第三話 フォルツへのお出かけ
前日の夜
ソファーに座っていた静は、膝の上で丸くなるツキの背を撫でながら、連絡板へゆっくりと指を滑らせていた。庭からは、夏を先取りしたような虫の声が微かに響いている。
【静:明日、フォルツへ行こうと思います。先日お話ししていた『小道具』も出来上がったので、持っていきますね】
魔力を込めながらなぞった線が、淡く定着して文字になる。
数拍置いて、板が淡く呼吸するように光を返した。
【フォルティナ:ありがとうございます。ちょうど執務の区切りがついたところです。いつもの《上弦の宿》でお待ちしていますね】
【静:昼前くらいに着くと思います。無理はしないでくださいね】
【フォルティナ:ふふ、承知しました。楽しみにしております】
静は最後に軽く板を押さえて確定させると、ふぅと息をついて連絡板を閉じた。
「にゃ」
「うん。明日はみんなで出かけるよ。ツキもお留守番じゃないからね」
ツキは満足そうに喉を鳴らし、静の手に頭を擦りつけた。
足元では話を聞いていたのかいないのか、あかねが「きゅ」と短く鳴いて丸くなり直した。
◆◆◆
翌日
《上弦の宿》の陽光が差し込む一室に、淡い転移光が静かに広がった。
光が収まったあとには、静たちの姿がある。
「きゅ?」
あかねが室内をきょろきょろと見回し、ルゥが静の足元にちょこんと寄り添う。
ハルはさっそく窓の方へ飛んで外の風を確かめ、マルは「ぷぅ」と鳴いて床の感触を確かめるように前足を踏み鳴らした。
ツキだけが落ち着いた様子で静の肩に飛び乗り、室内を一望した。
「にゃ」
「相変わらず便利よねぇ。歩いてきたら一日仕事だって言うのに」
アリアが軽く肩を回しながら、窓の外の街並みに目を向けた。
室内にはすでにフォルティナと、王都から戻っていたフレイアが待っていた。
「ようこそ、皆様。今日も穏やかなお顔が見られて安心いたしました」
フォルティナが凛とした、けれど親愛の情が滲む笑みで立ち上がる。
フレイアも隣で柔らかな会釈を返した。
「今日はありがとうございます。例の『小道具』、楽しみにしていました。」
「そんな大した代物じゃないんだけど……。リーナが頑張ってくれたんだ」
静はそう言いながら、さっとアイテムボックスから二つの木箱を取り出し机の上へ置いた。
ひとつは淡青の潤晶が埋め込まれた、ひんやりとした手触りの小箱。
もうひとつは炎晶を核にした小型の金属容器だ。
「これが……例の結晶を使った魔道具ですか?」
フォルティナが興味深く、けれど慎重な手つきで指を伸ばす。
静は自然な手つきで蓋を開けて見せた。
「こっちは『小型冷却箱』。中に飲み物とか、軽食を入れておくと長持ちすると思う。こっちの『簡易湯沸かし器』は、火を使わずにお茶が淹れられるよ」
静が軽く魔力を通すと、木箱からは涼やかな冷気が、金属容器からは穏やかな熱が立ち上った。
フォルティナとフレイアはしばらく絶句していた。
魔術の知識があるフレイアには、それがどれほど異常な技術の結晶であるかが分かってしまう。
(……高純度の属性結晶を、回路にそのまま組み込んでいる?
これだけの出力を……このサイズで安定させるなんて……)
「……静さん、あなたって本当に」
フレイアが苦笑交じりに首を振った。
「ありがとう。大切に使わせてもらうわ」
「これを本当に私たちが頂いてもよろしいのですか? これほどの価値のものを……」
「価値って言っても、谷に落ちていたものだしね。フォルティナさんたちの仕事が少しでも楽になれば、それが一番の使い道かなって」
その曇りのない答えに、フォルティナは降参したように苦笑した。
「静さんらしいですね。……大切に、本当に大切に使わせていただきます」
「そんなに気負わなくていいんだけどな」
静が不思議そうに首を傾げる横で、リーナは紅茶を啜りながら内心で呟く。
(国家級資源の結晶を使った特注魔道具を『お裾分け』の感覚で配る人なんて、世界中探してもこの人くらいだわ……)
その足元では、マルがリーナの椅子の傍らにぽてっと座り、じっと木箱を見上げていた。
「ぷぅ」
「……なんであなたがここに」
リーナが呟くと、マルは満足そうに目を細めた。
◆◆◆
道具の説明と世間話が一段落した頃、静がこれからの予定を切り出した。
「今日はこのあと、三組に分かれて動こうと思ってるんだ。せっかく来たし、それぞれの目的を済ませておこうかなって」
「三組、ですか?」
「うん。僕とセリナは市場へ。夏の料理の構想を練りたいんだ。冷たい麺とか、食べやすいものを探してみたくて」
「夏料理……楽しみです、静様」
セリナが嬉しそうに目を細め、静の隣に並ぶ。
その頬がほんのわずかに赤いことに、フォルティナはそっと気づいた。
(……なるほど、そういうことですね)
それはとても穏やかで、けれど特別な灯火。
フレイアもまた、悪戯っぽく微笑んで何も言わなかった。
「私とリーナはギルド本部に顔を出してくるわ。最近の噂の出どころも、少し探っておきたいしね」
「ええ。情報の整理は早いうちがいいわ」
アリアとリーナが頷く。
「じゃあ、私はフィアと夏物の買い出しね。日用品も補充しておきたいし」
「夏服、可愛いのあるかなぁ!」
ミレイアとフィアも、それぞれの鞄を肩にかけ直した。
「あかねたちはどうする?」
