第四話 フォルツの善意
昼を少し過ぎた頃、広場の空気は『慌ただしさ』から
『落ち着き』へと形を変えていた。
炊き出しの列は途切れない。
けれど、押し合うほどではない。
鍋の湯気はやわらかく、香草の匂いがふわりと流れて
通りがかりの人の足を少しだけ遅くする。
静は杓子を動かしながら、目の端で広場の端を見た。
椅子がひとつ増えている。
水桶がほんの少しだけ近くに寄っている。
「必要だから、自然にそうなった」みたいな置き方だ。
(……うん、いい形)
静はそう思いながら、次の器を受け取った手に渡した。
「熱いので、気をつけて」
「ありがとよ」
言葉は短い。
けれどその短さがこの場を支えている。
◆◆◆
仮設診療所の白い天幕は、広場から少し離れた位置に張られていた。
人目は届くが混雑の中心からは外れていて、落ち着きやすい。
セリナは天幕の入口で次の人を招き入れようとして――
その時、足を止めた。
白い聖衣
教会の関係者が数人
その中心にいる少女の少しだけ緊張した顔
「……セリナ、さん?」
呼ばれた声に聞き覚えがあった。
セリナの表情が一瞬で変わる。
驚き、そして――それより先に懐かしさ。
「……クラリスさん?」
少女は、ほっとしたように肩を落とし、それから小さく笑った。
「よかった……本当に、セリナさんでした」
二人は手を取り合い、思いがけない再会を喜び合った。
「フォルティナ様から、助っ人を頼まれまして。
でも、まさかセリナさんがここにいるなんて」
クラリスは言いながら、天幕の中をちらりと見た。
椅子に座る人、布を整えるセリナ、きちんと並ぶ小さな列。
「……まさかセリナさんが、診療しているなんて」
「事情があって」とセリナが少し照れたように目を伏せると
クラリスはそれ以上を聞かなかった。
代わりにセリナの手元へ視線を落とす。
患者の手首に添えた指先
淡い光
派手な奇跡ではなく、痛みをほどくための静かな回復
(……なんて澄んだ魔力)
魔力の残滓がスッと消えていき、癒した跡が温かく整っている。
そして――どこか神聖な気配さえ混じる。
(……もしかして)
『聖女』という言葉が喉の奥に浮かびかける。
でも、クラリスは言わなかった。
もし違っていたら
もし、ただの誤解だったら
その瞬間にセリナがどんな顔をするか――
クラリスには想像できてしまった。
だから代わりに別の言葉を選ぶ
「セリナさんの魔法……とても優しいですね」
セリナが目を瞬く
「優しい……?」
「はい、癒した跡がとても穏やかで……魔力の乱れがないんです」
クラリスは少しだけはにかむ。
「街の人たちが、安心した顔で帰っていく理由が分かりました」
セリナの頬が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……ありがとう」
それは『聖女』の返事ではなく、ただのセリナの声だった。
◆◆◆
交代はすぐに決まった。
「患者さんが気になると思いますが
短い時間でいいので、セリナさんは少しでも良いので休憩してください。」
セリナは一瞬迷って――その迷いを仕事の顔で閉じた。
「……お願いします。すぐ戻ります」
「はい、任せてください」
クラリスは小さく頷き天幕の中へ入った。
声を張らずに、列を崩さずに、目線を落として
「お待たせしました。……どうされましたか?」
その一言で、空気が落ち着く。
(……うん、大丈夫)
セリナはそれを確かめてから、広場の端の休憩用テントへ向かった。
◆◆◆
休憩用テントには、すでに静が腰を下ろしていた。
湯気の匂いが薄く残り、杓子を握っていた手が少し赤い。
けれど静の顔は疲れているのにどこか穏やかだった。
その足元に三匹がいる。
ツキは丸くなって「にゃ」と小さく鳴き、あかねも隣で「きゅ」と返す。
ルゥは静の膝に前足をかけて、少しだけもたれていた。
「お疲れさま、セリナ。あっちは落ち着いた?」
「はい……」
セリナは座ると、ほっと息を吐いた。
「昔、教会で一緒だったクラリスさんです。
以前、静様が初めてフォルツの街に来た時に会った子です。」
「ああ、あの時の。偶然かな?」
「フォルティナさんが、お願いしてくださったみたいです」
その事実がありがたくて、少しだけ胸が温かい。
「ちゃんと休めるように、ってことだね」
セリナは少しだけ目を伏せる。
「……うれしかったです。久しぶりに会えたことも、そうですけど」
言葉を探すように一拍置いて
