かに祈りを捧げていると――
ツキの耳が、ぴくりと動いた。
「にゃぁ……」
何かに気づいたような、低い声。
普段とは少し違う、警戒するような響きがある。
静とセリナが目を向けた、その瞬間
祭壇の籠が、消えていた。
「あれ……?」
静が首を傾げる。
つい先ほどまで確かにそこにあったはずの籠が、跡形もなく消えている。
「籠、なくなってる?」
「……本当ですね」
セリナは周囲を見回し
少し考えてから、穏やかに言った。
「ここは特別な場所ですし……
もしかすると、ルーナフィリス様へ届けられたのかもしれませんね」
「そっか……」
静は少し照れたように笑う。
「それなら喜んでくれてるといいな」
(……異世界だし、神様も実在してるし、そういうことも
ある……のか?)
静の中で、少しずつこの世界の常識が形作られていく。
元の世界では考えられなかったことが、ここでは当たり前のように起こる。
それを受け入れることも、また新しい生活の一部なのだと
静は思った。
ツキは二人を見上げて
「にゃ、にゃ、にゃ」
――うんうん、と頷いているようだった。
まるで「そういうこともあるよ」と、諭しているかのような仕草だ。
◆◆◆
フォルス側
場面は変わり、辺境の街フォルスの北門に一台の馬車が到着する。
高速魔道馬車
――王都から三日で到着した、ギルド所有の特別な車両だ。
中から《ルミナ・ヴェール》の四人が降り立った。
長旅の疲れはあるものの、それぞれが引き締まった表情を見せている。
「本当に三日で着くなんて……」
アリアが、感心したように呟く。
通常なら五、六日かかる道のりを、これほど短時間で移動できるとは
やはり魔道技術の進歩は目覚ましいものがある。
「早かったねー! おかげで、また静たちのところ行けるね♪」
フィアが嬉しそうに声を弾ませる。
「フィア……」
リーアが半眼で見る。
「あなた、それ……
静やセリナの作るご飯が目当てでしょ?」
「そ、そんなことないよ〜! ね、ミレイア?」
フィアは慌てて否定するが、その表情はどこか図星を突かれたような
気まずさを滲ませている。
「はいはい。そういうことにしておいてあげるわ」
ミレイアは笑った。
フィアの様子を見て、完全にお見通しといった様子だ。
「それくらいにしておいて、まずはギルドに連絡よ」
アリアが歩き出す
冒険者ギルド・フォルス支部へと向かう途中で
四人は街の空気の変化に気づいた。
以前ここを発った時の、あのざわつきがない。
不安や疑念が渦巻いていた空気が、今はずっと穏やかになっている。
全く消えたわけではないが、空気が、明らかに軽い。
人々の表情にも、少しだけ余裕が戻ってきているように見える。
「……雰囲気、違うわね」
ミレイアが呟く。
「数日でここまで落ち着かせるなんて……
司祭様が優秀なのかも」
アリアは頷く。
「セリナも、信頼していたみたいだったわ」
「良くなってるなら、安心だね♪」
フィアは相変わらず明るい。
「……油断は禁物よ」
リーアが釘を刺す。
「一時的なものかもしれないし」
冒険者ギルドへ到着し、受付嬢に到着を告げ、王都本部への伝言を依頼し
ギルド提携のオススメの宿を確認する。
「今日は宿を取って、物資を補給してから、明日の朝向かいましょう」
アリアの言葉に皆が頷いた。
ギルドを出た後、四人は街へ出て、物資の補給を始めた。
保存食、回復薬、予備の武器や防具。
長期滞在を想定して、必要なものを一つ一つ確認していく。
「回復薬は、多めに持っていきましょう」
ミレイアが薬屋で瓶を手に取りながら言う。
「ええ。念のためにね」
アリアも同意する。
市場では、フィアが食材を物色していた。
「ねえねえ、これ美味しそうじゃない?」
「フィア、私たちが買うんじゃなくて、静に渡す用でしょ?」
リーアが指摘すると、フィアは少し恥ずかしそうに笑った。
「そうだけど……でも、喜んでくれそうじゃない?」
「まあ、それはそうだけど」
四人は、静やセリナが喜びそうな食材や香辛料を選びながら
少しずつ荷物を増やしていく。
◆◆◆
宿に着いた四人は、装備の最終確認を始めた。
「今回の任務は……慎重にいかないとね」
アリアが地図を広げながら言う。
「ええ。教会、王国、ギルド……三者の意向を背負っているわけだから」
ミレイアも頷く。
「でも、私たちがやることは変わらないよね」
フィアが明るく言う。
「静たちを守る。それだけ」
リーアも同意する。
「そうね、今回は……少し複雑だけど」
アリアが真剣な表情で続ける。
「静がどれだけ特別な存在なのか、私たちはまだ完全には理解していない」
「でも、だからこそ……私たちが側にいる必要があるんじゃない?」
ミレイアが静かに言う。
「静は力を持ちながらも、それを振りかざさない。
普通の日常を大切にしている。その在り方を、守りたいの」
その言葉に、皆が頷いた。
◆◆◆
夕暮れ時
四人は宿の部屋で、明日の出発に向けて最後の準備を整えていた。
「明日の朝、早めに出発しましょう」
アリアが言う
「ええ。静が気づいたら、きっと迎えに来てくれるわ」
ミレイアも頷く
「楽しみだね~。また、あの美味しいご飯が食べられる!」
フィアが嬉しそうに言うと、リーアが呆れたように笑った。
「本当に、食べ物のことしか考えてないわね」
「そ、そんなことないって!」
そんなやり取りを見て、アリアは小さく微笑んだ。
任務は重い、それでも守りたい日常がある。
静やセリナと過ごす、穏やかで温かい時間
それを守るために四人は再び歩き出す。
窓の外には茜色の空が広がっていた。
明日、また新しい一歩が始まる。
◆◆◆
その夜
屋敷では、静とセリナが夕食を終え、ゆっくりとお茶を飲んでいた。
「明日も、穏やかな一日になるといいですね」
セリナが微笑む
「うん。そうだね」
静も頷く
ツキは、二人の足元で丸くなり
その耳は時折遠くを向いている。
まるで、誰かが近づいてくるのを感じ取っているかのように……
静かな夜が、屋敷を包み込んでいた。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。
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