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観測者に見守られる屋敷で生きることにした ~静は世界を支配しない~  作者: 灯乃しんわ
第十三章 夏の気配と広がる世界

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第五話 商人リシェルと新たな種

朝の台所には、清涼感のある香草の匂いが広がっていた。

静は細く切った『枯らし草』を木皿へ盛り付けながら、小鍋の中を覗き込む。

淡い赤色をした果実の汁が、冷えた出汁の中へ静かに溶け込んでいた。


「……うん、前より少しまとまったかな。セリナ、どう思う?」

「はい、静様。……わぁ、冷やしたお水のおかげで、麺がとても引き締まっていますね」


セリナが細い麺を冷水にくぐらせると、指先に心地よい冷たさが伝わる。

静はさらに香草を細かく刻んでいく。

トントンという規則正しい音が響くたび、青い香りが台所の湯気に混ざっていった。


「ぷぷぅー!」


足元ではマルが待ちきれない様子で待機していた。

丸い身体を小刻みに揺らし、期待に満ちた目で鍋を見上げている。


「マル、まだだよ。まずはお供えが先だからね」

「ぷぅ……」


少しだけしょんぼりした声を出すマルの横で、ツキが落ち着いた様子で座り、「にゃ」と短く鳴いた。

まるで『ちゃんと待ちなさい』と言い聞かせているお姉ちゃんのようだ。


あかねは待ちきれないのか、ルゥの周りをくるくると回っている。


「きゅー!」

「こら、あかね。走ると危ないよ」


静が苦笑していると、装備を整えたアリアたちが顔を出した。


「静、そろそろ行くわね。今日は昨日リーナが言っていた通り、『結晶の谷』の奥まで魔力分布の記録を取ってくるわ」

「夕方には戻ると思うけど……あ、いい匂い。ずるいわね」


ミレイアが笑うと、フィアが台所を覗き込みながら未練がましく呟いた。


「帰ったら絶対食べさせてね! おかわり必須だから!」

「分かってるよ。……じゃあ、転移するね。気をつけて」

「お願いできる?」


とアリアが頷くのを確認してから、静が転移に意識を向ける。

足元に淡い光が広がり、四人の姿が静かに消えた。

屋敷には再び、穏やかな静けさが戻る。


◆◆◆


昼前

完成した『夏の冷やし麺』が、小さな木盆の上に並べられていた。

透き通った冷たい汁、細麺の上に散らされた鮮やかな香草と赤い果実。


「綺麗ですね、静様。……では、先にお供えしてまいりますね」

「うん、お願い。こっちはその間、みんなを連れて畑を見てくるよ」


セリナは木盆を大切そうに抱え、礼拝堂へと向かった。

静かな光が満ちる礼拝堂で、彼女は祭壇の前へ麺を供え、静かに手を合わせる。


(……ありがとうございます。今日もこうして、新しい実りを分かち合える平穏に感謝いたします)


最近、セリナは気づいていた。

誰かを救わなければと焦るのではなく、今ある穏やかさを慈しむ時間こそが、自分を一番強くしてくれるのだと。


一方、静は畑の間を歩いていた。

マルのおかげか、夏野菜の葉は驚くほど青々と茂っている。


「にゃ」

ツキが畝の端を凛とした足取りで歩き、背後ではあかねとルゥが「きゅ!」「くぅ!」と鳴きながら追いかけっこをしている。

ハルが上空を滑るように飛び、畑に涼しい風を送ると、マルは土の上をころころと転がりながら「ぷぷぅー」と満足げに鳴いた。

風が畑を抜け、葉が静かに揺れていた。


◆◆◆


その頃

フォルツ領主館の執務室では、書類をめくる音が静かに響いていた。

フォルティナは、机の向こう側に座る女性――御用商人のリシェルへ視線を向けた。


「ご苦労様です、リシェル。今回の納品も助かりました」

「いえ、フォルティナ様。こちらこそ、いつも良いお取引をありがとうございます」


リシェルは淡々と帳簿を閉じ、穏やかに微笑んだ。

彼女は深入りせず、情報を歪めない『ノイズの少ない媒介』として、フォルティナが最も信頼を置く商人の一人だ。


「ご注文の品は以上ですが……。実は、他国を回っている際に手に入れた、少し特殊な『種』と『苗』がありまして」


リシェルが小さな木箱を差し出す。

中には青みを帯びた不思議な質感の種が入っていた。


「育て方が特殊らしく、扱いに困っている品です。ですが……なぜか、フォルツの今の空気には合うような気がしまして」


フォルティナは種を見つめた。


(……静さんなら、きっと)


それだけで十分だった。


「……お預かりしますわ、リシェル。何か分かればお伝えします」

「ええ。……それと、もう一点。ただの情報共有ですが」


リシェルが少しだけ声を落とした。


「最近、近隣諸国や商人のネットワークで、妙な噂を耳にします。『フォルツへ行くと身体が楽になる』とか『自由な聖女がいる』とか……。噂にしては、妙に具体的な形を持ち始めていますね」


フォルティナの指先が、わずかに止まった。


「……そうですか。覚えておきますわ」

「確証はありませんが、広がり始めています。必要であれば、もう少し拾ってまいりましょう」


リシェルはそれ以上踏み込むことなく、丁寧に一礼して部屋を後にした。


◆◆◆


執務室に一人残ったフォルティナは、すぐに連絡板を手に取った。

指先で淡くなぞった線が文字になっていく。


【フォルティナ:フレイ。商人のリシェルから、王都や他国で『自由な聖女』の噂が広がっていると聞きました。心当たりはありますか?】


数拍置いて、板が淡く呼吸するように光を返した。


【フレイア:こちらでも動きがあるわ。王都でも、不自然なほど『静かな場所』を求めてこの地を目指そうとする者が増えている。今はまだ刺激しない方がいいでしょう】


フォルティナは窓の外、夕暮れに染まるフォルツの街を眺めた。

あの屋敷の平穏を壊す波は、すぐそこまで来ているのかもしれない。


「……これを届ける口実にしましょうか」


机の上の種を見つめ、彼女は呟いた。

彼らが少しでも穏やかなままでいられるように、自分なりの決意と共に。


指先が机の上の種にそっと触れる。

早く届けに行きたい、と思う自分に気づいて、フォルティナは小さく息を吐いた。


街を抜ける風は、以前よりもどこか柔らかく、

けれど微かな変化の予感を含んでいた。

イメージソングを作成してみました。

もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。

物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。

https://suno.com/@10monoshin8


カクコムでも先行掲載しています。

もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。

https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578

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