「教会を出てから……
こういう形でまた誰かと繋がれるなんて、思っていなかったので」
「一人じゃなかったんだって、改めて思いました」
静は何も言わず、ただ頷いた。
その反応が「分かるよ」と言っているかのように。
「今日は本当に来てよかった」
セリナが息を吐く
「街の皆さんの顔を見ていると……こちらまで元気を分けてもらったみたいです」
静も少しだけ笑う。
「最初はうまく回るかなって思ってたけどね」
視線の先
広場の端で、八百屋の若者が椅子を戻している。
パン屋が籠を運び、香草屋が布を畳んでいる。
「いつの間にか、みんなが自然に手伝ってくれてるね」
「私たちが一方的にやるんじゃなくて――一緒に場を作ってる感じです」
「うん。この街の熱量そのものが、この場を支えてくれてる」
セリナは胸の前で手を重ねた。
「はい……」
足元でツキが「にゃ」と鳴き、あかねが「きゅ」と返す。
ルゥは小さく「くぅ」と鳴いて、静の膝に頭を預けた。
休憩は短い
でもこの短さがちょうどいい。
◆◆◆
セリナが天幕へ戻ると、クラリスはきちんと現場を回していた。
声を張らない
それでも相手の言葉がちゃんと出てくる待ち方をしている。
セリナは少しだけ安心して、近づいた。
引き継ぎは短く、でも必要なことは揃っていた。
最後にセリナはまっすぐクラリスを見て伝える
「来てくれて……本当にありがとう」
クラリスは少しだけ首を振る
「こちらこそ……セリナさんが元気でよかった」
言いかけて、また言葉を飲み込む。
『聖女』の話はしない。
代わりに柔らかく笑った。
「また、会えますよね」
「うん。……会おうね」
約束は重くしない、でも気持ちは伝わる。
クラリスは教会関係者と共に静かに帰っていった。
◆◆◆
夕方、炊き出しと診療の終了時刻が来た。
列が解ける
最後の器が返される
天幕の布が少しだけ揺れて、夕方の風が通り抜ける
「では、本日はここまでです」
フォルティナが短く告げると、人々は大きく騒がず
けれど確かに安心した顔で散っていく。
片付けを始めようとした時だった。
露店の店主たちが何人か近づいてきた。
「おい、鍋は重いだろ。こっちで運ぶ」
「椅子も預かるよ。……また、次もやるんだろ?」
言い方はぶっきらぼうだ。
でも手は優しい。
フォルティナが驚いたように目を瞬かせる。
「皆さん……よろしいのですか?」
八百屋の若者が照れくさそうに頭をかいた。
「領主様。これっきりじゃ、もったいないっすよ」
パン屋が鼻を鳴らす
「腹が減ってる時に、ちゃんと温かいもんがあるって分かった。
そりゃ、次も欲しくなるさ」
香草屋の女将が笑う。
「無理のない範囲でね。できるぶんだけ……それで十分ね」
誰も大げさなことは言わない。
でも『続けたい』という気持ちが、言葉の端にそっと混ざっている。
静は鍋の縁を拭きながら、そのやり取りを聞いていた。
(……こう言う形が大切だよね)
セリナは布を畳みながら、少しだけ目を潤ませそうになって――慌てて瞬きをした。
フォルティナは一度、深く息を吸ってから静かに頷く。
「……ありがとうございます。街の皆さんの形で自然に続けられるなら
それが一番です」
フレイアが横で肩をすくめる。
「うん。『善意の場』って、続けられなきゃ意味が薄いもの」
「無理しないで続ける。そのための段取りは私たちが整えるわ」
その言葉は軽いが、『責任のある軽さ』だった。
◆◆◆
その夜、静たちは再び上級宿屋に泊まった。
部屋に戻ると三匹は一斉に床へ広がる。
ツキが「にゃ」と鳴き、あかねが「きゅ」と返す。
ルゥは「くぅ……」と小さく鳴いて、眠そうに目を細めた。
「お疲れさま」
静が言うとセリナも小さく笑った。
「はい……お疲れさまでした」
疲れはある。
でも、嫌な疲れではない。
眠る前、セリナは一度だけ胸の前で手を組んだ。
(……届きますように)
祈りは短い
それで十分だった。
◆◆◆
翌朝
宿のロビーで待っていると、フォルティナとフレイアがやってきた。
二人とも顔は整っているが、目だけが少し真剣だ。
「静さん」
フォルティナがまっすぐ言う。
「改めて伺いたいことがあります。……この結晶の本当の意図を」
静は頷いた
「水の魔力結晶のこと、ですよね」
フォルティナは続ける
「これほどの至宝、政治的な交渉材料にもなり得たはずです。
なぜ、見返りもなく私に預けてくださったのですか」
真剣な、そして責務のある問いかけ
