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サラシ屋  作者: 雨宮 瑞樹


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22/25

善と悪

 身動きできない状態から約二日も経てば、何となく動けるようになっていた。ならば、灰本に小言を言われる前に、早々にここから出ていこうとしたのだが。

「ダメだ。一週間は、ここに留まれ」

 意外な一言が灰本で押し留められていた。

「え? もう大丈夫ですよ。普通に歩けるし、これ以上お世話になれないですよ」

「迷惑は、今更だ。ここまで来たら、長引こうが同じだ。それに、つい先日死に急ごうとしていた奴の言葉を、俺は信用できないんだよ」

 灰本に一蹴されて、結局灰本の言う通りする他に選択肢はなかった。

 結局一週間、ここへ入り浸ることに決まっていた。

 

 電源が切れっぱなしだったスマホを復活させると、春香からの連絡の嵐が溜まりに溜まっていた。これは、不味い。早々に「ごめん、寝てた」と連絡を入れると、山のようなメッセージが返ってきていた。

「連絡しても出ないし、アパートは大騒ぎだし……どこかで倒れたのかと思って、気が気じゃなかったんだから! どれだけ心配したと思ってるのよ!」

 相当な怒り具合で、ひたすらに謝罪文を送るのにほとんどの時間を費やしていた。

 

 そんな中、灰本は仕事を完了。


 それを聞いて、ベッドでスマホを開くとネットに大久保の悪行画像、動画、文字が晒されていた。その中に、私と大久保の会話もあって、それに対する多数の書き込みがあった。

 最低だ。人間とは思えない。こんな奴生きる価値はない……過激な発言の数々。同志を得たような気分になって、気分はよかった。だが、そんな気分はすぐにすっ飛んでしまっていた。それ以上に騒がれていたのは、大久保の親の方だったからだ。

 警察の闇は、より一層世間に衝撃を走らせた。本来なら息子の件も、相当な黒さなのに、親だけでなく本来正義であるはずの組織のどす黒さに目がいってしまい、その傘の下に隠れしまっていた。

 そんな反応は、正直、私の中では不完全燃焼だった。

 

「私との会話、加工して誇張して大袈裟にしてくれればよかったのに」

 不満を口にすると、灰本はきっぱりと言った。

「越えてはならない線を引くことは、不可欠だ。その線を越えてはしまえば、こちら側も簡単に悪になり、 同じ穴の狢になる。一度手を黒にしてしまえば、元には戻らない。こちらの立ち位置は、あくまでグレーでなければならない」

 相手の真実を晒すこと。

 そこにフェイクは一切混ぜてはならない。悪人とはいえ制裁を加える最低限のモラルは、必要だという。

 灰本から意外な正論が飛び出してきて、私は目を瞬かせるしかなかった。

「サラシ屋は、依頼者の怨恨相手ならば、白いものも黒くして、晒して吊し上げにするとばかり思ってました」

「晒すという行為は、相手にデジタルタトゥーを刻むことだ。一度出回ってしまった情報は、いくら消しても、二度と消えることはない。例え、その相手が死んだとしても、残り続ける。だからこそ、慎重にならなけれはならない」

 頷くしかなかった。灰本の言う通りだ。

 こちらも同じ土俵に立ってしまえば、同じ場所に成り下がってしまう。

 「だが」と灰本は続けた。

「その罰を受けるに値する相手だと判断したら、俺は一切容赦しない。実際、大久保は大学退学処分。家の場所も特定されているから、マスコミも張り付かれ、親と一緒に家から一歩も出られない日々を余儀なくされている。あいつらの思い描いた未来は、潰えた」

 灰本は、薄暗い影を纏って言い切っていた。

 灰本はターゲットを見つけると必ずそんな顔をする。尖った瞳、上がった口角。首元にナイフを突きつけられているような鋭利さ。普通の人が見れば引いてしまうような、暗く重いものが纏わりついている。

 その暗さは、私が抱えているものと共鳴するようだった。

 不意に聞いてみたい衝動にかられた。灰本がこの仕事を始めた理由なのだろう。しかし、結局何も聞けずにそれから、灰本のいう一週間がたってしまっていた。



 運び込まれたときはショルダーバッグ一つだったが、ここにいる間、色々なものを買い揃えてくれていた。その荷物が、結構な量になっている。当然、灰本には必要のないものばかりだから、持ち帰ることになった。

 荷造りの作業しながら、少し後ろ髪を引かれそうになっている自分がいた。

 うちのボロボロアパートと違って、セキュリティーがしっかりとした洗練されたマンション。さっぱりとした部屋は快適だったし、間取りは3LDKもあった。しかも、場所は新宿から程近い。

 一度豪勢な生活を送ってしまうと、本来の生活水準に戻れないというが、まさにそういうことかと思う。

 荷造りを終えて、リビングへ向かう。


 開けた視界の広々としたリビングとキッチンから、コーヒーの香りが、ふわっと鼻腔をくすぐった。

 灰本は、日に何回かコーヒーを淹れる。この一週間は、自分の分を淹れるついでだと、私の分も用意してくれていた。

 私には、馴染みのない習慣だったが、一週間もすれば、体は簡単に馴染んでしまう。慣れというのは、本当に怖い。毎日のコーヒーが当たり前となってしまいそうだ。そして、今日もそれは例外ではなく、キッチン前のダイニングテーブルにはすでに二つ分のカップが並んでいて、そのうちの一つを灰本は手にしていた。それを口にしながらすでに、椅子に座っていた灰本がテーブルの上にあるパソコンを睨んでいる。