静が足元の幼体たちを見渡すと――
あかねはすっと立ち上がり、アリアの足元へと歩いていった。
「きゅ」
「……私のところに来るの?」
アリアが少し驚いたように屈み込むと、あかねは「きゅ!」と鳴いて胸を張った。
ルゥはミレイアの足元へそっと移動し、「くぅ」と短く鳴く。
「ふふ、ルゥは私と一緒ね」
ミレイアが穏やかに微笑んだ。
ハルはひゅんと飛び上がり、フィアの肩口あたりをくるりと旋回してから着地した。
「ハル! 一緒に来てくれるの? やったー!」
フィアが両手を広げると、ハルは「ひゅるぅ」と甘えるような声で鳴いた。
マルはリーナの足元へとぽてぽてと歩み寄り、「ぷぅ」と鳴いてそのままごろりと横になった。
「……さっきからあなた、私のそばにいるわね」
リーナが呟くと、マルは満足そうに目を細めた。
リーナはしばらくマルを見てから、ペンダントをそっと握った。
「……まあ、いいわ」
ツキだけは静の肩の上から動かず、セリナの方をちらりと見てから「にゃ」と短く鳴いた。
「ツキは僕たちと一緒か」
「当然でしょ、という顔してるわよ」
フィアが笑うと、ツキはわずかに目を細めて視線を逸らした。
「……自分たちで決めたのね」
アリアが苦笑する。
特別な事件の予感などない、ただの穏やかな外出。
けれど、それぞれの組が自然に動き始めていた。
◆◆◆
市場通りは、初夏の眩しい日差しと活気に満ちていた。
果実の熟した香り。
焼き菓子の甘い匂い。
それらが混じり合い、通り抜ける風が心地よい。
「夏が、もうすぐそこまで来ていますね」
セリナが周囲の露店を眺めながら、穏やかな声を出す。
肩の上のツキが、静とセリナを交互に眺めながら「にゃ」と鳴いた。
「そうだね。……あ、セリナ、あの赤い実は? 冷やして食べたら美味しそうじゃないかな」
「本当ですね。少し酸味がありそうですけど、シロップに漬けても良いかもしれません。それから……あちらの青い実も気になります。煮詰めてソースにすると、冷たい麺に合いそうで」
「それいいな。冷たい麺に酸味のあるソースか。ツキ、どう思う?」
「にゃ!」
ツキが元気よく鳴いた。
「……満場一致ね」
静が笑いながら、青い実の入ったカゴへと手を伸ばす。
向かいの乾物屋では、干した茸や香草の束が風に揺れていた。
「あっちも見てみようか。出汁になりそうなものがあるかもしれない」
「はい。あ、静様、この香草は……確か教会の台所でも使っていたものに似ています。夏でも食欲が落ちにくいと言われていて」
「それ、すごく助かる。買っておこう」
二人は一つのカゴを覗き込み、自然な距離感で歩いていく。
市場の喧騒の中に溶け込み、誰の注目を浴びることもない、ただの二人連れとして。
「静様の新しい料理、屋敷の皆さんも楽しみにされると思います」
「期待に応えられるといいけどね」
特別なことは何もない。
けれど、セリナにとっては、静と並んで歩くこの一歩一歩が
何にも代えがたい大切な時間のように感じられていた。
◆◆◆
夕方
再び合流した一行は、街外れの小さな食堂の窓際に席を取っていた。
外では夕焼けが石畳を赤く染め、長い影が通りを横切っている。
幼体たちもそれぞれの組から戻り、思い思いの場所に落ち着いていた。
あかねはアリアの椅子の傍らに座り、「きゅ」と短く鳴いてアリアを見上げている。
ルゥはミレイアの膝の上でまるくなり、マルはリーナの足元でごろりと横になっていた。
ハルはフィアの肩の上に器用に止まり、ツキは静の肩から静かにテーブルを見渡している。
「結構歩いたね。セリナ、足は大丈夫?」
「はい。静様と一緒に歩くのは全然疲れなくなりました」
セリナが柔らかく微笑む。
フィアは新しく買った薄青色のストールを嬉しそうに自慢し
アリアはギルドで聞いた他愛のない噂を軽く共有した。
リーナは静かにその様子を見守っている。
「ふふ。マル、今日も一日お疲れさま」
リーナが足元のマルをそっと撫でると、「ぷぷぅー」と得意げな声が上がった。
思わず周囲の視線が集まる。
「……珍しいわね、リーナが自分から撫でるなんて」
アリアが目を丸くすると、リーナはすかさず視線を逸らした。
「……気のせいよ」
「ぷぅ」
マルが満足そうに鳴いた。
食堂に小さな笑いが広がった。
いつも通りの食事。
いつも通りの肩肘張らない会話。
けれど、その穏やかさこそが
今の彼女たちにとって、そんな時間が今は不思議と心地よかった。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
静の言葉に、全員が自然な動作で立ち上がる。
幼体たちもそれぞれ身を起こし、出発の気配を感じ取ったように動き始めた。
帰る場所がある。
自分たちを受け入れてくれる、あの静かな屋敷がある。
それだけで胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じながら。
やがて転移光が静かに広がり
一行の姿は夕暮れの街からふっと消えていった。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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