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サラシ屋  作者: 雨宮 瑞樹


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サラシ屋

 それから、更に十日後。

 私は、再び灰本探偵事務所へと向かっていた。

 約束の時間は十六時。灰本には散々来るなと言われたが、無理やりもぎ取った時間だ。しかし、大学の講義が延びたため、少々遅刻気味だ。

 普段着なれないスーツで歩きにくいせいで、新宿西口駅前を抜けるのに一苦労して、事務所を見上げる。相変わらず高層ビルの間の影に隠れてようとしているのに、事務所の文字は堂々としている。初めて来たときは、その矛盾さを前に疑問と不安に苛まれたものだが、今は自然と口角は上がっていく。そして、四階の事務所のドアを押した。

 

 椅子に座っていた灰本は、以前のようにすっと立ち上がり、以前のような人当たりのいい笑顔で出迎え……なんてしてくれるはずもなく。

「遅い。三分遅刻」

 開口一番、非難が飛んできていた。

 そんなことは、想定内だ。今さら驚きはない。私は、溜息と嫌みっぽい満面の笑みで返した。

「相変わらずお元気そうで、何よりです」

「報酬はいらないといった。一体なんの用だ? さっさと用件を話せ」

 冷たくいい放つ灰本は、こちらへ顔を向けることもなく、机の上に並べられている資料にかじりついたままだった。新たな依頼でも舞い込んでいるのかもしれない。

 こんなギスギスした世の中だ。サラシ屋を追い求める人は、きっと少なくないのだろう。

 理不尽から生まれた怒りや憎しみの感情を少しでも晴らしたい。どうしようもないほど、真っ暗などん底に落ちた人が藁をもすがる思いで伸ばした手の先に、サラシ屋があるのだろうと思う。

 私は、救われたそのうちの一人だ。

 

 灰本のデスクから一番近いソファ席に腰を下ろして、体だけ灰本の方へ向ける。以前渡しそびれていた現金の入った茶封筒を、そっと差し出した。灰本はやっと机から顔をあげ、腕組みをして、椅子の背もたれに体を預けて面倒そうにいう。

「いらないといった」

「そうもいきませんよ。後で、あの時の金もらってないって、多大な利子付けて乗り込んで来られても困りますし」

 灰本はむすっとして、両腕を組んで睨んできた。

「だったら、その金を使って引っ越せ。お前の住んでるアパートは、セキュリティに問題がありすぎる」

 ああいえばこういう灰本は、ちらっと時計を見やる。

「話したいことは、終わりか? それなら、早く帰れ。この後約束がある」

 しっしと、手で追いやって邪魔者扱いされる。本当ならこの後、本題に入る手筈だったが、計画を変更することにする。

 

「被害にあった有島亜由美、会社人事から誠意ある謝罪があったそうです。その結果、彼女は、そのままその会社へ就職することになりました」

 ずっと煩わしそうな顔だったのが、この報告には、僅かながら感情が表立っていた。少しだ目を丸めて、やっと視線が合った。

「普通なら、会社への拒否反応が出そうなものだが、勇ましいな」

 私も同感だ。私だったら、会社なんか潰れてしまえと罵倒して、とっくに辞めているところだ。

 しかし、彼女はいう。

『今回の事件は、会社ぐるみの事件というわけじゃない。加害者と会社は、切り離して考えなければいけないことなんだと思う』

 そんな冷静なものの見方をできるなんて、本当に彼女は、強いと思う。

 亜由美は、本当に強くて優して、非の打ち所がない。

 しみじみそう思っていると、灰本が話題を変えてきていた。


「大学の方は、大丈夫だったのか?」

 意外な質問で、そんなこと気にしていたのかと、自然と口角が上がってしまう。それを無理矢理抑えながら、頷く。

「あんな動画出されたから、復帰当初は色んな人に絡まれるかもしれないと、警戒していたんですけど、全然そんなことなく。拍子抜けするほど、平穏でした。春香が教授へ言ってくれたんだそうです。『柴田が復帰して早々に学生たちから不当な扱いを受けたりしたら、大学側を安全配慮義務違反で訴えます』って。それで、大学側も学生たちへ目を光らせてくれて、事なきを得たというわけです。やっぱり、持つべきは親友ですね」

「類は友を呼ぶってやつか。柴田のような奴がもう一人いると思ったら、恐ろしい。勘弁願いたいもんだな」

 灰本は、噛みしめるようにいう。

 ちょっと、ムッとしたが、ここを抑えなければ本来の作戦を実行できない。深呼吸してやり過ごして、いよいよ私は、ソファから立ち上がった。

 急に動き出した私に、警戒心むき出しの灰本は訝し気に眉を寄せてくる。

 構わず灰本の席の前で、ぴしっと背筋を伸ばし、直立不動して、肺いっぱいに酸素をため込んだ。

「実は大事な話があります」

 整った顔の真ん中に皺を寄せる灰本は、目を瞬かせていた。

「大事な話?」

「はい。超がつく大事な」

 付け加えると、灰本は、益々意味がわからないと、怪訝に見上げてくる。

 私は、溜めていた酸素を一気に吐き出した。

 

「私をここで、雇ってください」

 凛とした声が、事務所内の隅々まで行き渡る。たっぷりとした沈黙が落ちた。

 コチコチと時計の針の音が、しばらく続いたあと「は?」と、間の抜けた声が発せられる。いつも聡明な瞳が丸々として、口もポカンとあいたままだ。隙だらけの今がチャンスだ。拳を握る。


