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サラシ屋  作者: 雨宮 瑞樹


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23/25

解かれた呪い

 動画が投稿された時間はたった十五分のことだったが、今話題の人物による呼びかけの影響力は、驚くべき力があった。

 せめて春香には説明しておかないと心配するだろうとスマホの電源を入れ直した途端、鳴りっぱなしで、とても連絡できる状態ではなくなっていた。天海によると、自宅アパートにも、一般人やマスコミが集まっているという。

 突然の奇襲攻撃の上、爆弾を投げ込まれたような衝撃に思えたが、それは余韻もなく一瞬で消え去っていく。これまでのことを考えれば、強がりでもなく心から、どうでもいいことだと思えた。

 腕に巻かれた包帯の上を撫でる。もう痛みは感じない。

 

 灰本は、一日かけて広がっている動画の削除に尽力してくれたが、当然ながらすぐに平穏というわけにはいかない。

 この騒動が風化していくのが先か、新たな大きな波が他の場所で起このが先か。道は二つに一つ。どっちみち、この状態はしばらく続くだろうというのが、灰本と天海の見解だった。

 騒ぎが収まるまでは、不用意に外出せず、灰本の家にいるようにという天海の助言もあり、自宅アパートへ帰るのは延期となっていた。

「警察が阻止できず申し訳ない」

 天海は、苦々しい顔をして頭を下げて、忙しなく警察へと戻っていった。

 灰本は、一見いつも通り淡々としているように見えるが、どことなく覇気がないように見える。もしかしたら、責任を感じているのかもしれない。なんとなく声もかけにくい空気を纏っている。


「あの……再びご迷惑をおかけして、すみません」

 おずおずと声をかけてみるが、あぁという生返事だけで、心ここにあらずという反応だ。会話にもならない。何となく重く、気まずい空気をどうにか軽くできないかと、頭を巡らせてみようとしたのだが。

「少し、出てくる」

 灰本は、言葉少なにジャケットを手にして、行ってしまっていた。


『完全に俺の落ち度だ』

 玄関のドアがパタンと閉じられ揺れた空気から、先日灰本から零れたものが聞こえてくる気がした。

 

 夕方の少し暗くなり始めたリビングで、掃除機をかけながら動き回っていたところに、灰本が帰ってきた。気分転換して帰ってきたのだろうか。

「おかえりなさーい」

 探りを含めて軽く声をかけてみる。

 いつもなら何バタバタしてるんだとか、おとなしくしてろとか、小言が返ってきたりするのだが。今は、やはり出て行ったときと同じような「あぁ……」と、気の抜けたものだった。家を出たときよりも、若干ひどくなっているのは、気のせいではないだろう。

 灰本は責任感と正義感の塊だ。それを混ぜ合わせれば、答えは一つ。真面目なのだ。

 私は大きく息を吸って、肺と脳へ酸素を行きわたらせる。そして、ゆっくり吐いた。

 

「灰本さん。私の今思っていること、ちょっと聞いてもらえますか? まぁ、知りたくないって言っても、言いますけど」

 前置きして、にったりと笑てみせると、灰本はちらっとこちらへ視線をよこしただけで、冷蔵庫へと向いてしまう。

 背中だけしか見えないが、私は掃除機を横に立てかけて、構わず口を開く。

「私、今の現状を悲観なんて一切していません。むしろ、すごくすっきりしています。前にも言ったと思いますけど、ずーっとやりたい放題やってきた人間の現状を変えることができたんですから。まぁ、全部灰本さんのお陰なんですけどね」

 ふっと笑う。冷蔵庫へ向いていた身体から、ゆっくりと手を伸ばしてペットボトルを掴むとゆっくりとこちらを向いた。やっと灰本の顔が確認できた。表情筋が強張っていて、表情がなく目が合わない。端正な顔立ちをしているから、余計に何を考えているのか読みにくい。そんな中でも、瞳が訝し気に揺れる。それをつかまえて、何とか思考の欠片を読み取る。

 

「また、自分のことなどどうでもいいとでも思っているんだろって、疑わしい目をされてますね?」

 ずっと逸らしていた視線が、私の方へとやっと向く。どうやら、正解のようだ。私はコホンと咳払いをして、まっすぐ向いてくる形のいい瞳を見返した。

「灰本さんに説教されるまでは、確かにそう思っていたかもしれません」

 ふうっと、息を吐いて目を閉じる。暗闇に沈んで、時間をゆっくり巻き戻していく。胃がずっしりと重くなっていく。同じくらい口が重くなっていくが、それに抗うように動かした。

「妹が死んだ時、全部壊れた気がしました。今まで家族で生きてきた普通の幸せも。それなりに慕っていた両親も。全部偽物のように思えた。自分が今まで見てきたものは、全部幻のように思えたんです」

 真っ暗な視界に、一番忘れたいあの日の光景が、皮肉なほど色鮮やかに蘇った。

「陽菜を失った日。私は両親に、訴えました。『陽菜は、いじめを受けていた。学校へ行って訴えよう。学校がダメだというのなら、直接加害者に会って、直接言えばいい。陽菜がどれだけ苦しんでいたか。悲しんでいたか。少しでも、この痛みを、責任を背負わせよう。全部有耶無耶にして、いじめなんかなかったで済まされてしまったら。勝手に陽菜は、死んだことされる。そんな酷い仕打ちあるのか』って。ずっと叫び続けました」

