第一話 教会・国家による異変察知
それは静かな朝の報告だった。
教会中央監察局――
国家と教会の両方にまたがる、その部署に一通の記録が届けられたのは
まだ鐘の音が街に満ちる前のことだった。
朝靄が立ち込める中、石造りの建物の奥深くで
数人の監察官と神官が集まっていた。
「観測ログ、第三層に微細な揺らぎあり」
報告書は淡々としている。
数値も、波形も、異常と断定するほどではない。
世界には常に小さな揺らぎが存在している。
魔力の流れ、精霊の動き、生命の営み。
それらが重なり合って、世界は常に微細に変動している。
だがその場にいた者たちは、皆同じ箇所で目を止めた。
揺らぎの発生源――
既存のどの座標とも、完全には一致していなかったのだ。
地図上に記された点は、確かに存在している。
それなのにその場所は既知のどの領域にも属していない。
国家の管轄でもなければ、教会の管理下でもない。
まるで、世界の隙間に突如として現れた
新しい存在のように。
「……存在していない場所、か?」
監察官の一人が低く呟いた。
年配の男性で、長年この職に就いている。
彼の経験をもってしても、このような事例は初めてだった。
「否。存在はしている」
対面に座る神官が記録から視線を上げずに答える。
彼女は若いが、観測術に長けており、監察局からの信頼も厚い。
「ただし――通常の世界座標からは、切り離されている」
沈黙が落ちた。
教会は"存在しないもの"を恐れない。
幻や妄想、虚構の類は、いくらでも対処できる。
恐れるのは
"存在しているのに、触れられないもの"だ。
「……世界から隔てられながら
それでも世界に"存在してしまっている場所"だ」
神官の言葉は祈りでも警告でもなく、ただ事実を読み上げるようだった。
彼女の声には感情が乗っていない。
だが、その静けさが逆に、事態の深刻さを物語っていた。
記録には補足が続いている。
・空間安定度:不定
・侵入試行:全件失敗
・外部干渉:確認されず
・内部反応:穏やか
「穏やか、ね」
別の監察官が鼻で笑う。
彼は若く、実戦経験も豊富だ。
「一番厄介だ。災厄なら対処のしようもある」
教会にとって沈黙は必ずしも平穏を意味しない。
静かであることは、時として何かを隠していることを意味する。
嵐の前の静けさ
爆発の前の沈黙
それらは、歴史が何度も経験してきたことだ。
「侵入試行が全て失敗、というのは?」
別の監察官が尋ねる。
「文字通りだ」
神官が答える。
「魔法陣を用いた転移、物理的な接近、霊的な干渉
全て、何の反応もなく失敗している。まるで、そこに道が存在しないかのように」
「結界か?」
「結界ならば、反発がある。だが、これは違う。
拒絶ですらない。ただ……到達できない」
それは奇妙な状態だった。存在しているのに、触れられない。
見えているのに、辿り着けない。
まるで、別の次元に存在しているかのような場所。
「国家側への共有は?」
問われ、神官は一瞬だけ間を置いた。
彼女の表情が、わずかに曇る。
「最小限に。座標未確定、脅威度測定不能……
公式には"自然揺らぎ"として扱う」
「隠すのか」
監察官の一人が眉をひそめる。
「保護する、と言ってほしい」
神官はそう言って指先で記録を閉じた。
彼女の目には、確固たる意志が宿っている。
「現時点で誰も辿り着けない。
許可がなければ、道そのものが存在しないのだから」
それは教会の論理から見ても異例だった。
通常、教会は全ての異常を公にし、国家と協力して対処する。
だが、今回は違う。
神の意志か。それとも――観測者による選別か。
「……何かが、あの場所を守っている」
神官が静かに続ける。
「それが何なのかはわからない。だが、確かなことが一つある。
あの場所は誰かにとって必要な場所だ」
「誰にとって?」
「まだ、わからない。だが……」
神官は窓の外を見つめる。朝日が、ゆっくりと街を照らし始めている。
「あの場所の内部反応が"穏やか"である限り、我々が介入する理由はない」
「……監視は続ける」
年配の監察官が、重々しく告げる。
「当然だ」
神官が頷く。
だが介入は行われない。
その場所が、誰かの"静かな生活"を成立させている限り。
教会は、ただ、祈るしかなかった。
――その静けさが、世界にとっての救いであり続けることを。
会議は静かに終わり、それぞれが持ち場へと戻っていく。
全員の心に、同じ疑問が残っていた。
あの場所には、何がいるのか。
誰が、何のために、あそこにいるのか。
そして――
いつか、その静けさは破られるのか。
答えはまだ誰も知らない。
記録だけが静かに積み重なっていく。
世界はまた一つ、謎を抱えたまま動き続ける。
カクコムでも先行掲載しています。
もし続きが気になって読んでいただける方が居たら下記のページでお願いします。
https://kakuyomu.jp/works/822139842423376578