「私、就職の最終面接で落とされたの知ってますよね? 今からまた就職活動するなんて、時期的にも不可能なんです! だから、ここで働かせてくださいということです!」

 より一層、お腹に力を込め、力説する。

 灰本は、そこで我に返ってしまったようだ。みるみるうちに鬼の形相に変化していく。

「そんな提案のむ馬鹿がいるか。大人しく今のバイト先で世話になって、就職浪人してろ」

 吐き捨てるようにいうが、私は食い下がらない。

「晴天は、もともと辞める予定だったので、既に新しいバイトの子が入っちゃったんです。申し訳ないけれど、延長は無理だって店長に、言われました」

 しゅんと、落ち込んだふりをしてみる。が、灰本には通用しなさそうだった。

「だったら、新しいバイト見つければいいだけの話だろ。ここは、一人で十分。人手は間に合っている」

「嘘ですね。灰本さんが、前いっていたこと私、ハッキリ覚えてますよ。『男一人の場所に女性が入ってくるのは、不安ですよね。女性スタッフを雇えればいいのですが』って」

「あれは、建前。空気を和ませるためだ」

 灰本はむきになりながら、身振り手振りを交えて、主張する。それを無視して私は、主張した。

「依頼にくる女性は、ただでさえ大きな悩みを抱えています。それなのに、こんな狭い空間に男性一人の場所に来るなんて、非常に不安で、勇気がいります。実際、私も同じ思いをしました」

「この態度のどこが?」

「それは、今だから平気なのであって、初対面の時は、不安しかありませんでしたよ」

 灰本は腕組みをして椅子の背もたれに体重を預けて、黙り込む。私は畳み掛けた。

 

「依頼人の中には、女性ならではの問題を抱えている方も、いらっしゃるはずです。デリケートな問題を男性に明け透けに説明するのは、大変な労力と緊張感が伴います。そこに女性スタッフがいたら、随分と雰囲気はかわると思います。ストレスは緩和され、悩みも打ち明けやすいはずです。故に、私を採用することは、メリットしかありません!」

 やった。

 昨夜、考えてきたことをすべて言いきった。密かにガッツポーズする。しかし、そんな達成感に浸る時間すら与えず、灰本は腕組みを解いて、前のめりになって反論してきた。

 

「この商売は、善と悪のギリギリの境界線の上で成り立っている。綱渡りと同じだ。一歩足を踏み外せば、地獄へまっ逆さま。一つのミスが命取りになる。お前みたいにすぐ暴走する奴なんか、危なくて雇えるか」

「そこはちゃんと、自重します」

「お前のこれまでの行動をみれば、無理に決まってるだろ」

「人は努力すれば変われます」

「そんな簡単に人間変われたら、誰も苦労しない」

 

 そんな押し問答していると「お取込み中、すみません」突然背後から、声がして驚いて振り返る。

 ニヤニヤと笑みを浮かべている日に焼けた顔。天海だった。

「痴話げんかが外まで、丸聞こえだったぜ。俺は、お嬢さんに賛成だぜ」

 思わぬ加勢で、私も勢いづく。

「ほら。天海さんからのお墨付きもありますよ」

 ますます渋い顔になる灰本は「お前ら、好き勝手なことばっかり」と、ぶつぶつ言いながら頭を抱え始める。

「天海……なんでこんな面倒な時に、来た? 俺は、お前ら二人とも呼んでない」

 灰本は、天海の私へ指さして、へイライラをぶつけるように睨みつけてくる。

「この前頼まれた資料持ってきてやったのに、そりゃないだろ」

「なら、資料だけ置いて、余計なこも言わず帰れ」

 天海が肩を竦める。私が代わりに口を開いた。

「頼んだ資料持ってきてくれたのに、そんな言い方ないでしょ」

「ともかく、早く二人とも帰れ」

 くるりと椅子を回して、背をむけてしまう。子供っぽい態度だ。そこに、突然、「あの」と、再び背後から、か細い声。遠慮がちな女性の声が割って入ってきた。灰本は、弾けるように時計をみている。どうやら、依頼人らしきこの女性こそが灰本の約束相手だったようだ。再度椅子がまわり、私と天海へ殺気を含んだ血走った瞳がこちらを睨みつけてくる。

 

 「早く行け」と、声に出さず唇だけ動かし、入り口の方へと指差していた。こうなったら、退散するしかないか。仕方なく出口へ向かおうとした時、天海が私へ耳打ちした。私ははっとして、天海をみる。

 天海の不敵な笑みが、私にも伝染していた。

 

「じゃあ、俺は失礼するわ。またな」

 天海は、灰本からくるりと背を向けて、ドアへ向かっていく。私もその後に続く。天海が事務所を出た。そのタイミングに合わせて、私はパタンとドアを閉めた。そして、壁際におろおろしながら立っていた依頼人へと向き直る。灰本がぎょっとしながらも、机に散らばっていたファイルを集めている。それを視界の外へ追いやって、私は女性へニッコリと微笑みかけた。

「依頼人の方ですね?」

「あ、はい」

 おずおず答える女性に、仰々しくお辞儀をした。

「お待ちしておりました」

 にこりと笑ってみせると、女性の肩の力がみるかるに抜けていた。

「女性の方いらっしゃったんですね。よかった。色々とあったので、男性だけだったら、どうしようと不安だったんです」

 心底安堵する女性。私はニーっと口角を上げて、灰本を見る。せっせと動いていた灰本の手は凍りついていた。

 女性にソファへ座るように薦めて、私は完全に固まっている灰本の横に立った。

 

 「こちらが代表の灰本です。腕だけは確かなので、ご安心を。そして私は、ここのスタッフをしております柴田理穂と申します」

 ちらりと目配せすると、灰本の目から矢が射られたような鋭さが飛んでくる。

 それをさらりとかわした私は、満面の笑みを浮かべる。こんな素敵な作戦を立ててくれた天海に感謝していた。




 

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