 子供が生まれて、建てようと思い立った一軒家。それから何年もたって、ところどころ痛み始めていたリビング。夕暮れ時の、薄暗い中で、自分が泣いていることも気づかずに、血を吐く思いで訴えた。

「そんな私に嫌気がさしたんでしょうね。両親は、私を部屋に閉じ込めて、鍵をかけた。『陽菜の苦しみは、どれほどのものだったのか想像もつかない。辛かったろう。悲しかったろう。彼女は優しい子だったから、全部ひとりで抱えて逝ってしまった。陽菜はこれ以上、誰かが傷ついたり、苦しんだりすることを望んではいない。だから、いなくなったんだ。正論なんて、必要ないんだよ。だから、お前は大人しくしていろ』そう、言われました。いじめた奴らのことを、この世でずっと憎いと思ってたけど、この時はそれ以上に、両親のことが許せなかった」

 本当に、みんなみんな消してしまいたいと思った。自分自身さえも。 

「両親は、しつこいくらい陽菜の平穏のためだと訴えていました。でも、私には、自分たちを守るために、していることにしか見えなかった。加害者を激しく辛辣な言葉で責め立てたとしても、世間の目は激しく怒る方へ向いていく。その色は白くて、どんどん疎外されていくのはこちら側だ。もう、悩みたくない。苦しみたくない。嫌な思いをしたくない。傷つきたくない。いじめを受けていた家族という目で、見られるのは嫌だ。かわいそうと思われたくない」

 隠しきれない本音が、顔の真ん中にはっきりと浮かんでいた。それがどうしようもなく頭にきた。

「私がこのまま親の言われる通りに、黙ってしまえば、陽菜を死へ追いやった人間を責めることさえもできないとわかっていた。全部なかったことにされてしまうことも、ちゃんと理解していた。それなのに……囲われた世界にいたら、私の感情はいつの間にか死んでいました。もう、何もかもどうでもいいと思ってしまったんです」

 ゆっくりと目を開けて、暗くなり始めた外を見る。西日が周囲の建物の窓に反射して、目が痛くなるほどこちらを照らしてくる。ぎりっと奥歯を噛めば、微かに血の味がした。

 

「それから、私は隙を見て家を出ました。一刻も早く、親と離れたかった。その一心で飛びだした途端、捨て去った怒りと後悔がものすごい勢いで追いついてきて、息ができないほど私にすっぽり覆いかぶさってきました」

 陽菜に何もしてやれなかった現実。結局、陽菜よりも、自分の身を守ることを優先した事実。

 だいぶ経ってニュースで陽菜のことをネットで検索した。その結果出てきたのは、名前も載っていないたった数行の記事。

『女子中学生が学校の屋上から飛び降り死亡しました。原因は、調査中とのことです』

 陽菜の十五年間の人生がたったのそれだけで、終わっていた。

 『お姉ちゃんは、プレゼントのセンスがない』といわれながらも、誕生日プレゼントを欠かさず送った時の弾けるような笑顔。一緒に、買い物へ行って服を選びあって笑い合った時間。他愛のない話で盛り上がって、夜更かしした夜は、数えきれないほどある。

 そんな思い出何もなかったかのように、こんなにもあっさりと、陽菜の命は終らされている。

 その現実を突きつけられて、絶望した。そして、やっぱりと立ち上がろうとしても、もうすべては遅かった。後悔はいつでもすべて終わったあとで、みんなの記憶からも消し去れられていた後だ。時間は、決して巻き戻ってはくれない。すべて手遅れだ。

 自分の意志を貫かなかった自分自身が、何よりも許せなかった。


「あの時、息の仕方もよくわからなくなりそうでした。それでも、藻掻いて何とか呼吸できるようになった。その引き換えに、自分自身へ呪いをかけました。それは、どんなことがあろうとも、あの時と同じような後悔はしないこと。どんな事があっても、絶対に」

 呪い。それは、以前灰本が使っていた言葉だ。

 ずっと窓の外へ向いていた視線が、自然と灰本へ移動していく。てっきり灰本ももう私のことなど見ていないだろうと思っていたのに、ぱちりと視線が交わった。少し鋭かった目尻。私は目をそらさない。

「今回、私はその呪いのままに、行動しました。結果は、このとおり。私にとっては、最高の結果です。同時にもっと違う大切なものがあることを気付かされました。それが、私の呪いを解く鍵となったんです。だから、私は灰本さんには感謝しかありません」

 少し驚いた口角は、自然とあがっていく。

「今の現状がなんだかんだなんて、いちいち憂いる隙間なんてないくらいに」

 灰本の瞳に僅かにに伸びてきた日の光を浴びて、光が灯る。元の形に戻って柔和な形へ戻っていく。

 私は、その真っすぐな瞳に、救われたんだと思う。

  


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