静は少しだけ考える――
というよりも言葉の形を整えるように息をついた。
窓から差し込む朝日に目を細め、三匹の頭を撫でながら答える。
「僕は今、女神ルーナフィリス様のおかげで……恵まれた場所にいるんだと思う」
「水もある。食べ物もある。守ってくれる仲間もいる」
視線がふっとセリナへ向く。
セリナは小さく頷いている。
「だから……自分だけが抱え込むのは、落ち着かない」
静は少し困ったように笑う。
「もし、その『おすそ分け』が誰かの困りごとに役立つなら、
それが一番いい使い道だと思っただけ。
……僕にとっては、スープのおすそ分けと同じなんですよ」
「特別な理由はないですね」
フォルティナとフレイアは、顔を見合わせた。
その無欲で純粋な答えに、二人は深い感銘を受けた。
静にとっては、世界の勢力図を塗り替えるような結晶さえも
ただの「余分な優しさのおすそ分け」に過ぎないのだ。
ため息ではなく、静かな確信の気配だった。
「……分かりました」
フォルティナが小さく頷く。
「その想い、私たちが責任を持って形にします」
フレイアが続ける。
「うん。こっちは手慣れてる。『変な注目』が集まらないようにね」
静は頷いた。
「お願いします」
◆◆◆
見送りは短かった。
目立たず転移が出来る地点まで、フォルティナとフレイアが一行を送る。
朝の風が少し冷たく、でも昨日より柔らかい。
「また来てくださいね。ルゥも」
フォルティナの呼びかけに、ルゥは首を傾げて
「くぅ!」
と元気よく鳴いた。
フォルティナの口元がわずかに緩む。
ツキも「にゃ」、あかねも「きゅ」と続く。
三匹の声が、短い別れを少しだけ明るくした。
転移の光が静かに広がり、一行の姿が薄れていく。
フォルティナとフレイアはそれを見届けてから踵を返した。
◆◆◆
領主館の執務室
扉が閉まるとフォルティナは椅子に深く座った。
一度、息を吐く。
フレイアは窓辺に寄りかかり、軽く腕を組む
「さて、ティナ。相談、でしょ」
フォルティナは頷いた。
「今回の炊き出しと診療所……街の有志を中心に、続けられないかと考えています」
「静さんたちの負担にならない形で。『やってもらう』ではなく、『街が回す』形で」
フレイアは即答する。
「賛成。ギルドも動ける。それと、あの結晶の件だけど……」
フォルティナの目が僅かに引き締まる。
「国や教会に正直に報告すれば……静さんたちに、不必要な注目が集まります」
フレイアは目を細めた。
「そうね。あの人、守りたい平穏のために動いてるのに、騒がれたら終わる」
「だから、こうしましょう」
フォルティナは凛とした表情で続けた。
「この結晶は『フォルツ領が総力を挙げて発掘・精製に成功した』
として報告しましょう。窓口は私に一本化する。出所も手柄も
私たちが被ります」
フレイアが不敵に口角を上げる。
「悪役の手柄話ってわけね。いいわね」
「ギルドも口裏を合わせる。上は『分かりやすい手柄』が好きだから、分かりやすい形を渡す。それが静さんたちの善意を政治の道具にしないための、私たちなりの防波堤よ」
フォルティナは少しだけ目を伏せ、そして――静かに頷いた。
「……分かりました」
「私も、同じ気持ちです」
「静さんたちを守るためなら……必要な泥は、私たちが引き受けます」
フレイアが、ほんの少しだけ笑う。
「ティナがそう言うなら、決まり」
フォルティナも、わずかに笑った。
「それと街の継続の件。次回は『やりたい人』が動けるように
押しつけず、偏らせず」
フレイアが頷く
「うん。善意は続けるほど、疲れる。だから仕組みで守る」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
その沈黙は重くない。
責任を『背負う』というより、『整える』ための静けさだった。
窓の外では、フォルツの街が今日も動き始めている。
湯気の匂いが消えたあとも
善意の余韻だけは、静かに残っていた。
イメージソングを作成してみました。
もし興味を持って頂けましたら、曲を聴きながら読んでくれたら嬉しいです。
物語の方も順調に書き進めていますので宜しくお願い致します。
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カクコムでも先行掲載しています。
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