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青い鳥の残響

作者: Tom Eny

青い鳥の残響


登場人物


田中 治(47歳・男性):非正規従業員。容姿への劣等感が強く、Xで**「ユメコ・スイミン」**という、極度に繊細で詩的な女性ネカマを演じる。


佐藤 綾子(45歳・女性):事務職。息をのむほどに美しいが、経済的な不安と、「中身を見てもらえない」孤独を抱える。Xで**「ミスター・ロンリー」**という、社会への強い皮肉と頼れる強さを持った男性ネナベを演じる。


1. 魔法の音の残響


深夜0時を過ぎ、田中治(47歳)は、派遣先の職場の残業で凝り固まった体を、アパートの冷え切った部屋に投げ出した。キーボードの冷たさが指先に食い込む。今日も、冴えない容姿と不器用さゆえに、誰とも本音を話せなかった。自分の繊細な心は、現実では嘲笑されるだけだ。


だが、彼が演じる**「ユメコ・スイミン」**の言葉だけは、美しかった。それは、現実の「田中治」から溢れ出た、純粋な魂の吐息だった。


ユメコ・スイミン:夜フカシの詩をどうぞ。凍える心も、ここなら誰にも見られない。 (…私の魂は、冴えないこの体に囚われている。ユメコだけが、私を救ってくれる。)


彼のスマホのDMに通知が届くたび、田中は、かつてテレホーダイの時間になり、モデムの接続音を待った、あの時代の特別な緊張感を覚えた。あの「ピポパポ…」という機械的な一音だけが、現実の孤独を打ち破る、魔法の音だった。


田中が惹かれるのは、「ミスター・ロンリー」。綾子(45歳)が演じる、社会への強い皮肉と、どんな弱さも受け止めてくれる包容力を持つ男性だ。


綾子自身は息をのむほどの美人だが、その美貌はむしろ**「私の内面は取るに足らない」と周囲に突き付けられた結果、纏うことになった化粧という「鎧」であり、経済的な不安や内面の空虚さを埋めてはくれない。彼女は、自分の美しさというノイズ**ではなく、言葉の強さだけで田中ユメコに評価されることに、心底安堵していた。


二人のDMには、「ノシ」(またね)や**「orz」(がっかり)**といった、彼らが最も輝いていた頃の「インターネット老人会」スラングが混じり合った。それは、互いの年齢と、共有した時代の痛みを、切なく確認し合う秘密の言語だった。


2. 偽装と、本質的な救済


田中ユメコは、ミスター・ロンリーの心を深く満たしていく喜びと、**「この愛は偽装だ」**という罪悪感に苦しんだ。彼が憧れる「強い男」とは、あまりにもかけ離れた、冷えたキーボードを叩く、容姿に自信のない中年男性。彼は、ミスター・ロンリーに真実を伝えることを恐れていた。


ある晩、ユメコがミスター・ロンリーに送ったメッセージ。


ユメコ・スイミン(田中):あなた(ミスター・ロンリー)の強さに、私は生かされている。私は弱い。あなたのような、本当に頼れる男性が、現実でいてくれたらと、何度思ったことか…ノシ (ユメコの言葉に乗せて、私の本質を告白している。彼に受け止めて欲しい。)


綾子ミスター・ロンリーの内心が、激しく揺れる。


彼の「弱い」という告白が、私の心を締め付ける。**私が演じる「強さ」は、私が現実で彼に与えてあげたいものだ。**彼はきっと、私の美しさではなく、この言葉だけを信じている。…彼の純粋な愛を、私の現実(美貌と疲弊)で汚してはいけない。 (私は、美人であるがゆえに、過去の恋愛でいつも「中身」を拒絶されてきた。ユメコの繊細さだけが、私の生身の弱さを肯定してくれる。)


そして綾子は、自分もまた、彼の繊細さと優しさに、依存していることを知っていた。この愛は偽装ではない。**このペルソナ(仮面)こそが、現実の自分というノイズを排除した、「最も純粋な自己」**だと、二人は信じていた。


3. バブルの残滓と「数秒間の静止」


真実の告白(DMで互いの性別を明かす)の後、二人は対面を決意した。場所は、かつて青春時代に流行した大型ショッピングセンターの裏にある、**今は寂れてひび割れたベンチと、色褪せたUFOキャッチャーの景品が残る、ゲーセンの跡地。**バブルの残滓が残る、輝いていたはずの時代を象徴する場所だった。


田中は、ベンチの近くで、人目を避けるように待っていた。彼の心臓は、恐怖と、ユメコの言葉が否定されるかもしれないという予感で震えていた。


約束の時間から数分後、一人の女性がその寂れた一角に入ってきた。


田中は息を飲んだ。その女性は、**息をのむほどに美しかった。**着ている簡素なコートが、却ってその美しさを際立たせていた。だが、その肩には、疲労というロスジェネ世代共通の重さが、深く沈んでいた。


田中の内心:ああ、違う。こんな美しい人が、俺のユメコの言葉に惹かれるはずがない。この美貌は、俺のような冴えない中年男性の現実を、あっさり粉砕してしまう。この人に、俺の重荷を背負わせてはいけない。


田中は、綾子の顔から目を逸らした。美貌という名の、乗り越えられない壁。


一方、綾子も周囲を見渡す中で、ベンチから少し離れた場所にいる、猫背でくたびれた中年の男性(田中)に気づいた。彼の仕草には、DMで知ったユメコの繊細な不安が、まるで空気のように滲み出ていた。


「もしかしたら、この人が…」


綾子の胸に、切ない直感が走った。世界から周囲の音が消え、数秒間の静止が訪れる。だが、彼女は声をかけることを躊躇した。


綾子の内心:彼(田中)は、私が演じたミスター・ロンリーの強さを求めている。私がこの美貌と、疲れた現実を見せてしまったら、彼が信じた「言葉の愛」が嘘になってしまう。**あのくたびれた背中は、私と同じく、人生の重荷を背負っている。**私がロマンスを壊して、彼の純粋な救済を奪ってはいけない。


二人の視線は、わずかに交差したが、「容姿への劣等感」と「相手の幸せを守るための自己犠牲」という二重のフィルターによって、互いを「約束の相手」と認識することはないまま、離れていった。


終章:永遠に純粋な愛


田中は、去り際に一度だけ振り返った。美しい綾子は、まだその場に立っていた。彼は、ユメコの言葉だけが愛されたという**事実(純粋な魂の繋がり)**だけを、永遠の宝として心に刻むことを選んだ。


田中が立ち去った後、綾子はそっとベンチに近づき、冷たいシートに座った。


「さよなら、ユメコ・スイミン」


彼女はXを開き、二人のDMのやり取りを、まるで色褪せない宝物のように見つめた。そこには、美貌でも容姿でも性別でもない、ノイズのない、最も純粋な二人の愛が、永遠に刻まれていた。


二人の愛は、Xのユメコとミスター・ロンリーで永遠に生き続ける。それが、この時代に、この世代に残された、最も切なく、最も美しいデジタルな救済の形だった。


夜明けの光が、寂れたゲーセンの跡地を、静かに照らし始めた。綾子は立ち上がり、その愛の残響を胸に、現実の生活へと、**「鎧」**をまとい直して戻っていった。

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