第八話 ほどける距離、温かな匂い
「ツキ、さっきはびっくりしたね……」
静はキッチンに立ちながら、小さく独り言をこぼした。
足元ではツキが尻尾をゆらりと揺らしながら見上げている。
金色とも紫ともつかない瞳が、静を見つめている。
「みんながうまく話してくれればいいけど……もし、あの子がここに住むことになったら……どうしようか?」
ツキは意味を完全に理解しているわけではない。
けれど静の声色から何かを感じ取ったのか、楽しそうに鳴いた。
「にゃ、にゃ、にゃ~」
「……悪い子じゃなさそうなんだよな。 雰囲気っていうか……佇まいっていうか、なんだろう、ちょっと惹かれる感じがしてさ」
ツキはその言葉に応えるように、さらに機嫌よく鳴いた。
尻尾を大きく揺らし、静の足に体を擦りつける。
「よし、考えても仕方ないし……とりあえず夕飯にしようか」
人数は多い
五人分の食事、一人暮らしでは作ったことのない量だ。
静はステータスを開き、《再購入》の一覧を眺める。
「……こういう時は、定番かな」
選んだのは香りで人を幸せにする料理――
カレーだった。
日本にいた頃に何度も作った料理。
失敗が少なく誰にでも喜ばれる。
食材を揃え、手際よく調理を進める。
魔力炊飯器で白米を炊き、念のためパンも用意する。
異世界の人がご飯を食べられるかわからないので、選択肢は多い方がいい。
静の気遣いは無意識のうちに滲み出ていた。
◆◆◆
その頃、リビングでは皆が思い思いにくつろいでいた。
突然、フィアが鼻をぴくりと動かす。
「……ん?すごく……美味しそうな匂いがするよ!」
「本当?」
アリアは半信半疑だったが、フィアの様子を見て苦笑した。
「フィアが言うなら、間違いないわね」
やがて、静が声をかけに来た。
「お待たせしました。食事の準備ができましたよ」
皆でダイニングキッチンへ向かう
そこに並んでいたのは、今まで見たこともない料理だった。
茶色いとろみのあるソースが、白い米の上にかかっている。
「【カレー】って名前の料理です。簡単で申し訳ないんですが……」
静は少し照れたように言う。
「たくさん作ったので、良ければお代わりもどうぞ。ご飯とパンもあります。お好きな方で」
「……これが、カレー?」
湯気と共に立ち上る香りに、全員の視線が釘付けになる。
スパイスの複雑な香り。甘く、辛く、そして食欲をそそる匂い。
最初に手を伸ばしたのはフィアだった。
「いっただきまーす!」
ひと口
「……おいしー!!ちょっと辛いけど……最高!!」
それにつられて、皆も食べ始める。
「本当に……」
アリアは驚いたように目を細めた。
「色々旅をしてきたけど……こんな美味しい料理、初めてね」
「複雑で……癖になる味だわ」
リーナも感心した様子で頷く。
「森の恵み……香辛料がふんだんに使われているのね」
ミレイアは静かに味を確かめていた。
セリナは何も言わずに食べていた。
その表情はとても分かりやすい。
――幸せそうだった
(……どうして、こんなに短時間で……私、料理は得意だと思っていたけど……)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
(もし……ここに居させてもらえるなら、この料理、教えてもらえないかな……)
炊き出しをしていた街の人たちの顔が、自然と脳裏に浮かんだ。
この料理をあの人たちにも食べさせてあげたい。
◆◆◆
食後、ソファに沈みフィアは完全に動けなくなっていた。
「……食べたいのに……もう無理……」
「自業自得ね」
リーナは呆れつつも、楽しそうに笑う
「それにしても……不思議な場所ね」
アリアがリビングを見回す。
「さっきの食事もそうだけど……ここには見たことのないものばかりね。貴族の屋敷とも、魔術師の工房とも違う……」
「魔力で動いているようで……でも、魔道具とも違う。見たことのないものばかりね…正直、すごいわ」
リーナは興奮を隠しきれない様子
「本当、居心地も良いし、長居したくなるわね」
ミレイアも頷いた。
しばらくして、アリアが真剣な表情になる。
「……セリナのことだけど」
皆が顔を向けると――
「もし、セリナがここに残ることになったら……皆が良ければ、私たちもしばらく滞在させてもらわない?」
「賛成!!」
フィアが即答する。
「私も」
リーナが頷く。
「セリナのことも心配だし……正直、ここの設備も気になるわ」
「ええ」
ミレイアも同意した。
「静さんは良い方だけど……やっぱり心配よ」
「依頼は?」
ミレイアが確認する。
アリアは少し考えてから言った。
「空白地帯の調査……多分、ここが目的地ね。迷惑がかからない範囲で報告して、周辺を調べればいい」
皆が静かに頷く。
◆◆◆
一方、キッチンでは――
「……え?」
セリナが蛇口に手を伸ばし目を丸くした。
「お湯……出るんですか?」
「はい」
静は少し照れたように笑った。
「この屋敷、設備が色々揃ってて……便利なんですよ」
冷蔵庫や調理器具を見て、セリナは何度も驚く。
「……すごい……」
静はその様子を少し嬉しそうに見ていた。
初めて誰かにこの屋敷の便利さを共有できる。
それが嬉しい。
◆◆◆
その夜
屋敷の灯りは、いつもより多く灯されていた。
まだ答えは出ていない。
けれど――それぞれの心の距離は、確かにほどけ始めていた。
世界は――また少しだけ、動き始めている。
静かに、だが確実に
この出会いが、どんな未来を紡ぐのか。
まだ誰も知らない。
確かなことが一つある。
この場所は――
もう、一人だけの場所ではない。




