灰本
「一体どういうことですか?」
黒い瞳を一瞬揺らした後で、こちらを見返してくる。やっぱり言わなければよかったと後悔しているような雰囲気だ。端正な顔立ちの眉間に皺が寄っている。
ここまで言っておきながら、やっぱり言えませんなんて、ないだろう。
「私は、この件の依頼者です。全部教えて下さい」
再び鼻息の荒くなる私に、灰本は大きなため息をついていた。ずっと、人当たりよかった彼の顔が少し剥がれる。嫌そうな顔をしながらグレーのスーツの内ポケットから、ペンと名刺を取り出し裏にした。そこに、ペンを走らせていく。
咲良、山川美羽、アサミ。
女性らしき名前がずらりと並んで名刺を、私の方へ向けてくる。
「誰ですか?」
「警察に捕まった三人は、SNSを利用していた。その中のフォロワーで、怪しい人物が浮上しました」
「それが、これ……ですか?」
捕まった三人プラス女三人。つまり、六人もこの件に絡んでいるということだろうか。しかも、性別は女? 理解するのに苦労する。灰本は説明を続ける。
「この三人。全く繋がりがないように見えるが、同一の趣味サークルのに入っています」
実際にみた方が早いかと、灰本は、自分の事務机にのっていたタブレットを持ってきて、ソファに再び腰を下ろす。一通りの作業を終えると「これです」と、私に見せてきた。
大きな文字が、飛び込んでくる。
「愛犬会?」
何とも、平和なサークルにしかみえない。スクロールしていくと、このサークルに加入している飼い犬の写真が次々出てくる。
普通にかわいい。春香が飼い始めたというチワワにおいては、特にたくさん出てくる。その中でも、ふわふわの毛並みの良い子犬のチワワの写真には、心が掴まれてしまう。
「このワンちゃん、ものすごくかわいくないですか? 最近友達も子犬飼い始めたんですけど、確かにペットって癒されますよねぇ」
素直な感想を述べると、灰本から冷ややかな視線が返ってきた。
脱線した思考を元に戻せとばかりに、灰本は強制的にトップ画面に戻して、指さした。
「主催者の名前を見てください」
主催名『浅川美咲』と、あった。灰本が書き出してきた女たちと名前が違う。これも、さっきの女三人と同じ仲間だというのだろうか? そうなると、これで関わっている女は計四人になる。私はさすがに首をかしげた。
「……やっぱり、この女の人たち、何の繋がりもないんじゃないですか?」
灰本はその疑問に、ペンで答えていた。
「ここに書いた、三人の女。咲良、山川美羽、アサミ。最後のカタカナのアサミは、漢字変換すれば『浅』になる」
アサミのアサに丸をつけて、漢字を書き込み丸をつけると、残り二人の名前の一部にも、次々と丸をつけていく。
「アサミの『浅』、山川美羽の『川』と『美』、咲良の『咲』これらをとってくっつければ『浅川美咲』になる」
「……本当だ!」
「こんな偶然、ありえない」
私が目を丸々とさせていると、灰本ははっきりといった。
「おそらく、この『浅川美咲』は、本体。他の三人については、誰かを雇ったり、これから犯行に及ぼうとしている人間を探すためだけに使用しているアカウント。つまり、この四つのアカウントの中身は、同一人物だ」
「え?」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
だが、そうか。考えてみれば、ネット上は、いくらでも偽れる。載せている中身はリアルでも、表面上は偽りだらけが普通だ。
「SNSのアカウント、このサークルのページ、これらのIPアドレスを調べたら同じ場所から発信されていた。同一人物であることは、間違いない。その浅川美咲。度々、女性限定イベントを行っている。この女がターゲット探しの役目を担っている可能性が高い。主催者が女であれば、警戒心が薄れますからね」
「亜由美と同じような目的で、女の子を騙して集めてるってことですか? 何のために?」
「SNSで繋がった男から金をもらい、計画を練り、目を付けた女を売る斡旋をする。そんな商売をしているってところでしょうか。その辺りは、調べていません。以上です」
以上です? 中途半端なところでぶった切られて、私は眉根を寄せて灰本を見やる。
灰本は、残ったお茶を飲み干して、説明した名刺を私の方へ差し出し、ソファの背もたれに体を預けた。灰本から、もう仕事をやり終えた感を醸し出し始めていた。
その態度、雰囲気。眉間にしわが寄せて、私は前のめりになって開いた距離を詰めた。
「その先も、調べてくださるんですよね?」
「無理ですね」
灰本のまさかの即答に、私はバンっと机に両手をついて、立ち上がった。
「どうしてですか?」
「柴田さんから請け負った仕事は、『山本』『藤井』二名を晒すこと。もう完了しています」
「なら、依頼を変えます。この『浅川美咲』という人物を特定してください。報酬も提示通り用意します」
「嫌です。最初依頼のあった二名は、警察に捕まった。その時点で既に、僕は予想以上の成果を出した。おまけに、プラス一名も捕まったんだ。もう十分でしょう」
また、さらっと即答してくる。何かがプチっと切れる音がした。
「どこが十分なんですか?」
私が鋭く言い返すと、灰本のピンと背筋を伸ばし続けていた背中が、ムスッと丸まっていた。
だから、言いたくなかったんだとでも言いたげに。
「ここまで、やったんだ。満足でしょう?」
満足でしょう……ですって?
全身の血液がマグマに変わってしまったかのように、熱くなった。
「こうやって、姿を眩ますのがうまい連中は、こっちのリスクも数倍に跳ね上がる。あなたのようなストッパーの壊れた瞬間湯沸し器にいちいち、付き合ってられません」
ストッパーの壊れた瞬間湯沸かし器という、ダメ押しの暴言で、完全に噴火した。怒りのあまり、手が震える。
「こういう奴らを野放しにしていたら、また次の被害者が出るかもしれないんですよ? 黙って見過ごすんですか? あなた、さっき私にいいましたよね? 満足感がないって。それって、灰本さんもまだ不十分だと思っているからなんじゃないんですか?」
一瞬でも、格好いいなんて、思った私はバカだった。机の上の名刺を引っ手繰って、灰本を睨み付ける。灰本からも、鋭い視線が返ってきて、ぶつかったところから火花が散っていた。
「もういいです。これ以上、頼みません。一人でどうにかしてみせます」
そう言い放って立ち上がる。
「思い付きの単独行動は、危険です。これ以上、首を突っ込むのは、やめておいた方がいい」
灰本から面倒くさそうに言われ、これ見よがしにため息をつかれた。完全に嫌味だ。
これ以上、こいつと同じ空気を吸いたくもない。
私は、乱暴に事務所のドアを開け、すっかり暗くなった空の下へ飛び出した。