「今日の午後にとうとう大久保聡に対して警察も動き出すらしいぞ」

「本当ですか?」

 不完全燃焼だった部分が完全に焼却させる。これで、思い残すことも何もなくなる。心なしかコーヒーの香りも更に華やかに香ってくる気がしてくる。

「形だけかもしれないから、喜んでいいものなのかはわからないがな」

 私も灰本の前に座って、カップを口にする。灰本が淹れてくれるコーヒーはいつも、ちょうどいい濃さで口当たりがいい。今日のコーヒーはその何倍上を言っているように思えた。

「これまでは、何のお咎めもなしの野放しだったんです。それと比べたら、ずっといいです」

 灰本がパソコンから目を外して、こちらに向けられ、頷く。灰本は再びコーヒーを口に含むと、大きく伸びをした。首をぐるりと回して、唇の端を上げる。

「これで、俺も晴れてこの泥沼から開放か。大変だったぜ」

 今まで感謝しかなかったのに、余計な一言で台無しにしてくれる。しかし、ここ数日間でわかったことがある。灰本の口の悪さは、優しさを素直に表現できない照れ隠しの所以だということに。ちょっと、いや、かなり面倒くさい性格の持ち主なのだ。損をしているというかなんというか。どうせ指摘したところで、また悪態をつかれるだけだから黙っておくことにする。どうせ、これで灰本と会えるのは、最後になるのだろうから。

 私は、居住まいを正して、膝の腕で両手を重ねる。

「今回は、本当に色々とお世話になりました」

 ペコリと頭を下げると、少しだけきゅっと胸の奥が締め付けられる。

 もしも、私が灰本と出会えていなければ、今頃私はどうなっていたのだろうか。何パターンの想像をしてみても、どれもが真っ暗な世界しか思い浮かばない。下げていた頭を上げると、自然と口元が緩んでいた。灰本は、少し驚いたように目を丸めていた。そういえば、ここのところ灰本がいたからこそ、私は今こうして笑えるのだと心からそう思えた。

 

 突然インターホンが鳴った。ほぼ同時に、玄関のドアが乱暴に開いていた。私は驚いて、腰を浮かしかけていたが、灰本は誰なのかすでに把握しているらしい。頬杖をついて面倒そうに、玄関の方へと顔を向けていた。

 そして、ドタドタとリビングへ入ってきたのは、天海刑事だった。

 

「お嬢さん、いた……間に合った……」

 お嬢さん? それは、私のことだろうか。よく焼けた肌に汗が光っている。肩で息をする天海へ確認するように、自分自身を指さす。天海は、何度も頷いていた。灰本の眉間にぎゅっと皺が寄っていた。

「一体何があった?」

 天海は勝手知ったる我が家のように、対面式のキッチンの冷蔵庫から冷たいお茶を出して、コップに注いで一気飲みをする。はぁっと息をつくと、さっと灰本の横に来て、目の前にあるパソコンを操作していた。何かをぱちぱちと打ち込むと、私にもこっちに回り込んで来いと手招きされる。

 私も立ち上がって、天海の横へ立って、画面を覗き込む。誰しもが知っている動画サイトだ。

「大久保の奴、自分のチャンネルを持っていやがったんだ。しかも、面倒なことに結構人気があるらしい」

 天海は苦々しく説明をしながら、一番上の最新動画は、五分前にアップされているようだった。そこをクリックすると、動画の再生が始まった。

 自分の部屋らしい背景に、大久保の顔が大きく映る。顔色は悪く、やつれている。生気のない目で、カメラをまっすぐ見る。

 

『いつも僕を応援してくれている皆さんへご報告があります。僕は今、世間をにぎわせているということは、皆さんご承知のことだと思います。しかし、僕は無実です。今回、報道されていることは全部でっち上げです。こんなことになったのは、全部俺を罠に嵌めた柴田理穂という女のせいです。あいつこそが、悪だ。僕の身分に嫉妬してこんな騒動を巻き起こしたのです。この動画を見ている皆さん。僕を応援してくれているみなさん。どうか、柴田理穂を懲らしめてください。こいつの住所、電話番号全部コメント欄に添付しておきます。この動画は、すぐに削除されてしまう可能性が高いので、一刻も早く拡散をお願いします』

 そこで、プチっと動画が終わる。先ほど大久保が言っていた通り、電話番号、住所が記載されていた。

 それは、間違いなく私のものだった。

 

 天海は、何やら説明を加えていたが、私の頭は使い物にならなかっな。全部すり抜けていく。血の気が引いて、頭の中が真っ白になる。そんな私へ灰本が鋭くいった。

「柴田、スマホは?」

「鞄の、中です」

 駆け足で部屋に戻る。真後ろから、灰本がついてきていた。鞄を開けて、一番上に載っていたスマホを手にする。

 スマホが震えていた。画面を見ると、見知らぬ番号からの着信だった。先ほどの動画をみた誰かからのものかもしれない。震える指先で、電話を取ろうとしたその直前で、灰本は私の手からスマホを取り上げていた。出たところで、何の役にも立たないと、すぐに電源をオフにする。

 天海が遅れてやってきて、眉を下げていた。すまないという。

「今、削除依頼を出しているが、まだ時間がかかるらしい。それまで、どの程度広がっていくか」

 唇を噛む天海に、灰本はいう。

「憎き相手も地獄へと道連れにしようってわけか。これだから、ネットの世界は」

 いつも冷静さを失わない灰本には珍しく、怒りが節々に溢れていた。

「社会的な善悪なんか、関係ない。自分の信じるものすべてが善になる。大久保を支援している奴らは、大久保の主張こそが善悪の指針となる。こちらがいくら最低限のルールの線引きをしても、相手は勝手に踏み越える」

 どこまでも最低だな、灰本は冷えた瞳で、吐き捨てるようにいった。

 

 

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